WEBリポート
  1. NHK
  2. 首都圏ナビ
  3. WEBリポート
  4. 旧統一教会の元2世信者 小川さゆりさん 被害者救済新法成立へ…半年間の記録

旧統一教会の元2世信者 小川さゆりさん 被害者救済新法成立へ…半年間の記録

  • 2023年2月10日

「人の人生を巻き込む資格が、自分にあるのかな」
「自分と小川さゆりは全く別物。まだ全然、実感が持てない」

「小川さゆり」という仮名で被害の実態を訴えてきた、旧統一教会元2世信者の女性の言葉です。顔を出して記者会見や国会の参考人質疑に応じ、被害者救済新法の整備を求めるなど、積極的な活動をしてきました。その陰で、重圧やひぼう中傷に苦しむことも…。
逆境の中でも活動を続けた理由とは?女性が「小川さゆり」として生きた半年間の記録です。 
(首都圏局/ディレクター 大淵光彦)

“傷つく宗教2世を出さないために”顔を出して被害訴え

去年8月。旧統一教会の取材をしていたディレクターの私は、あるSNSの書き込みに目をとめました。

「自分がやらなければ、自分の子や2世の子供たちの未来を誰が守れるのか」

「小川さゆり」と名乗り、顔を出して被害の実態を訴えていた、元2世信者の書き込みでした。

なぜ、リスクを負い、顔まで出して声をあげたのか。交渉を重ねた末、女性が取材に応じてくれました。生後4か月の息子と夫を伴って現れた女性は、顔を出すことにためらいはなかったと話しました。

小川さゆりさん
「子どもたちに、自分と同じような思いをしてほしくない。本当にそれだけです。罪もない子どもたちが宗教2世として傷つくのを止めたいと思っています。

顔を出したほうが、多くの方々に見てもらえるチャンスがあるんじゃないかと思いました。私は、旧統一教会に友達がいっぱいいたのですが、脱会したあと、ゼロになっちゃったんです。そういう意味でも、顔を出すことに抵抗はありませんでした。本当に、自分のことなんてどうでもいいんですよね。自分のことは嫌いなんです」

ある日崩れた旧統一教会への信仰心

女性は旧統一教会の信者の両親のもと、6人兄弟の長女として生まれました。両親は教団の教えに厳格で、他の子どもには当たり前のことも、「サタン」や「地獄に落ちる」などの表現を用いて制限されたといいます。

「テレビや書籍、漫画など、この世のものはサタンが作っているから、教義に反するものは見てはだめだと言われました。周りの子たちがすごくキラキラして見えて、劣等感をずっと感じて生きてました」

父親は、地区の教会の責任者でした。毎週日曜日になると早朝から教会に連れて行かれ、拒めなかったといいます。

「日曜礼拝に無理やり連れていかれて。肩を引っ張られて、朝5時からの祈祷会に参加させられたのですが、自分の体の弱さもあり、気絶したことも何回かあったんですね。それでも無理やりやらされて」

それでも女性は両親の期待に応えたいと、次第に教会の活動に自ら参加するようになります。高校生のころには、創始者の教えを講義する大会で入賞するまでになっていました。

恋愛は禁止され、おしゃれを楽しむこともなかった青春時代でしたが、教団の中では多くの友人に囲まれ、居心地の良さを感じていました。

ところが、教団に対して疑問を抱く出来事がありました。

高校3年生の時に参加した教団のセミナーで、男性スタッフからセクハラを受けたというのです。教団の役職者にメールで相談したところ、次のような返信がありました。

「大人であっても、メールで記載された内容の行動はあり得ます。
男性は目から刺激を受ける傾向がありますが、かと言って、美しいものを美しいと思うこと自体が罪ではありません。」

こうした考えは、結婚前に異性との接触を禁じる教団の教えに矛盾するのではないか-。

その後も教義などへの不信はおさまらず、女性は絶望し、教団を脱会しました。

「20歳をすぎたころに脱会したのですが、当時は両親をすごく恨んでいました。でも、それを指示してやらせていたのは旧統一教会で、両親はそれに従っただけ。私は、恨むべきところは旧統一教会かなと、今は思っています」

脱会後に直面した生きづらさ

教団を脱会したあとも、生まれたときから植えつけられてきた考え方や習慣から抜け出すことはなかなかできませんでした。

服を購入しようと衣料品店を訪れても、どのような服が着たいのか分からず、なかなか決めることができません。教団にいたころは教義がすべてで、逆に迷うことはありませんでした。

「自分は何が好きなのか、よく分からない。自分のことを考えるのは苦手です。自分に自信がないし、そういう自分のことが嫌いなので。去年も1着か2着だけ買って、ずっと洗って着ていました」

教団を離れてから7年がたちましたが、今も違和感を抱えたまま生きています。

「めちゃくちゃ生きづらいです。社会は堕落していると言われて育ってきたので、それが抜けないというか。今は、旧統一教会を信仰していない人も、悪い人たちだとは思ってないのですが、自分とは違うのかなと思ってしまう。

