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人道危機続くスーダン 支援模索する医師

「ロシナンテス」川原尚行医師に聞く 
  • 2023年09月12日
認定NPO法人「ロシナンテス」画像提供

深刻な人道危機が続くスーダン

軍と準軍事組織の武力衝突が始まって今月で(9月15日)5か月になるアフリカのスーダン。人道危機が深刻になる中、難民も増加し、必要な支援が届いていないのが現状です。医療や教育などの支援を現地で長年、続けてきたものの、ことし4月に帰国を余儀なくされた「ロシナンテス」の理事長で、福岡県出身の川原尚行さんは、帰国後の今も、現地の人たちの安否に思いをはせ、効果的な支援方法を模索しています。川原さんにスーダンへの思いを聞きました。 (NHK福岡 アナウンサー 小林将純)

4月 スーダンから日本に帰国した川原さん(中央)
小林アナウンサー                                    川原さん

川原さんとお会いしたのは帰国から2か月ほど経過したことし6月下旬でした。NHK福岡放送局のスタジオで話を伺いました。まず、川原さんが実際に見た現地の状況について尋ねました。

小林将純
アナウンサー

さまざまな医療支援を行っているなかで起こった武力衝突。
現地はいったいどんな状況だったんでしょうか?

川原尚行さん

残念ながら、首都ハルツームが主戦場になり、首都の中心部にいたスーダンの人たちも中心部を離れて、ハルツームの郊外や別の州、別の国に行っているような状況でした。食べていくのも大変でした。

小林
アナウンサー

武力衝突は徐々に起こっていったのでしょうか?それとも予期しないタイミングで起こったのでしょうか?川原さんの体感としては?

川原さん

「徐々に」と言うよりは、本当に突発的に「いきなりドンッ」と起こった感じですね。4月15日土曜日の朝、日課としている散歩でナイル川まで歩いて、帰ってシャワーを浴びた後で、突然、砲撃音がドンドン聞こえてきました。本当に激しい音で、これはもう内戦かなと思って、大使館にすぐに連絡を入れたら「おそらく内戦だと思う」と。「とにかく気をつけてください」と返事が来ました。

退避のメンバー(画像提供:認定NPO法人ロシナンテス)

国外への退避を決めた川原さんらメンバー。自衛隊機で退避するため、首都ハルツームから東部のポートスーダンまでの移動距離は約800キロ。国外退避をする外国人が車列を作り、緊張の中、30時間も運転を続けたのです。

画像提供:認定NPO法人 ロシナンテス
退避の車列(画像提供:認定NPO法人 ロシナンテス)
川原さん

バスが20台、車が60台ほどそろって車列を組んでいくわけです。やはり道もいい道ではありませんから、パンクすることもありますし、それは一度ならず何度にもわたって起きますから、本当に遅くなっていく。

退避先のジブチから4月29日に羽田空港に無事に到着。当時のNHKの取材に川原さんは「いろんな方の尽力に感謝の気持ちでいっぱいです。機内から富士山が見えた時に涙がこぼれそうでした」と喜びを語っていました。一方、現地に残された人たちへの思いについて今回のインタビューで次のように語りました。

川原さん

もちろん、われわれ日本人が帰ってこられたのですけれども、まだ残っているうちのスタッフであるとか私の友人、医者の仲間もたくさんいます。心優しきスーダンの方々が大変な思いをしている。今後、どうしたらいいのだろうということを考えるようになりました。

画像提供:認定NPO法人 ロシナンテス

究極の医療は「戦争をさせない」こと

診療所内でスタッフと話す川原さん
(画像提供:認定NPO法人 ロシナンテス)

川原さんは、外務省職員として赴任したことをきっかけにスーダンとつながりました。現地でマラリアやコレラで亡くなる子どもが多いことを目の当たりにしたのです。戦争や紛争などで医療体制の整備が遅れているスーダン。職を辞して、医療支援に関わり続けて約20年となる中、医師でもある川原さんは、今回の一連の戦闘で病院も攻撃の対象になっていることに心を痛めています。

川原さん

「なぜ病院が?」というふうにすごく大きな疑問だったのですけれども、やはり民兵側は足がかりがないわけですよ。病院などを乗っ取ることで、そこで拠点を作る考えがあったみたいです。病院自体がやられると、入院患者が病院にいられないので、近くのビルに逃げ込んでくるという話も聞きました。
病院の社会インフラが奪われると、水を求めて患者さんがやって来るという話もありましたし、透析をやっている病院が、透析をできないということで、その場合は患者が静かに亡くなっていくというケースもいくつか聞いたことがあります。

小林
アナウンサー

その話を現地の人から聞いたとき、どんな気持ちでしたか?

