総理について海外へ
こんなに検査を受けました

新型コロナウイルスが広がって以来、初めて総理大臣が海外に行くことになりました。
記者として、これはついていくしかない。この時期に海外、大変だろうな…とは思っていましたが、予想を超えていました。何を見て、体験したのか、すべて公開します。
(長谷川実)

今回の旅は「お一人様限定で」

私、長谷川は、外務省記者クラブに詰める記者です。NHKの4人の記者をとりまとめる「キャップ」で、総理や大臣が海外に行けば、同行取材するのが役目…なのですが、8月に担当になって以来、コロナの影響で一度も行く機会はありませんでした。

そんな中、9月30日に「総理大臣の同行記者募集」なるメールが送られてきました。いよいよ同行取材が再開か、などと考えながらよく見ると…

「新型コロナウイルスの影響による制限を踏まえ、ペン記者は各社1名となるように調整してください」

なんと、1人だけ。

NHKの場合、総理が外国訪問する際には、記者だけで2人か3人を同行取材させています。要人との会談や、講演や演説、現地の企業関係者や学生との懇談、視察など、スケジュールが分単位でびっしり詰め込まれているのが総理の外遊。ニュースを迅速に出しつつ、中継リポートなどもすることを考えると、とても1人ではこなせません。1人での派遣は、知るかぎり初めてのことになります。

「お前が行ってくれ」
翌日、上司から派遣を告げられました。

絶対に、かぜもひけない

そこから、緊張の日々が始まりました。
「絶対に、体調を崩せない」
1人での派遣を命じられてから、出発するまで17日。鼻かぜ程度であっても、発熱すれば政府専用機への搭乗を拒否されるかもしれません。

そして出発直前には、初めて受けるPCR検査が待っています。
もちろん、感染しているという自覚症状はありません。ありませんが、そんなものは無症状の人もいる新型コロナという病気に関しては、あてになりません。

十分に感染防止を心がけていても、新型コロナもかぜも、かかってしまうことはありますし、それは仕方のないことです。「たとえそうなっても責められるいわれはない」と頭では思っても、私が現地に行けなくなったり、派遣中に体調を崩したりしたら、NHKの報道に確実に影響が出てしまいます。

最近では取材先や友人との会合も、感染防止を講じながら少人数でやることはありましたが、ほぼすべてキャンセルしました。

このところ夜に冷え込むことも多くなったので、多少暑いかなと思っても、フリースを着て布団に潜り込みました。睡眠不足になってもいけませんが、暑くてなかなか寝付けず、これは試練でした。

そんな生活をしていても、朝起きると、何となく熱っぽい時もあれば、喉がいがらっぽい時もあります。
おそるおそる体温計の数字をのぞき、ほっと息を吐く。そんな日々が続きました。

初めてのPCR検査

最初の関門、PCR検査は外務省が一括して予約し、出発4日前の10月14日にセットされました。

その日の朝早く、他社の同行記者とともに都内のある医療機関に集合しました。

検体を入れる容器を手渡されたあと、狭い個室に。防護服を着た人たちがいて、片方の鼻の穴に綿棒のようなものを通されると、あっけないほどごく短時間で検査は終わりました。1分かかったでしょうか。

そのあと別室で医師の診察を受けました。ここはむしろ取材です。

医師を質問攻めにしました。最も気になっていたのは「どの程度、陽性が出ているか」です。
医師によると、この医療機関では7月から海外渡航者を対象にしたPCR検査を行っているといいます。1日あたり15人程度、これまでに約1000人が検査を受けましたが、陽性者はゼロだったとのこと。少し安心しました。

「マスクや手洗いなど基本的な感染対策をしっかりと行っていれば、そう簡単に感染するものではありません。マスクをせずに長時間対面で話すようなシチュエーションには気をつけてください」
そんなアドバイスを受けました。

検査の結果、陽性であれば電話が来るということでした。

詳しい結果連絡は後日になりますが、午後5時までに連絡がなければ陰性と考えていいとのこと。外務省内の記者クラブに戻って、祈るような気持ちで時間が過ぎていくのを待ちます。

あと1時間、あと30分…こんな気分は受験か就活以来か。

午後5時。電話は、ありませんでした。

後輩たちが笑顔で「おめでとうございます」と声をかけてくれ、安堵感がじわりと広がりました。

しかし安心するのはまだ早い。最初のハードルを越えただけです。

総理大臣や随行員は、検査どうする?

