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地域づくり情報局

一人も取りこぼさない社会をめざして

大阪府豊中市のコミュニティソーシャルワーカー・勝部麗子さん。地域や家族から孤立する人々に寄り添い支える日々を綴ります。

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2023年08月21日 (月)

社会福祉から取り残されてしまう人たちを支援に繋げる(1)

3年続いたコロナ禍で見えてきた新たな課題

  
 3年続いたコロナ禍も、この5月から感染症法上の「5類」となり、状況も少しずつ変化してきました。この3年の間、全国の社会福祉協議会は、コロナ禍で減収した方たちを対象にした貸付の窓口となってきました。私たち豊中社協もこの3年間、1万6000世帯ほどを支援してきましたが、もともと生活が苦しかった上にコロナ禍で仕事を失い極貧状態に追い詰められた方、飲食業やインバウンド関連の仕事に就いていてコロナの影響を受けた方、コロナ禍以前はお子さんの塾代をパート収入で捻出していたのができなくなり生活そのものも苦しくなってしまったという方など、状況は本当にさまざまでした。

 そんな中で、今回のコロナ禍で、これまでには出会ってこなかったような方たちとの出会いもありました。そのひとつが、日本で暮らす外国の方たちです。

  日本の社会保障は、日本国籍でない方でも、国内に在留資格があって、日本で永住権を持っているような方たちは当然対象としています。しかし、ビザの関係で一時的に日本に来られているような方たちには、なかなか支援が届きにくい状況がありました。

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        ベトナムからのみなさんとフットサルで交流

外国人住民を地域の一員として受け入れる

  
 私たちが貸付支援した外国人の方々は、飲食業やインバウンドの関係の方や留学生など、さまざまな方がいらっしゃいました。その中にはコロナ禍で帰国できずビザの特例期間として日本に残っている方などもいらして、その多くが、母国語では必要な情報を得られず、日本語も分からない中で社会から孤立していました。

 そのような家庭では、唯一、日本語が分かる子どもたちが、ヤングケアラーとして家族の生活を支えているような状況があります。そんな状況にある人たちと、どうしてこれまでつながることができなかったのか。日本社会が、彼らを日本の一員として受け入れる体制がなかった、という現実にも、大きな衝撃を受けました。コロナ禍の相談業務を通して、そのような方々の生活や、家族の問題にも触れることができたことは私たちにとって、とても重要なことでした。

3年続いたコロナ禍で見えてきた新たな課題

 
 もうひとつ、コロナ禍の中でわたしたちが目にしたのは、若者たちの置かれた現状の厳しさでした。中学を卒業して、高校に入学したとしても、生活が厳しいなどさまざまな理由もあって中退せざるを得なかった若者たち。そうした若者たちは、働こうとしても不安定な仕事にしか就けないという状況があります。

  たとえば、貸付支援の際には自分の今の状況を記入していただく欄があるのですが、見ると、自分の名前以外は全部ひらがなでしか書けない人がいます。聞くと、長い間不登校でほぼ学校に行くことができず、そのまま社会に出てしまったという人もいました。そのような若者は、社会に出ても多くの困難に出会い、困窮状態に陥ってしまう場合もありました。

  本来ならば、そのように生活に行き詰まったとき、困難な状況になってしまったときにこそ、社会保障にちゃんと頼って欲しいのですが、今の若者たちは、そのように頼ってもよい繋がれる社会保障があるということを、まったく知らないまま社会に出てしまっているのです。収入を求めて闇バイトや闇金に手を出してしまう若者たちもいます。

社会保障につながることができない

 
 基本的人権が保障され、「健康で文化的な最低限の生活」を保障されることは、この国の憲法でも謳われていることです。それなのになぜ、そのような若者たちがきちんと公的制度に繋がることができないのか。この数年、私たちは特にそのことを強く感じるようになりました。

  失業すればハローワークがある、引きこもり状態になれば若者向けのサポートステーションがある、生活が苦しくなれば生活保護や貸付制度がある。高校に行きたいと思うなら定時制高校もあるし、就学援助も受けられます。さまざまな社会保障があるのに、そのような支援があることも、自分がそれに繋がれるのだということも、知らずに社会に出てしまう。そのために大きな負債や困難を抱えて貧困の中で暮らしている若者たちが本当に多くいます。

 支援に繋がれず、社会の中で傷ついて、にっちもさっちもいかなくなって、立ち直ることも難しくなってしまったような時点で、ようやく私たちの支援と繋がった。そして「生活保護にはつながりたくない」と言う。

 今回、コロナ禍という特別なきっかけがあって、たまたま情報に触れたからこそ、私たちと出会うことができたけれど、もしもそういう機会がなければ、一生、社会保障の無い世界で生きていたかもしれません。この社会にはそのような状況で誰とも繋がれず、生活苦の中で犯罪に巻き込まれたり、自殺に追い込まれてしまったりするような若者が本当にたくさんいるのだということに、私たちも改めて気がつかされたのです。

「関係性の貧困」をなくすのが第一歩


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          宅配されたお弁当

  私たちは常々、貧困は一つではなく、二つの貧困があると考えてきました。ひとつは、経済的貧困。そしてもうひとつは、人間関係の貧困です。子どものころから親以外のおとなと出会う機会がほとんどない中で、社会保障や支援の情報につながることができなかった若者たちは、想像以上に多くいます。経済的貧困が家庭を孤立させ、人間関係の貧困につながっていく場合もあります。そんな若者たちに向けて、私たちは「宅食」、お弁当を届けるという形のサポートに踏み出しました。

  ただ食料を配布するというのではなく、私たちがそれぞれのご家庭にお弁当を届けるということによって、その方の家庭のご様子や困っていることなどを、だんだんと把握できるようになりました。現在、宅食を通して150世帯のご家庭を日常的に見守っています。

  その中にはずっと家に引きこもって、情報といえばネットしかないという若者も多くいます。6年、8年、という長い間、家の外には出たことのない人も多くいるのです。学習をしたり、友だちと力をあわせて何かを達成したりなどの体験もなく、勉強はもちろん映画を見る、お祭りに参加するといった文化的な活動にもほとんど参加することなく生きてきたのです。

  そのような若者たちに対して、私たちも野菜収穫体験や学習支援の場に誘い、社会参加につなぐサポートを行ってきました。それが再起のきっかけになるような応援を続けてきたわけですが、やはりそこでも、自分の困難な状況は自分の責任なのだからしょうがないのだと、人生を諦めてしまっているような若者に多く出会うことになりました。

  繋がれる社会保障があることを知らないままで、学校に行かなかった、行けなかった自分が悪い、仕事ができない自分が悪い、など、現状は自己責任なのだと受け止めてしまっているのです。まだ年齢も若いのに、人生を諦めてしまっているのです。この負の連鎖をなんとか断ち切っていくための良い方法はないだろうか……。そう考えている中で、大きな新しい展開がひとつありました。

その2につづく

 

一人も取りこぼさない社会をめざして

勝部麗子さん(コミュニティソーシャルワーカー)

10年前、大阪府で初導入された地域福祉の専門職=コミュニティソーシャルワーカーの第一人者。大阪府豊中市社会福祉協議会・事務局長として、様々な地域福祉計画・活動計画に携わる。2006年から始まった「福祉ゴミ処理プロジェクト」では、孤立する高齢者に寄り添い、数多くのゴミ屋敷を解決に導いた。厚生労働省社会保障審議会「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」委員。信条は「道がなければ作ればいい」。

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