ポーランド同行取材ルポ
避難民らのまなざし

4月5日、日本政府は、ウクライナの避難民20人を受け入れた。
岸田総理大臣の特使としてポーランドを訪問した林外務大臣の帰国に合わせて、政府専用機に乗せて日本に入国させる極めて異例の対応だった。
今回、わたしは林大臣に同行して、5日間、取材を行ってきた。
その間の、現地で目にした光景や取材記録をお伝えする。
(小口佳伸)
【Link】Russian Invasion: Japanese Foreign Minister Learns Evacuee Challenges

吹雪のワルシャワ

出発したのは4月1日。
もともとは、出入国在留管理庁を所管する古川法務大臣が訪問するはずだったが、家族が新型コロナに感染し、濃厚接触者になった。訪問の延期も検討されたが、出発前日になって、林外務大臣が代わりに行くことが決定。
直前になっても、現地での日程が半分以上固まらないままの慌ただしい出発となった。

午後9時に羽田空港を出て15時間半の飛行、到着したのは現地時間の2日朝5時半。

気温は0度。
桜の咲く日本とは対照的に、到着したワルシャワのショパン空港は吹雪だった。

飛行機を出ると、ほおに冷たい風と少し水分の多い雪が打ちつけてきた。
現地の大使館が用意したバスで移動中、車の音も生活の音も聞こえない。
緊張のためか、ただならぬ雰囲気を肌に感じながら、滞在するホテルへと向かった。

避難民施設のにおい

その日の午後、ウクライナから避難してきた人たちが滞在している施設に向かった。
施設は、ホテルから車で20分ほどにあるワルシャワ市内のポルスカという地区にあった。

ふだんは展示会場などとして使われていた施設だという。2500人くらいが滞在していて、施設の内外は24時間態勢で監視されている。

敷地入り口のゲートの脇には、大きなウクライナの国旗が掲げられていた。
敷地内にある駐車場は、避難してきたと思われる人たちの車でほぼ満車状態。
歩いて施設を目指す人や施設内に出入りする車など、往来もひっきりなしだった。

施設の入り口では、喫煙する人や立ち話をする人などの姿が見られ、「ママ!」と泣き叫ぶ子どもをたしなめる祖母とおぼしき女性もいた。

施設に入ると、すぐ右側はカフェのような休憩場所となっていた。子どもの遊び場も設けられている。

施設内の滞在スペースに仕切りなどはなく、簡易ベッドがところせましと並ぶ。毛布にくるまって眠る人、スマートフォンを操作する人など、さまざまだ。

施設の関係者が「カバン1つだけでポーランドに来た人がいる。そういう人たちのために洋服やベビーカーなどを用意している」と説明してくれた。

施設に避難している人たちのほとんどが、女性と子どもだ。
ウクライナ政府は、防衛態勢を強化するため、18歳から60歳の男性の出国を制限している。多くの男性がウクライナに残り、祖国のために戦っているという現実を目の当たりにした。

施設の外で取材していると、1人の男性が近寄ってきた。スープを手に持っている。

「俺のスープはうまいぞ。食べないか」

ベルギー出身の男性だという。施設の前にキッチンカーを構えてスープを振るまっているそうだ。10年来交際している女性がウクライナ人で、今回のロシアによる軍事侵攻を受けて、ウクライナから避難してきたと教えてくれた。

本来、避難してきている人たちが飲むべきスープだと思い、私は遠慮したが、スープを飲んだ人は「めちゃくちゃうまかった」と話していた。

施設の前には複数のキッチンカーが並んでいた。施設に併設された倉庫のような場所では料理をしているような音も聞こえる。

ウクライナでは多数の市民が死亡している。
この施設にも、多くの人がけがをしながら避難してきた。このため、避難所は、血や火薬など、もっと生々しい「戦争」のにおいが漂っているのかと思っていた。

しかし、そこは、避難してきた人たちに振るまうためのさまざまな料理のにおい、まさに「支援」のにおいに包まれていた。

緊張感漂う国境周辺

4月3日。
朝、ウクライナとの国境に向かってホテルを出発する前に、キーウ(キエフ)郊外のブチャで多数の遺体が見つかったという衝撃的な情報が入ってきた。
緊張を感じながら、朝、バスでワルシャワを出て、南東部にあるウクライナとの国境のまち、メディカへ向かった。

林大臣が乗った車の後に続いて走った。現地の警察とみられる車が、サイレンを鳴らしながら、大臣の乗った車を護衛した。

車窓から見える景色は、雪景色と冬枯れした木々がほとんど。たまに鳥が空を飛んでいるくらいだ。
わたしは若い頃、北海道で勤務したが、札幌から新千歳空港に向かう電車の車窓から見た景色と似ている気がした。
国境に近づくにつれ、雪は少なくなり、国境周辺に来ると、道路に雪はなかった。

