健康保険証廃止 舞台裏で何が

政府が来年秋にマイナンバーカードと一体化させ廃止するとしてきた健康保険証。しかし、トラブルが次々と明らかになり、与野党双方から見直しを求める声が相次いだ。政府は対応を検討したが、6月の法改正に伴って決まったばかりの方針を転換することへの反発も強く、現時点で延期は見送られた。その舞台裏に迫る。
(馬場直子、並木幸一)

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廃止方針は維持

「国民の皆さんの不安を招いていることにおわびを申し上げる」

8月4日午後6時、総理大臣官邸で記者会見した岸田文雄。
来年秋に今の健康保険証を廃止する方針は当面維持した上で、マイナンバーカードと一体化した保険証を持っていない人すべてに「資格確認書」を発行することなどで、国民の不安払拭に努める考えを示した。

廃止表明は去年10月

「2024年秋に現在の健康保険証の廃止を目指す」

保険証の廃止時期は、デジタル大臣・河野太郎が去年10月、初めて明らかにした。

これに対しては「マイナンバーカード取得の事実上の義務化だ」といった反発も出た。カードの取得自体は任意のはずなのに、保険証が廃止されれば、取得の必要性が高まるからだ。
一方、廃止時期の明確化はカード普及の一因にもなったという指摘もある。

岸田は、ことし1月の施政方針演説で「様々な工夫を重ね、今や運転免許証を大きく超え、日本で最も普及した本人確認のツールだ」と成果を誇った。
政府は、3月、保険証を廃止し、マイナンバーカードと一体化することなどを盛り込んだ法案を国会に提出。6月に成立させ、来年秋の廃止に向けた取り組みが進められた。

トラブル続出

一方で、この間、マイナンバーカードをめぐる、さまざまなトラブルが表面化する。【リンク・特集「止まらないマイナンバートラブル 岸田政権の難局」】


他人の住民票が発行されるトラブルや、ほかの人の口座が登録されたケース。
一体化した保険証をめぐっては、他人の情報が登録されていたケースがあることが5月に明らかになった。さらに、医療費や薬などの情報を他人が閲覧できたケースもあった。

総点検で不安払拭目指す

続出するトラブル。政府は対応に追われた。

通常国会が閉会した6月21日、政府は省庁横断の対策本部を設置。
岸田はカードの取得者向け専用サイト「マイナポータル」で閲覧できる医療や年金、福祉など29項目のデータの総点検を実施するよう指示した。


岸田は記者会見で「(保険証の)全面的な廃止は国民の不安を払拭するための措置が完了することを大前提」と条件を付けざるを得なかった。

支持率下落

しかし、世論は厳しかった。

7月のNHKの世論調査で、来年秋に今の健康保険証を廃止し、マイナンバーカードと一体化させる政府の方針について尋ねたところ、◇「予定どおり廃止すべき」が22%、◇「廃止を延期すべき」が36%、◇「廃止の方針を撤回すべき」が35%で、廃止への理解は広がらなかった。
マイナンバーカードをめぐるトラブルも影響してか、内閣支持率も落ち込んだ。

NHKの世論調査では、6月、7月と2か月連続で下落。7月の支持率は6月より5ポイント下がって38%と、ことし2月以来の30%台を記録した。

与野党から見直し論

そして、7月に行われた国会の閉会中審査。


河野や厚生労働大臣・加藤勝信が廃止方針に理解を求めたのに対し、与野党双方から時期の見直しを求める意見が相次いだ。


立憲民主党代表の泉健太は、記者団に対し「『保険証を残さないと不安だ』という声は国民からも広く出ている。国民の要求に応える姿勢がなければ、より混乱の極みになる」と述べた。立憲民主党は、いったん立ち止まるべきだとして廃止の時期を延期するための法案を秋の臨時国会に提出する方針を示した。
さらに、見直しを求める声は、与党幹部からも。

自民党政務調査会長の萩生田光一は「国民が不安に思ってる以上、不安を払拭してこそ信頼あるシステムになっていく」と述べ、期限ありきで進めるべきではないと指摘。
参議院幹事長の世耕弘成も「説明しても信頼回復につながらないのであれば必ずしも期限にこだわる必要はない」と述べた。

