離島の村 人口減少との戦い
人口増加に転じるまでに

ことしで日本に復帰して70年となる鹿児島県のトカラ列島。
戦後、アメリカ軍の統治を経て、1952年に日本に復帰しましたが、思わぬ苦難の道のりがありました。
人口減少と戦ってきた離島の村は、独自の取り組みを進めることで人口が増加に転じることもあり、増加率が全国2位になったこともありました。その理由は…
(鹿児島局 高橋太一記者)

1年復帰が早かったことで…

現在の鹿児島県十島村は、屋久島と奄美大島の間に位置し、悪石島や中之島など7つの人が住む島=有人島と、5つの無人島からなる、人口およそ700人の村です。火山帯に位置していて、温泉も有名です。

アメリカ軍による6年間の統治を経て1952年に日本に復帰したトカラ列島は、新たに十島村として戦後の歴史を歩み始めました。

そして翌年、同じように米軍統治下に置かれた奄美群島も日本に復帰。国境がなくなった島々と本土は自由な行き来が可能になり、経済発展が期待されました。

ところが、十島村には思わぬ苦難の道のりが待ち受けていました。

肥後正司村長が指摘したのは、奄美より復帰が1年早かったことで、十島村は特別措置法の対象にならなかったという歴史です。

「奄美群島に足を運ぶ中で、私たちの地域の整備が立ち遅れているというのは、目に見える形で感じてきました。占領下に置かれた環境というのは同じであったにもかかわらず、十島村は特別措置法が受けられなかった。今でもなぜなのかという気持ちは持ちます」

全住民が移住した島も 進む人口減少

特別措置法とは、日本から切り離された歴史を「特殊事情」としてとらえ、復興や開発に向けた特別な財政支援などを行ったものです。奄美に加えて、小笠原や沖縄といった日本に復帰した十島村以外の全ての地域が対象になり、急速にインフラ整備などが進みました。

ところが十島村に適用されたのは、他の一般的な島と同じ「離島振興法」でした。
復帰当初に期待されたほど、開発は進みませんでした。

(肥後正司村長)
「村の港湾整備はもう30年以上の時間をかけて進めているんですが、金額的に補助は少額規模なものですから、なかなか進みづらい状況です」

仕事を求めて島から出て行く人は急増。復帰から20年弱で村の人口は半分以下まで減少します。

そして、1970年、医療や教育など行政サービスが維持できなくなった臥蛇島では全島民が移住する事態になりました。
皮肉なことに、島にとっては多額の税金が無人化のため投入されたのです。

当時の記録映像は「鹿児島県は移住のために1300万円の予算を組んだ。それは臥蛇島に対するかつてない投資額であった。行政の光が初めて当てられたとき、島は捨てられるときだったのである」と伝えていました。

産業を育てて人口減少を食い止める

「第2の臥蛇島を出してはいけない」

村は人口減少を食い止める対策を、住民などを巻き込んで模索し続けてきました。

その1人が、平島出身の日高重成さんです。

島で住み続けるためには産業を育てる必要があると考え、17年前、特産品を全国に販売するNPOを立ち上げました。

「トカラ列島には農協もない。特産品協会も、観光協会もありません。課題を捉えて島の復興、活性化に繋げていくということが非常に重要になると考えて、団体を立ち上げました」

長年、県職員として農業振興に関わってきた経験を生かし、農家の育成や生産の仕組み作りにも力を入れています。

人口増加率 国内2位にも

村も全国に先駆けて移住者の呼び込みを始めます。
急激に減少した人口ですが、次第に下げ止まります。人口が増加に転じ、増加率が国内2位になったこともありました。

最近では、船で島を回るワクチンの巡回接種や、山海留学生など次々と独自の取り組みを行って、規模が小さいからこその魅力を発信しつづけています。

苦難の道のりの中、独自性を磨き上げてきた十島村。
支援を求めるだけではなく、自ら生き残るための力を蓄えるのが、復帰70年で築き上げてきた伝統です。

(悪石島に伝わる仮面神ボゼ)

(日高重成さん)
「みんなが地域の産物で豊かな暮らしができる条件をつくっていくという、共同体のあり方っていうのを模索していきたい」

(肥後正司村長)
「地元で様々な活動に取り組んでいる方々も巻き込んで、人口対策を進めていくことが今後の島にとって重要だと思います」

全国で都市部への人口集中がみられる中、十島村は、人口の少ない離島の訴えが少数意見として受け入れられなくなっていくことへの危機感を持っています。

国からの支援が限られていたからこそ、自分たちの力で人口減少を乗り越えようとしてきた十島村。
厳しい状況の中でも、今後も住民たちと一緒になって人口対策や島の発展に取り組んでいきたいとしています。

鹿児島局記者
高橋 太一
2017年入局。奄美支局を経て現在は安全保障や県政を担当。これまでに鹿児島県内18の島を取材。離島からは地方の課題と解決のヒントが見えてきます。