銃撃事件1年「岸田は間違いなく自信深めた」しかし…

元総理大臣・安倍晋三が凶弾に倒れた7月8日、記者団の前で涙をにじませていた総理大臣・岸田文雄。
あの日から1年。総理退任後も最大派閥を率いて強い影響力があった安倍の死で、岸田政権はどう変わったのか。総理周辺や与党幹部らの証言で浮き彫りにする。
(古垣弘人、清水大志、米津絵美)
※記事の最後で動画をご覧になれます。

安倍派 いまだ“漂流”

安倍遺影

安倍の死から1年。

生前、安倍が率いてきた安倍派は、自民党最大派閥で100人を擁するが、今もトップ不在のままだ。会長代理の塩谷立と下村博文が暫定的に運営する形をとっている。

一周忌が迫る6月28日、安倍派事務総長の高木毅は、会長代理の塩谷に“安倍派5人衆”の総意を突きつけた。

「5人を中心に派閥運営をさせてもらいたい」

この前々日の夜、“5人衆”は都内の日本料理店にひそかに集まっていた。「5人を中心に派閥運営」とは、事実上、現在、会長代理の塩谷と下村に退いてもらうことを意味する。出席者のひとりは「固めの盃を交わした」と周囲に明かした。

安倍の死後、存在感の低下が指摘される安倍派。5人による“集団指導体制”への移行を目指す動きは、会長代理としてリーダーシップが見えないという塩谷らに対する派内の不満が背景にあるという。

しかし、ただちに安倍の後継となる会長を決めるわけではない。派内には「この際、トップを決めて存在感を高めるべきだ」という声もあるが、“5人衆”のうち誰か1人を会長に推し立てると、外れた人やその仲間が派閥と距離を置くようになるための苦肉の策だ。

かつて派閥トップを務め、今も派内に隠然たる影響力を持つ元総理大臣・森喜朗は「しばらくは会長は決められないだろう」と周辺に漏らした。

残る絶大な影響力

さかのぼること2年前、岸田政権が誕生した2021年秋。憲政史上最長の総理大臣を務めた安倍は、すでに退任して1年が経っていたが、保守層からの支持は根強く党内での影響力は大きかった。党総裁選の決選投票でも岸田選出の流れをつくったとされる。

岸田と安倍

政権発足後も、岸田が安倍に気を遣う場面が目立った。

安倍の事務所にも定期的に足を運んでいた。事前に意見を聞いていたとみられる。

安倍は「総理が決めることですよ」と応じつつも、注文をつけることもあったという。

“安倍傀儡政権”?

去年1月、象徴的な場面があった。

佐渡島の金山

新潟県の「佐渡島の金山」を世界文化遺産としてユネスコへ推薦するかどうかの対応だった。当初、政府内では、韓国が朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされた場所だとして反発していたことを踏まえ、「見送るべきだ」という意見も根強く、岸田もその方向に傾きつつあった。

一方「韓国側に配慮して推薦を見送るのはおかしい」と考えていた安倍。外務省幹部を呼び出して意見を伝え、安倍派の会合でも「間違っている」と発言し、岸田に強いプレッシャーをかけた。安倍の主張は保守派の議員を中心に自民党内で大きな広がりを見せた。

最終的に岸田は、安倍に背中を押されるように1月28日夜、推薦を表明した。

岸田、推薦表明

この時も表明前の昼過ぎには、安倍に事前報告をしていた。

こうした姿を野党は“安倍傀儡政権”などと批判した。

突然失われた「政治の軸」

「安倍さんの影響力は長く続くだろう」

政府・与党関係者の多くがそういう見方だった。

亡くなった安倍を乗せた車

そんなやさきの去年7月8日。参院選の最中、安倍が突然、凶弾に倒れ亡くなった。

ある政府高官はこう嘆いた。

「政治の大きな軸が失われた」

永田町には、「岸田が自由になる」という見立ても一部にあった。

しかし、岸田に近い議員たちは懸念を強めていた。

党内では比較的、リベラルとされる岸田。“傀儡”“言いなり”など、なんと言われようと、生前の安倍を、党内の保守派をまとめる重しとして頼りにしていた側面があった。

岸田に近い関係者はこう証言する。

「安倍元総理は岸田総理に注文をつけながらも常に落としどころを考えていた。総理経験者として、最後は岸田総理への理解や敬意を示すことを忘れていなかったように思う」

重しを失った党内。

「これは混乱するぞ」こうした見立てが相次いで聞かれた。

「防衛増税」で自民内が混乱

見立ては的中する。

去年12月、岸田は防衛費増額に向けて、安定的な財源確保が不可欠だとして、唐突にも見える形で増税の検討を指示した。

当時の政権幹部は、岸田の心境をこう推し量った。

「防衛力強化は、安倍元総理が中心となって唱えていた。岸田総理は安倍さんの分も、自分が先頭に立ってやらないといけないという思いだったのではないか」

安倍の遺志を実現しなくてはいけないという使命感もあったのだろうか。

しかし、自民党内からは、「経済成長を阻害する」「あまりに拙速だ」などと、増税への反対や慎重意見が相次いだ。時の総理の指示に対し、ここまで反発が出るのは近年では異例だ。そして、そうした論陣を張る議員の多くは、安倍派の議員だった。安倍は“積極財政派”でも知られ、生前、防衛力強化の財源は国債でもいいと言及していた。安倍派が勢いづいたようにも見えた。