休憩を挟みつつ、5時間ほどで国境に着くと、大きな検問所があった。

私たちが着いたときには、ウクライナ側からポーランドに入る人は少なく、逆にポーランドからウクライナに入る道路の方が車列で混雑していた。

検問所の奥、すぐ先がウクライナという国境ぎりぎりのところに建物が立っている。
入国審査を行う場所かと思ったら、そこはメディカルセンターだった。
ロシアの軍事侵攻が始まった直後は、このメディカルセンターにウクライナから多くの傷を負った人たちが駆け込み、治療を受けたという。

メディカルセンターの向かいには、小さなゲートがあった。そこでは、ウクライナから避難してきたと見られる人たちが、入国の手続きに向け、待機していた。

3台の車が横に並んで手続きを待っていた。家財道具を乗せてきたのだろうか、いずれも、トラックやキャンピングカーのような大型の車で、運転席や助手席にいる人の多くはやはり女性だった。
そのうちの1台では、親子と思われる年格好の3人が、前の座席に肩を寄せ合って座っていた。

笑顔はない。けげんな目でこちらを見ていたのが印象に残った。

現地で働く日本人の目

林大臣は、4月2日と3日にワルシャワと国境近くの町ジェシュフで、政府の「ウクライナ避難民支援チーム」のメンバーと会い、現状について説明を受けた。

2日は、宮島昭夫ポーランド大使をはじめとするチーム、3日は、松田邦紀ウクライナ大使をはじめとするチームだ。

2チームあわせて20人ほど。メンバーは、在ウクライナ大使館の防衛駐在官や領事班長、それに在フィリピン大使館の書記官などで、世界各地から集められた。

誰1人としてゆるんだ顔の人はいなかった。誰の目も緊張に満ちていたのが印象的だった。

わたし自身、日々、ウクライナ情勢に関する政府内の動きなどをニュースで発信しているが、地理的に遠いウクライナの状況をリアルな感覚で捉えられているか、おぼつかない部分もある。
しかし、前線にいる日本人たちは明らかに違った。そういう緊迫した目をしていた。

早朝のサイレン

今回、報道陣の関心を集めたのは、日本に受け入れる避難民のことだ。
特使の林大臣とともに、政府専用機で日本に入国する極めて異例の対応なだけに、NHKも分厚い体制を構築して報道にあたった。

ただポーランドに来ても、政府はまだ公に避難民を連れて帰ることを認めておらず、人数や性別、どこに滞在しているのかもはっきりしていなかった。

林大臣は滞在中、毎日、記者団の取材に応じたが、日本に受け入れる避難民については、「何も決まっていない」と繰り返すだけだった。

政府内の保秘の壁は厚く、いよいよ訪問最終日という4月4日になってもその状況は変わらなかった。
この日、林大臣は、午前中からポーランドの大統領や首相、それに外相との会談、共同記者発表など、日程が詰まっていた。

私は、その一連の日程が始まる前に自分が行う中継やリポート用の原稿をかためてしまおうと、現地時間の朝5時すぎに起床し、ホテルの自室で作業にかかった。そのさなか、ホテルの外でサイレンの音が聞こえた。その時は火事か何かだろうと思い、大して気にもとめず作業に集中した。

そして、一連の日程をだいたい終えた現地時間の午後2時すぎ、最後に林大臣が記者団の取材に応じた。
林大臣はそこでようやく、20人の避難民を政府専用機で連れて帰ることを明らかにした。
そして続けてこう述べた。

「日本への渡航に際して、不安を覚えていらっしゃるかもしれない避難民の方々に、少しでも安心していただこうと考え、本日朝、搭乗予定の避難民の皆さまに直接お会いをして激励のことばをお伝えをしたところです」

「『本日朝?』… もしかしてあのサイレン!」

頭の中で、国境に向かうバスの中で聞いた大臣護衛の車のサイレンと、その日の朝、原稿を書いている途中に外で聞こえたサイレンの音が重なった。

あれは、避難民に会いにいった林大臣の車の護衛車のサイレンだったのか。
違うかもしれない。でも、たぶんそうだ。

あのとき、部屋を出て、ロビーで林大臣らの戻りを待っていれば、間接的な形であっても、日本への避難を希望する人たちの思いを取材することができたかもしれない。

せっかくの同行取材であり、貴重な機会を逃したという苦い思いがしばらく残った。

帰国して

今回の同行取材で印象に残ったのは、現地で見た人たちの目だった。
避難してきて施設にいた女性や子どもの目。国境で手続きを待っていた女性の目。現地で働く日本人の目。そこにいた人たちの目は、明らかに緊張感に満ちていた。

まだ侵攻は続いている。
どうすれば早く終わるのか。そのために何ができるのか。わたし自身もそうだし、世界中の人が自分ごととして考えなくてはならない。そう感じた訪問だった。

政治部記者
小口 佳伸
2002年入局。札幌局、長野局、首都圏局を経験し、現在は政治部・官邸担当。ことし3月の岸田総理大臣のインド・カンボジア訪問にも同行。