川原さん

戦争は人の命を奪うんだなと…。
従来通りの医療をやっても、命をこうやって奪っていくんだなと思いました。

スタジオでの川原さん

戦争の直接の被害でなくても病院を占領するだけでも多くの命が失われていく。
そんなことを目の前にすると、究極の医療というのは人の命を救うのが医療だというふうに定義するのであれば「戦争をしない・戦争をさせない」ことが究極の医療なのかなと思いました。

小林
アナウンサー

究極の医療は、戦争をさせないこと?

川原さん

「戦争をしない」というよりも、「戦争をさせない」ことがとても大事かなと思いますね。戦争をすると、自分たちの勝利のために周りのことを見ませんから。病院のことなんか、かまってませんからね。救える命がどんどんなくなっていくわけです。

スーダン情勢
軍と準軍事組織、RSF=即応支援部隊との武力衝突がことし4月に始まる。これまでの死者は少なくとも1200人超(先月時点 国連)。先月までの4か月間に400万人以上が避難を余儀なくされ、このうち約97万人は隣国などに逃れたとされる。安全な場所に移動できない人も多く人道危機が深刻に。

スーダンのために、いまできることは

北九州市門司区の敬愛高校での講演の様子

帰国後、川原さんは、講演活動を重ねています。地元・北九州市の高校などを訪問し、引き続きスーダンの情勢に関心を寄せてほしいと呼びかけています。
また、支援活動も模索を続けています。
川原さんたちがスーダンの地方で設立した医療施設の大半はいまも無傷で、こうした地域に、首都からスーダン国外に逃れた人を受け入れることはできないかと考えているのです。

川原さん

内戦があると国外に行って、そこで難民キャンプを形成することがあって、そこでは医療・食料・住居すべてが提供されるんですけれども、自国なので難民キャンプと言うよりも、その地域がコミュニティーが、首都からの人を受け入れることをやってもいいのかなと思っています。村が、ある意味、町になるようなことをイメージしていて、そこで農業をやったりして自立できる。難民にならずに自立できるという形が理想かな。そういったものをやるためにどうしたらいいのだということを、いま一生懸命考えているところです。

これまで、医療機関がない地域への巡回診療や給水施設の整備、医療従事者を増やすための学校づくりなど幅広い支援を行ってきた川原さん。帰国後もスーダンの平和を願い、町づくりにまで構想を広げているのです。その原動力となっているものは何か、聞きました。

小林
アナウンサー

川原さんの活動は、遠くのゴールを見据えて課題に一つ一つ地道に対処していくように見えます。どうしてここまでできるのでしょうか?

川原さん

目の前に大きな壁があって、それを壊すのにはどうしたらいいのかというときに、権力とお金を使って、ぶち壊していくという手もあるのでしょうけど、自分はそんな力もなく、限られた力でしかできない。人より時間は相当かかるけれど、いつか壁を壁を越えることができる。失敗も含めて、その経験があるからこそ、実は次の壁に当たったときに強くなるというふうに考えています。
目標まで近道で行くよりも、遠回りしたが故に経験と知恵がついて、目標だった地点のさらにその先へ行けると思っています。あるいは、誰しもが遠くの目標まで行けないのだけれども、遠回りしたからこそ、その場所に行けるのかなと考えています。

【取材を終えて…】
実は、川原さん、この取材の直前に腰椎ヘルニアで入院。退院後、松葉杖でスタジオにお越しいただきました。「ご無理なさらず…」と声をかけましたが、「スーダンの現状を皆さんに知っていただく貴重な機会だから」と笑って答え、インタビューに応じていただきました。
約3時間の収録の間、川原さんのみなぎる熱意やスーダン支援への熱い思いを、言葉の端々に感じました。「どうして川原さんがこんなに多くのことを担うのか?」という質問に「やらないかんと思った」という言葉と共に向けられた川原さんの真剣なまなざしには、経験の深さとこれからの決意を感じられ、私も背筋が伸びる思いでした。

  • 小林将純

    福岡放送局・アナウンサー

    小林将純

    2023年、福岡局に配属

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