厚労省は廃止方針維持

一方で、廃止に向けて準備を進める厚生労働省内からは反発も起こった。

「いつまで延期するのか?延期そのもの、そして延期する期間、あらゆる理由を国民に説明する必要が出てくる。国民に説明ができなければ政権は信頼を失ってしまう」(厚生労働省内)

自民党からも見直しを求める声が出ると、厚生労働省の幹部は語気を強めた。

「延期などという話はない。一貫して反対だ」(厚生労働省幹部)

対案検討

廃止延期を止める道はないか、対案も検討された。
その1つが保険証の廃止後もカードを取得していない人などが必要な診療を受けられるようにする「資格確認書」の扱いだ。
当初は本人などからの申請に基づき、1年以内の有効期間付きで交付するなど、あくまでも例外的な位置づけだった。しかし、加藤が申請が見込めない場合には「プッシュ型」で交付することを検討する方針を打ち出したのに続き、有効期間も今の保険証にならって延長できるよう検討が進められた。
厚生労働省の幹部に「保険証と資格確認書の違いは何なのか」と尋ねると、こう答えた。

「全国民に発行しないってことしかない。資格確認書は保険証と変わらない」(厚生労働省幹部)

厚生労働省は、資格確認書を事実上、今の保険証と同じものにすることで、国民の不安を払拭し、廃止延期は行わないよう官邸を説得したとみられる。

7月31日、突然、厚生労働省を訪れた岸田の腹心、官房副長官の木原誠二。
関係者によると、迎えた加藤は、改めて廃止時期は延期すべきでないという考えを伝えたという。

日程も二転三転

当初、翌日の8月1日に予定されていた関係閣僚による協議は延期に。2日や8日に岸田が会見するという情報も流れたが、日程も二転三転することとなった。

延期には法改正必要

こうした中、政府・与党内からも次のような意見が出始める。

「やはり保険証の廃止方針は維持すべきだ」(政府・与党内)

延期する場合は、法改正が必要になることが大きな理由だ。廃止のため前の通常国会で成立させた改正マイナンバー法などを、今後、国会で、延期のため再び改正しなければならなくなり、かえって混乱を生むおそれがあるからだ。

「そうなれば、マイナンバー国会になる。野党が攻勢を強め、秋の衆議院の解散も難しくなり、総理の解散権が縛られかねない」(政府・与党内)

「保険証の廃止はやらないとダメだ。一体化すれば、ものすごく便利になるんだから、それをもっと言えばいい」(総理大臣経験者)


さらに、公明党代表・山口那津男は、「いま廃止時期の延期を決める理由がまったく分からない。1年先に向けてどういうことをやり、国民の不安を払拭するのかをきちんと政府として説明するのが先だ」と語気を強めた。この発言は、いわば厚生労働省にとって援軍とも言えるものとなった。

岸田決断

廃止延期を求める声と、現時点で延期はせず資格確認書で対応すべきとする声。
間に挟まれる形になった岸田。ついに決断の時が来た。

「国民の声・現場の声を重く受け止め、国民の不安払拭を最優先とした対応をとっていく」
「作業の状況も見定めた上で、さらなる期間が必要と判断する場合には、必要な対応を行う」

この決断に至った背景について、ある政府関係者はこう解説する。

閣僚間も含めて意見に相違がある中、ここで突っ込めば、対立を生み、政局になりかねなかった」(政府関係者)

一方で、こうも語った。

「今回は、現場の意見を尊重し、厚生労働省などの案を飲んだ。でもこれで果たして国民が納得するか。今後の世論の動向しだいで、将来的な延期の余地はまだ残っている」(政府関係者)

課題も

結果、廃止時期は現時点で延期しないことになった保険証。今回の事態を政府は国会でどう説明するのか。このまま保険証の廃止へ道筋をつけられるのか。事態の収拾には、なお国民が納得いく説明と時間が必要となりそうだ。

(文中敬称略)

動画はこちら(8月4日放送)↓

政治部記者
馬場 直子
2015年入局。長崎局から政治部。野党クラブなどを経て厚生労働省クラブで保険局を取材。8月からは官邸クラブで河野デジタル大臣を担当。


政治部記者
並木 幸一
2011年入局。山口局から政治部。官邸、野党担当などを経て、現在厚生労働省を担当。