2世の人たちは何を考えているか分かるので怖くないのですが、普通の人たちは何を考えているのか分からなくて、すごく怖いです…」

あの事件をきっかけに「小川さゆり」に

脱会後は、共通の趣味を通じて出会った男性と結婚。去年4月、男の子を出産し、教団にいた過去を忘れようと暮らしていました。ところが、その生活を大きく変える事件が起こります。

安倍元首相襲撃事件です。容疑者の母親は旧統一教会の熱心な信者でした。

事件のあと、親の信仰や献金などによって苦しんできた元2世信者が、次々と被害を訴え始めました。その姿を見た女性は、「小川さゆり」を名乗り、顔を出して声をあげようと決意したのです。

Youtubeより

問題を解決するには政治に訴えるしかない。女性は、夫や他の元2世信者たちとともに、被害者を救うための、新たな法律の整備を求めることにしました。

「小川さゆり」へのひぼう中傷や重圧…葛藤の日々

記者会見を開くなど、積極的な活動を始めた女性でしたが、葛藤を感じることも少なくありません。

忙しくなるにつれて、子どもとの時間を十分にとることが難しくなりました。気付いたら子どもがハイハイをするようになっていて、申し訳なさを感じることもありました。

さらに、少し前までは誰も知らない存在だった自分と、世間で知られている「小川さゆり」とのギャップにも悩まされました。

「自分と小川さゆりは、全く別もの。全部、夢だったんじゃないかと、いつも思っています。自分が出た動画を見ても、それを閉じたら、やっぱり夢だったんじゃないかなと思います」

知名度が高まるにつれて、「小川さゆり」に対するさまざまな反応が、インターネット上に書き込まれるようになりました。そのほとんどは活動を肯定する内容でしたが、一部には「うそつき」「悲劇のヒロインを演じている」といったひぼう中傷もありました。

「たとえ100人が活動を応援してくれても、1人がナイフのような言葉を向けてきたら、それしか見えなくなってしまう」
女性は書き込みを受け止められず、体調を崩すこともありました。

つらい気持ちを誰かに聞いてもらいたいと、「統一教会被害者家族の会」に参加したこともありました。同じような境遇の人たちと話し合いたいと思ったからです。

しかし、すぐにメディアに囲まれ、インタビューを求められました。一被害者として参加したいと思っていましたが、周囲からの受け止めはそれとは異なるものでした。

参加者の中には、女性の会見を見て、20年ほどいた教団から脱会を決意したという高齢の元信者もいました。

元信者の女性
「小川さんのニュースを見て、子どもたちのことが重なりました。もっと現実を見ていかなければいけないなって思いましたね」

元信者と握手をして別れたあと、女性は突然、会場の片隅に座り込みました。

教団を脱会したあと、自分が感じてきたような生きづらさを、他の人に味わわせてしまっていいのか…。

「人生がかかってるわけですから、みんなの。人の人生を巻き込む資格が、自分にあるのかなと思ったり…。
だって60歳、70歳で間違いに気付いても、どうすることもできない人たちだっているわけじゃないですか。体力的な部分とか。これからその人たちが人生を再構築するなんて、どうしたらいいんだろう…」

女性は、「小川さゆり」としての活動ができなくなりました。

“被害者の声を歴史に残したい”

そのころ、国会では被害者を救済するための法案の審議が大詰めを迎えていました。「小川さゆり」が不在の中、それまで公衆の面前に立つことがなかった被害者たちも声をあげるようになっていました。

その姿に励まされた女性。さらに、これまで活動を支えてくれた夫が背中を押しました。

「夫や子どもを巻き込んで、これまで活動をしてきたのに、それであまりよくない法案ができたら、私、ただ失敗しちゃった人だなと考えていたんです。
でも夫が、『全然意味のないことじゃない。声をあげた人たちがいたことを、人々の記憶に残しておくことが大事だ』と言ってくれて。それで私もすごく納得しました」

「小川さゆり」としての活動を再開した女性。国会の会期末前日に、参考人として呼ばれることになりました。

国会で話すことが、被害者の声を歴史に残すことにつながる。参考人質疑では、ありのままの自分で思いのたけを伝えました。

「今回の法案の最大の積み残し課題は、子どもの被害が現実的にはまったく救済できないということです。

この法案の成立にあたっては、被害者が何度も被害を訴え、そのために現役信者や一般の方から攻撃され、自分の経験を話すだけでも深く傷つき、みなが体調を崩しながらも訴え続けてきました。被害者がそこまでやるしかなかったという事実を忘れないでいただきたいです」

「小川さゆり」として声をあげ始めてから4か月。
通常なら1年はかかると言われていた被害者を救済するための法律は、異例ともいえる早さで成立しました。

さまざまな葛藤の中で声をあげ続けてきた女性。その姿は、私たちの社会が見て見ぬふりをしてきた問題の一端を浮かび上がらせました。

私たちは次の世代にどんな未来をつないでいくのか、これからが問われています。

【関連記事】
解散命令請求はどうなる?旧統一教会に関わる問題点イチから整理

  • 大淵光彦

    首都圏局 ディレクター

    大淵光彦

    1998年入局。報道局おはよう日本を経て2021年から首都圏局。ヘイトスピーチやネットの誹謗中傷など、人権にかかわる企画を制作。

ページトップに戻る