相手国にウイルスを持ち込んではいけないし、日本に持って帰ることも許されません。
ベトナムは比較的感染状況が落ち着いていますが、インドネシアは感染が広がっていました。

政府は随行職員の人数を絞り込み、不測の事態に対応できるよう医務官も同行させることにしていました。

菅総理をはじめ一行は全員、出国前のPCR検査と、帰国時の抗原検査を日本で受け、現地では公式行事以外は原則としてホテルから外出禁止としました。

新型コロナへの対応は、国によって違います。ベトナムとインドネシアでも必要な対策に違いがありました。

菅総理と外務省局長以上の高官など一部は、ベトナム入国の際のPCR検査は免除されましたが、随行職員の多くや私たち記者団は、ベトナム入国時にも検査は必須とされました。日本でクリアしたのに、もう一度か…

一方、インドネシアでは、日本での出国前やベトナムですでに検査を行っていることなどから、入国時の検査は必要ありません。ただ首脳会談が行われる大統領宮殿は厳格な規制が行われているため、会談の出席者は改めてPCR検査が必要となりました。菅総理と真理子夫人のみ、外交儀礼で免除となりました。

私たち記者団は大統領宮殿に入ることは許可されず、代表取材のカメラマン1人だけが認められました。

「密」な政府専用機での対策

出発は、10月18日の日曜日。
閑散とした羽田空港の国際線ターミナルに昼ごろ集合し、外務省職員から非接触型の体温計でチェックを受けました。

自分用の体温計を持参するようにも言われていて、これから毎朝検温し、申告しなければなりません。

商用の民間機は運航していないため、今回は記者団も含め全員が政府専用機に搭乗することになりました。
このため、後方座席に割り当てられている記者のスペースは、比較的「密」な状態に。

政府専用機を運用するのは航空自衛隊、クルーは全員自衛隊員です。今回の外国訪問にあたって、機内の感染対策も大変だったのではないでしょうか。
責任者である特別航空輸送隊の中田茂司令に、電話で話を聞いてみました。
「感染が広がった3月からコロナ対策を想定した訓練を開始し、航空会社などの対策を参考にマニュアルを策定しました。クルーが感染しないか相当緊張感がありました」

クルーは機内でフェイスガードやマスクを着用し、機内食のナイフ、フォーク、おしぼりなどは使い捨てのものに取り替えたということです。

制服などは頻繁に消毒し、マスクも何度も換えたとか。
機内の雑誌は回し読みとなるため撤去し、代わりにマスクや消毒液を置いて「感染対策コーナー」としていました。

総理の「あいさつ回り」

離陸後、機体が水平飛行に入り、シートベルトの着用サインが消えます。しばらくすると、フライトジャケットを着用した菅総理が記者席の方に現れました。これが恒例の「あいさつ回り」です。

安倍前総理の外国訪問の際にも、この「あいさつ回り」は行われていましたが、安倍総理は比較的駆け足でした。
一方、菅総理はゆっくりと足を運び、記者ひとりひとりと目を合わせて会釈をしていました。狭い機内なので、至近距離で目が合います。その目には、初めての外国訪問に臨む決意と緊張感がこもっているように見え、一種独特の迫力がありました。

さて、ゆったりとフライトを楽しむ、なんてことはしていられません。ここからもう本番です。
機内で過ごす時間は、原稿の準備のための貴重な時間です。いったん到着すれば、怒濤のように押し寄せる情報を書いて出すことに忙殺されます。首脳会談の予定原稿づくりなどに集中しました。

もうひとつ大事なのが、日本から持参したマルチタップにパソコン、携帯、レンタルWi-Fiのチェックです。どれかのバッテリーが切れたり、通信ができなくなったりしてもバックアップができるよう、私は常に6系統ぐらい用意しています。そうしたデバイスの充電などの準備も怠れません。