岸田に近い党幹部の1人ですら、「総理は指導力を発揮しようとしたのかもしれないが、国民生活に直結する増税を何の根回しもなしに言い出し、党内の不満は頂点に達している。財務省に寄り過ぎている」と厳しい見方を示した。

最終的には「2024年以降の適切な時期に増税を実施する」方針を決め、岸田が押し切ったかのようにも見えた。しかし「以降」という文言で、具体的に増税をいつするのかは持ち越される形となった。意見が完全にまとまりきれないままの、まさに玉虫色の決着だった。

党四役の1人は安倍の不在を嘆いた。

「安倍さんは2回も消費税率の引き上げをしたんだから実は誰よりも財政規律の大切さをわかっていた。党内の積極財政派に向けてわざといろんな発言をしたが、それは『安倍さんが言っているなら…』と最後は抑える形に持っていくための計算だったと思う」

増税方針をめぐる党内の混乱は、安倍という重しを失ったことの影響が露見した象徴的な場面だった。

“岸田カラー”を

ただ、岸田は、今年に入って自身の色を強めようとしているとも受け取れる動きを見せ始める。

それが、年頭の記者会見での「異次元の少子化対策に挑戦」という表明だった。

政権の最重要課題に位置づけて急ピッチで検討を進め、6月には児童手当の所得制限撤廃・高校生までの支給拡大などを盛り込んだ「こども未来戦略方針」を閣議決定。子ども・子育て予算を、今後3年かけて従来の1.5倍程度の3兆円台半ばにしていくことを決めた。

予算規模の調整の最終局面でこんな場面があった。

当初、役所側は3兆円で決着をはかろうと提案。しかし、ここで岸田は、高等教育の拡充や障害児支援の強化が足りないと指摘。みずから主導して5000億円規模、一気に上積みさせたのだ。自民党幹部への事前の相談もなかったという。

政府関係者はこう話す。

「トップダウンの政治判断だ。岸田総理は自分がやりたいことをやるだけでなく、その時代に総理を務める人が責任を持ってやらなければいけないことをやるという思いだ」

党内「配慮」「分断」も試みか?

増税方針をめぐっては党内が混乱したが、岸田は政権基盤の安定も図ろうとしている。

自身が率いる岸田派は45人で党内第4派閥。安倍派の半分にも満たず、盤石ではない。

だからこそ、第2派閥を率いる麻生太郎と、第3派閥を率いる茂木敏充との連携を重視する。2人を副総裁と幹事長という党の最高幹部に起用。政権発足以降、今も3人で定期的に会談し、重要政策の意見を聞いている。「異次元の少子化対策」では、茂木の意見も尊重する姿勢を見せた。

一方、安倍派への対応も、手をこまねいているわけではない。当初から官房長官に起用している松野に加え、安倍の死後の内閣改造・党役員人事では、政務調査会長に萩生田、経済産業大臣に西村を起用。“5人衆”のメンバーを重要ポストに取り込んでいる。

閣僚経験者は、その意図をこう解説する。

「岸田総理には、岸田派、麻生派、茂木派で権力を掌握し、安倍派を分断し、緩やかに排除しようという狙いが透けて見える」

得意の外交で存在感

長期政権を築いた安倍は「地球儀を俯瞰する外交」を掲げ、国際社会で存在感を示してきたが、岸田もそれを見習うかのように、ことしに入って積極的な外交を展開し始める。3月のウクライナ電撃訪問や5月のG7広島サミットが記憶に新しいが、総理周辺が岸田らしさが出ているとしたのが、日韓関係だ。

安倍政権で太平洋戦争中の徴用をめぐる問題などで戦後最悪と言われるまで悪化していた両国関係。去年5月に誕生した韓国大統領・ユン・ソンニョルが、一転、改善に意欲を示した。

岸田は当初こそ慎重な姿勢を崩さなかったが、韓国側から徴用をめぐる問題の解決策が示されると、改善への動きを主導した。ことし3月にユンを日本に招き、今度は5月にみずからが訪韓。日韓首脳が相互訪問する「シャトル外交」は12年ぶりのことだった。

