ページの本文へ

読むNHK福岡

  1. NHK福岡
  2. 読むNHK福岡
  3. 北九州出身の「能登デスク」 能登半島地震 今できる支援 

北九州出身の「能登デスク」 能登半島地震 今できる支援 

観光案内所の私ができること 私たちができること
  • 2024年02月16日
「能登デスク」 中山智恵子さん

ことしの元日に能登半島で起きた地震から1か月半がたつなか支援活動も続いています。
NHK福岡放送局のアナウンサーも交代で現地での取材にあたっています。そうした中、
能登半島でボランティアを希望する人なども利用する金沢駅の観光案内所で「能登デスク」と呼ばれる担当者と出会いました。中山智恵子(なかやま・ちえこ)さん。北九州市の出身です。17年前に金沢に移り住み、今回の地震で「能登の人たちの力になりたい」と話す中山さんの思いを聞くことができました。(福岡放送局 アナウンサー 小林将純)

観光案内所の今 能登情報を取材&発信する日々

能登半島地震から1か月あまりがたった2月上旬。
ようやく珠洲市などで個人のボランティアの受け入れが始まりました。
断水も続き、生活のほか、主要産業である観光も地震の影響を大きく受ける中でも、
金沢駅の観光案内所には、連日多くの人が訪れていました。

観光案内所の利用者に説明するスタッフ

その一角に能登の観光情報を専門に伝えているコーナーがありました。
スタッフが常駐していて、能登のフリーペーパーや地図なども置かれています。
このコーナーに掲げられている看板に書かれていた「能登デスク」の文字が目にとまりました。

観光案内所に掲げられた看板

この日は常駐する担当者に「能登半島北部の奥能登でいま泊まれる場所がありますか?」と聞く人もいました。そうした人たちに「能登デスク」として最新の能登の情報を伝えていたのが、中山智恵子(なかやま・ちえこ)さんです。

「能登デスク」こと中山智恵子さん

中山さんは、7年前から能登の観光情報を専門に伝えています。能登半島での地震の発生から1か月あまりがたつ中、どのような人たちが窓口を利用するのか尋ねました。

中山智恵子
さん

能登で今後ボランティアをするために、金沢から能登へ行くにはどんな方法があるかを学ぶ人や、能登の特産品を買って応援するために能登の情報を知りたいという人が増えてきています。

中山さんはある変化を感じたといいます。地震の前から発行され、窓口に置かれている能登のフリーペーパーが、1日に50部以上も利用されていたのです。

フリーペーパーをめくる中山さん

フリーペーパーには、能登の観光情報に加え、エリアごとの地図も掲載されています。
観光案内所を訪れる人たちのニーズに応える1冊だと中山さんは話します。
ただ、情報は今回の地震の以前のもの。「能登デスク」の中山さんは、最新情報を伝える必要性を
感じました。

手書きの資料を指す中山さん

手にしているのは、中山さんが独自に取材して作った能登の情報ファイルです。
そのうちの1ページを見せてもらいました。

手書きで観光情報などが書き込まれた地図

地図には「観光が可能な場所」や「トイレを利用できる場所」、「自動販売機がある場所」などの情報が手書きで加えられていました。資料はエリアごとにまとめ、ほかにも「ボランティアセンターの情報」や「のと鉄道七尾線の代替バスのダイヤ」、「コミュニティバスのダイヤ」など、現地で動く利用者の視点で必要な情報を網羅しています。

能登の情報取材を行う中山さん

情報は毎日更新。観光案内所の利用者がいない時間帯を使って、自ら情報取材をしているといいます。
その原動力は何か。中山さんに聞くと、能登の人たちへの思いを語ってくれました。

中山智恵子
さん

少しでも能登の人たちの力になりたいからです。能登は、本当に情が深い人が多いです。元日の地震から2週間がたったとき、金沢でも地震が続いていました。心が落ち着かないなか、自身も被災した輪島の知り合いが、金沢に住んでいる私に「大丈夫?」って言ってくれたんです。
この言葉にどれだけ勇気づけられたか…。

「私、能登に沼っているんです」

能登への深い愛情を「私、本当に能登に沼っています」と語る中山さん。
北九州市出身で、石川県に来たのは17年前。夫の仕事の転勤で金沢市に移り住みました。

北九州のホテルで働いていた中山さん
(画像提供:中山智恵子さん)