ベトナムで「2つめの関門」

約6時間のフライトののち、ベトナムに到着。現地の日本大使館が用意したバスで、ホテルに向かいました。

車窓から何とはなしにハノイ市内の風景を眺めていると、マスクをしていない人が多いことに気づきました。ざっと見た感じでは、5人に1人程度しかマスクをしていません。

感染状況が落ち着いているからだとは思いますが、日本との違いに「大丈夫なのか」という気持ちも。
ハノイ支局の特派員に聞いたところ、市中にウイルスが持ち込まれるとあっという間に広がってしまうおそれがあるからこそ、ベトナム政府は水際対策を徹底しているのではないかとのことでした。

記者団の乗ったバスは、宿舎となるホテルの裏口に到着。
そこで出迎えた大使館員たちは、なんと防護服に身を包んでいました。

ホテル内の一室でPCR検査を行う手はずとなっていて、そのまま裏口から館内に誘導されました。

検査会場の部屋には防護服を着た5人のベトナム人女性がいて、記者が2人ずつ招き入れられます。検査は念入りで、両方の鼻の穴に検体採取の棒を突っ込まれたうえ、舌や喉の唾液などもぬぐい取られました。

日本での経験から、結果は比較的早く出るのではないかと思っていましたが、早朝まで待たないと連絡できないと告げられました。

それまで部屋から一歩も出ないよう厳命され、外務省が用意した弁当が部屋の前に置かれることに。鶏のから揚げを黙々と口にしました。見た目も味も、日本のお弁当とあまり変わらず、「ベトナム」を感じることはありませんでした。

日本時間の朝6時すぎ、同行記者全員が陰性だったとメールで連絡を受け、2つめの関門をクリアしました。

首脳会談が終わらない!

翌19日、日本時間の午前11時前から、菅総理とベトナムのフック首相の首脳会談が行われました。

冒頭部分のみ報道陣に公開されますが、入れる記者は2社のみ。この2社の記者は代表取材なので、他社のために出席者や両首脳の発言をメモにして配布しなければならないルールがあります。事前のくじ引きの結果、私と共同通信の記者が代表で入ることになりました。

会談が始まると、あれ、日本側もベトナム側もマスクをしていませんね。
「水際を通り抜ければ、割と大丈夫なんだな」
そんなことを思いながらメモを取り始めました。

ところが問題が発生。フック首相の日本語通訳が、あまり上手ではないうえに、声が小さい。聞き取れない箇所が続出しました。早くメモを配布しなければなりませんが、不正確なものを作るわけにはいきません。2人で何度もICレコーダーを聞き直し、文言を確認しました。

ようやくメモを配布し、しばらくすると会談が終了して会場の扉が開きました。
両首脳が、政府関係者や記者団でごった返すエントランスホールまでゆっくり階段を降りてきます。そのまま並んで会談の成果を発表する「共同記者発表」が行われました。

記者発表が終了したのは日本時間の午後0時40分ごろ。午後2時のニュースには間に合わせなければ。遅くとも1時半ごろまでには原稿を納入しなければならず、残された時間はそう多くありません。ホテルのプレスセンターに戻って書き始めたのでは、間に合いません。

ホテルに移動するバスの車内で、すぐにでも原稿に取りかかりたいところでしたが、菅総理は記者発表を終えたあともフック首相と談笑していて、なかなかその場を動きません。総理が現場を出発するまで、記者団はその場で待機するしかない。座るスペースもなく、これでは原稿も書けませんし、会見の文言を改めてチェックすることもできません。

まだなのか…最初の訪問国にベトナムを選んでくれたことに対する、フック首相の歓迎の意はよく伝わってきます。が、こちらはジリジリ。

結局、こんなこともあろうかと、備えをしていたことで助かりました。東京・渋谷の放送センターに同僚に待機してもらい、ハノイからリアルタイムに送られてくる記者発表の映像を見て、文言を文章に起こしてもらっていたのです。そのサポートがあって、何とか原稿を間に合わせることができました。

インドネシアではYouTubeで取材!?