日韓両国の協議にあたって、岸田はこう指示していたという。

「ダメなものはダメだが、粘り強く改善努力を続けて欲しい。両国の間のとげを抜きたいんだ」

保守層の反発も予想される中、ぎりぎりまで落としどころを探り、最後は、関係改善を優先する決断に踏み切ったとみられる。

【リンク】「韓国がこの案で? すげえな」日韓協議の舞台裏

政府関係者はこう証言する。

「安倍元総理の死で、岸田総理の考えや姿勢が変わったとは思わないが、よりいっそう現実主義になったように思う。安全保障環境が、ここまで厳しくなる中で『やらなければいけないことをやるんだ』という思いが強くなったのではないか」

春以降、自民党内では、徐々に岸田を評価する声が広がっていった。

「安倍さんの顔色を気にしている印象もあった岸田総理だが、脱皮してきている」(閣僚経験者)

「反撃能力の保有など、安倍政権だったら野党も含めて反発が大きくできなかったことを総理は難なく成し遂げている」(党幹部)

岸田、主導権発揮か

通常国会の終盤、岸田が主導権を握ろうとした局面が2つあった。

ひとつが6月19日掲載の政治マガジンで舞台裏を記した“解散風”発言。

【リンク】「緊張感持続させたい」吹き荒れた“解散風”の真相は?

そして、もうひとつが、LGBTの人などへの理解増進法の成立だ。

おととし、超党派の議員連盟で法案が作成されたが、自民党内で保守派に押し返され、提出に至らなかった経緯があった。当時、安倍も法案提出に慎重で、その後、いわば「塩漬け」にされてきた。

ことし2月、岸田は、同性婚をめぐる総理秘書官(後に更迭)の差別的な発言で批判が高まったことをきっかけに、G7も近づく中、理解増進法案の提出に向けた検討を幹事長の茂木に指示した。

今回も、安倍派を中心に自民党内の保守派に慎重論があり、容易には進まなかった。

しかし国会終盤、超党派議連の法案を保守派に配慮して文言を修正した与党案が提出されると、岸田がさらに踏み込んだ。必ず法案を成立させること、それも自民・公明両党だけでなく、日本維新の会や国民民主党も賛成する形で実現させることを指示したのだった。岸田自ら複数の幹部に直接電話して説得する力の入れようで、法案は成立した。

自民党内では「岸田総理の指示がそのまま実現された。政治の風景が一変している」との声があがった。一方で、保守派の議員にとっては、「安倍さんが健在だったらこんな法案は提出すらさせなかっただろう」「岩盤の保守層が大きく離れ、このままでは選挙も厳しい」などと岸田への不満が残る結果となった。

一方、法案に反対した立憲民主党からは、「岸田総理は、法案を通すという形だけにこだわった結果、超党派議連でまとめたものから後退した。当事者からも失望の声があがっている」と批判が出た。

今後、どうなる?

最大派閥・安倍派で会長不在が続く中、自民党内で今、来年秋に想定される次の自民党総裁選に名乗りを上げる人物は見当たらない。

ある派閥の領袖は「総理はこの1年で間違いなく自信を深めている。安倍さんがいるときはかなり気を遣わざるを得なかったが、安倍派が割れていて、政権運営をやりやすくなっている」と話す。

また、岸田や執行部と距離を置く閣僚経験者でさえ、「現状、対抗できる人物は誰もいないんだから総理は思いっきりやればいいんだ」と語った。

ただ同じ与党の公明党からは安倍亡きあとの岸田政権の変化に戸惑いの声も出ている。東京での選挙協力を解消し、関係悪化が顕著となっていて、あるベテランは「安倍さんや菅さんは公明党への配慮をそのつど示していたが、岸田さんはそれがない。両党のパイプは細っていくばかりでこのままではまずい」と危機感をあらわにしている。

一方、安倍との個人的関係をベースに、時に政権と歩調を合わせ、大阪での万博誘致などを成し遂げてきた日本維新の会では、次の衆院選も見据え、「安倍さんや菅さんと違い、岸田総理には全く恩義はない。遠慮する必要はない」と主戦論が台頭している。

岸田は、麻生や茂木との連携を軸に、党内で保たれた力の均衡の中で、時に困難に直面しながらも徐々に党内基盤を確立しつつあるようにも映る。

一方、内閣支持率は、マイナンバーカードをめぐる混乱などを背景に下落傾向だ。岸田の党総裁任期が来年秋に迫る中、主要派閥や有力議員の動向はなお流動的な要素もある。ことし後半の党役員人事や内閣改造、そして、衆議院の解散・総選挙をめぐる観測が飛び交う中、岸田はどんな道筋を描き、政権運営を進めていくのか。そして日本の政治はどういう姿となっていくのか。予断を許さない展開が続く。

(文中敬称略)

動画はこちらから↓

政治部記者
古垣 弘人
2010年入局。初任地は京都局。自民党・安倍派の担当などを経て官邸クラブに。
政治部記者
清水 大志
2011年入局。初任地は徳島局。自民党・岸田派の担当などを経て官邸クラブに。
政治部記者
米津 絵美
2013年入局。初任地は長野局。平河クラブで自民党・安倍派、政務調査会など担当。