地元・北九州ではホテルのフロントで働いていた中山さん。
子育てなどを経て、接客業に携わる仕事をもう一度行いたいと考えるようになりました。
そんなとき目にしたのは、新幹線が開通した金沢駅の観光案内所のスタッフ募集。
応募した中山さんは、観光案内所で能登情報を専門に発信するスタッフになりました。
ただ、当初は能登のことについて右も左もわからない状態でした。
そんな中山さんに能登のことを優しく教えてくれた人がいたといいます。

のと鉄道の列車の前でおばあさんと話す東井さん
(画像提供:中山智恵子さん)

その男性が、のと鉄道の従業員・東井豊記(とうい・とよき)さんです。残念ながら提供いただいた写真では後ろ姿ですが、中山さんが能登を好きになり、仕事にして「能登デスク」につながっていく上で、大切な存在でした。

中山智恵子
さん

恥ずかしがり屋なのか、(東井さんの)正面からの写真が無いんです。
本当に丁寧な人で、能登での旅行の仕方やバスの情報、おいしい食事処などを一から教えてくれました。能登を好きになるきっかけを私にくれた人です。

東井さんの情報をもとに、能登に足しげく通うようになった中山さん。
気づけば休みの日に能登をめぐり、能登の風景や人を写真に収めるのが趣味になっていました。

能登の友人との写真
(画像提供:中山智恵子さん)

中山さんがこれまでに能登で撮影した写真は5000枚以上。
その1枚1枚がかけがえのない思い出となっています。
そんな中山さんが能登の人情を深く感じた瞬間がありました。

能登町のあばれ祭
(画像提供:中山智恵子さん)

去年7月、初めて中山さんが行った能登の祭り、「あばれ祭」です。
祭りの勇壮さや地元の人たちの活気に驚いたと言います。
さらに、中山さんが大きな衝撃を覚えたのが、祭りの後に行われた能登の風習「ヨバレ」でした。
祭りの日に、親せきや知人を家に呼び、ご馳走をふるまうという風習です。
友人の夫の実家に招待され、大歓迎を受けたと言います。

「ヨバレ」に参加する中山さん
(画像提供:中山智恵子さん)

中山さんは、このとき改めて能登の人たちの温かさを感じたと言います。

大皿の料理が用意されて、好きなだけ食べてって。友人の夫の実家って、
私は完全に他人じゃないですか?
そんな私のために個別に刺身も盛り付けてくれて、すごくもてなしてくれたんです。
でもそれは私だけじゃなくて、祭りに参加した多くの人をもてなす文化を目の当たりにして、能登の人たちの人情を実感しました。

北九州出身で金沢在住。
よそ者と言われてもおかしくない中山さんを温かく受け入れてくれた能登の人や風土が、
中山さんを「能登デスク」にし、地震を経て「能登の人たちの力になりたい」と思う原動力になっていることがわかりました。

福岡から石川にいまできること 能登を知ってほしい!

能登半島地震から1か月半。
能登では災害関連死や避難生活の長期化が懸念され、支援活動が続いています。
珠洲市や中能登町でボランティアの受け入れが始まったのは、今月3日。
輪島市でボランティアが始まったのは今月10日です。
そんな石川に対して、遠く離れた福岡から私たちができることは何なのか?
中山さんに聞きました。

福岡から石川にできることを語る中山さん

ぜひ能登のことを知ってもらって、能登の特産品を手に取ってほしいです。
義援金も大事だけれども、きっと能登のモノに触れてもらうことが
地元の人たちを勇気づけることにつながると信じています。

中山さんの元には、オンラインショップを再開したという能登の人たちからの連絡も来ています。
そうした能登の店の情報を、SNSで発信しています。
さらに、中山さんが最近SNSで発信していることがあります。

SNSの一部 「#私の愛してやまない能登」

それは「#私の愛してやまない能登」という投稿です。
地震の前、中山さんが撮影した能登の名所や風景を発信しています。
こんな時だからこそ、中山さんが心惹かれた能登を多くの人に知ってほしいと言うのです。
観光案内所の「能登デスク」として、いまできることを一つ一つ続ける覚悟です。

中山智恵子さんと一緒に写る小林アナ

取材を終えて
観光がままならない能登のため、観光案内所のスタッフとしていま何ができるのか?
自分を受け入れてくれた能登のために、できることを一つ一つ見つけて実行する
中山さんの姿勢や熱い思いに頭が下がる思いでした。
遠く離れた福岡からでも、石川に対してできることはきっとある。
そう強く感じさせる取材でした。

  • 小林将純

    福岡放送局・アナウンサー

    小林将純

    輪島市や珠洲市で能登半島地震を取材。

ページトップに戻る