翌日はハノイから次の訪問国、インドネシアの首都ジャカルタに移動しました。

インドネシアでは累積の感染者数が、10月20日の時点で日本の3倍以上となる36万人超にのぼっています。感染対策には、いっそう気を遣わなければ…気を引き締めました。

ベトナム政府の対策と比べて、水際対策が気になりました。
まず、入国時のウイルス検査が必要ないのは前述のとおりですが、宿舎のホテルに到着したら、館内のレストランやショップは自由に利用していいとのことでした。ベトナムにはあったプレスセンター内の仕切りもありませんでした。

ただ、首脳会談が行われた大統領宮殿の規制は厳しいものがありました。同行した関係者によると、アメリカのトランプ大統領が感染してから厳しさが増したとのこと。

記者団に用意されたのは、なんとYouTube。ホテル内のプレスセンターで、インドネシア政府が配信する映像を見るしかないというのです。

菅総理とジョコ大統領との首脳会談では、マスク着用のうえ、日本側とインドネシア側の間に透明の板がセットされていました。

菅総理は、インドネシア伝統のバティック柄のマスクを着用。地元の大使館員が購入し、日本出発前に、総理自身がいくつかの中から雲の絵を選んだということでした。現地のメディアからは、おおむね好評だったようです。

この取材では、実は1人だけ、宮殿に入って取材することができました。映像取材の代表となった、NHKの松崎靖裕カメラマンです。

ただ「1人だけ」なので、大変な様子でした。カメラ、三脚、バッテリー、伝送用の機材と、総重量約30キロになる機材を全て背負って内部へ。
取材を終えて戻ってくると、全身が汗でずぶ濡れでした…。
(松﨑カメラマンがどんな体験をしたのか 詳しくはこちら)

最後の検査で見たのは、黄色いアレ

一連の日程を終えて、羽田空港に到着。最後のウイルス検査が待っていました。抗原検査です。

抗原検査は、PCR検査より結果が早く出るものの精度は低いとされてきました。しかし精度の向上に伴って、羽田空港などの主要空港では、PCR検査の代わりに実施されています。

検査に必要なのは、だ液です。

選挙の際の投票ブースのようなところで、容器の定められた線のところまで唾を落としてためていきます。

そのブースにあったのが…レモン!?

正面に大きなレモンの写真が貼ってありました。これで想像して、唾が出やすいように、ということなのでしょうか。シュールだ…。

2時間余りで検査結果が出て、記者団は全員、陰性でした。これで3度にわたるウイルス検査を、無事突破したことに。

ようやく肩の荷が下りた気がして、力が抜けました。
でも次の瞬間、この一連の経験は記録にして残さなければ、とも思っていました。

この記事は、自宅で書きました

陰性だったこともあり、同行記者団は、政府から特例で2週間の隔離は免除されました。
ただNHKはより厳格な対応を取り、私は11月4日まで、自宅で自主隔離をすることになりました。いま、この記事も自宅で書いています。

同行取材が決まった10月1日から1か月間以上にわたって、日常生活や業務になんらかの制約や不自由が生じ、心身にもかなりの負荷がかかったことは否めません。アメリカ大統領選挙の取材など、いまの状況下で海外に派遣される記者は、みんなそうなんだろうな、と屋根の下で思っています。

現在では機材や技術の進化で、東京にいながら撮影映像をリアルタイムで見ることができる環境になっています。インドネシアでYouTubeを見せられたことも象徴的で、いまや現地への同行は必要ないじゃないか、と思われるかもしれません。

しかし現場に行かないと分からないことは、確実にあります。その場所の空気感、首脳や関係者の表情や振る舞い、それを感じ取ってオリジナルの記事にできるからこそ、私たち記者の存在意義があるのだとも思います。

リモートとリアルをどう組み合わせるのがベストなのか、コロナ禍での取材のあり方を、改めて考える機会にもなりました。

政治部記者
長谷川 実
1998年入局。徳島局を経て政治部。自民党、民主党、防衛省などを取材。仙台局でデスクも。8月から外務省担当キャップ。