山形の漆芸家 輪島の仲間に“漆”で恩返し
- 2024年03月13日
能登半島地震で大きな被害を受けた輪島市。
「輪島塗」の産地として知られ、漆芸が盛んな地域です。しかし、漆芸関係者の多くが被災し、生産や作品の制作を中断せざるを得ない状況が続いています。
かつて輪島市で修行をし、いまは山形市を拠点に活動する漆芸家が、輪島の漆芸関係者を支援するプロジェクトを立ち上げ、いま、支援の輪が全国に広がりつつあります。
原動力は、漆芸家だからこそ感じる仲間の苦しみと、「助けたい」という思いでした。
(NHK山形アナウンサー 山田真夕)
同じ漆芸家だから感じる “生きがい”を失う怖さ
山形市を拠点に活動する漆芸家・松本由衣(まつもと・ゆい)さん。
被災地の漆芸関係者を支援するプロジェクトの発起人です。
松本さんは、大学で漆を専攻した後、3年前まで主に石川県を拠点に活動。
憧れだった輪島市でも、仲間とともに腕を磨きました。
漆で繋がっている仲間がいる場所なので、私にとって“第2のふるさと”です。
「第2のふるさと」が、1月1日の能登半島地震で甚大な被害を受けました。
松本さんは、輪島市で活動する多くの漆芸仲間が被災したことをSNSで知りました。
胸が締め付けられる思いです。誇りを持って仕事をしている場所がこのようになってしまうと、自分だったら「もう無理だ」と思ってしまう。
職人さんは、ふだん作業をしていると手にタコができますが、震災で作業場が使えなくなって、タコが手からなくなってしまったという仲間もいます。
みなさん漆芸に携わっている人たちは、それぞれの仕事にやりがいを感じていて、自分の役目があって、生きがいになっています。でも、それが奪われてしまうことは、命と同じくらいの重さで怖いことだと思います。
取材者の視点👀
「山形の学生が被災地の支援を始めた」と聞いたことが取材のきっかけでした。ただ、私が最も気になったことは、石川県から離れた山形県にいる松本さんが「なぜ支援をするのか」ということでした。
松本さんと初めて電話で話したとき、活動の内容はある程度話してくれましたが、被災地の仲間を思う松本さんの気持ちを聞き出すことはできませんでした。その後、何度かやりとりを重ねる中で、その思いを徐々に語ってくれるようになりました。理由を尋ねたところ、「当事者しか分からない気持ちもあるのに自分が語っていいのか」という葛藤があったと明かしてくれました。
「なぜ支援をするのか」。その答えは、「同じ漆芸家だからこそ感じることができる喪失感」と「苦楽を共にしてきた仲間への恩」でした。
「ひとりじゃない」 仲間のために始めた支援
ともに切磋琢磨してきた仲間のために何ができるのか。
松本さんは、地震の影響が比較的小さかった金沢市の作家に声をかけ、ともに支援プロジェクトを立ち上げました。
そのひとつが、「チャリティーオークション」。
売り上げを輪島市の漆芸関係者に寄付し、工房の再建などに役立ててもらう計画です。
松本さんの思いに共感した全国の漆芸作家78人が作品を出品。
そのほとんどが落札され、およそ330万円が集まりました。(3月13日で入札終了)
心強いし、やはりみんな同じ思いでいたのだろうと思いました。
ふだんはそれぞれの活動をしているけれど、それが崩れそうになったいま、『同じ“漆”でつながる仲間がたくさんいるよ』『ひとりじゃないよ』というメッセージが、被災地にうまく伝わればと思っています。
松本さんとプロジェクトをともに運営する金沢市の作家も、同じ気持ちです。
(プロジェクトに参加した金沢市の作家)
同じ石川県内で活動していますが、輪島市にいる仲間から連絡が全くこなくて、とても心配でした。「何かしたい」が、「何をしたらいいのか分からない」と悩んでいた時に松本さんに声をかけてもらえて、よかったです。
(プロジェクトに参加した金沢市の作家)
いまは地震直後で多少目を向けてもらえていますが、これを風化させないように継続的に動いていきたい、というのがいま見える範囲での目標です。
取材者の視点👀
松本さんは、ここまで共感してくれる人がたくさんいるとは思っていませんでした。次第に、「自分の気持ちに正直に、思うように行動していいんだ」と感じるようになっていったといいます。
ひとりひとりが被災地に思いを寄せることは、復興への活力になります。『輪島の漆芸を守りたい』『仲間を助けたい』という思いでつながって行動に移せば、さらに大きな支援になるということを実感しました。
山形でも広げる“支援の輪”
山形市の東北芸術工科大学で講師を務める、松本さん。
漆芸の作家だけでなく、山形の学生にも支援の輪を広げています。
有志の学生およそ60人で、漆塗りの箸を200膳制作。
輪島市の漆芸関係者を支援するための寄付金を募り、返礼品として届けることにしました。
毎日使うもので、被災地に思いを寄せてもらおうと考えたのです。
箸は、能登のヒバを使用し、木を加工するところから手作業。
パッケージも、学生がデザインしました。
(プロジェクトに参加した学生)
小学2年生のときに東日本大震災で被災した経験があって、今回は私が被災地を応援する側に回りたいと思って、参加を決めました。山形から少し距離はありますが、「大丈夫だよ」と伝えたいと思っています。
完成したのが…
その名も、「のとのかけはし」。
被災地と応援する人をつなぐ「架け橋」になってほしい、という願いを込めました。
松本さんは、仲間と再び漆が塗れる日が来ることを願っています。
「復興する」と言っても、元通りにすることは不可能だと思います。失ったものを戻すことはできない。でも、輪島の漆芸家が再びスタートを切れて、安心して活動ができることを目指していきたいです。
仲間もそれぞれの思いを持っていて、「諦めていない」と伝えてきてくれているので、1日でも早くみんなの心が休まって、かんなを持って木地を引いている姿や、はけを持って漆を塗っている姿をまた見たい。
チャリティーオークションと「のとのかけはし」を合わせて、およそ400万円の寄付金が集まったということです。
松本さんは3月中旬に輪島市を訪れ、仲間と再会。2か月以上たっても手つかずの場所も見たといいます。
松本さんは、ことしの夏にもチャリティーオークションを開く予定で、「継続した支援を行いたい」と話していました。
取材者の視点👀
松本さんは、『このプロジェクトが正解なのかは今でも分からない』と悩み続けています。被災地の仲間に、同じ場所で漆芸を再開させることを押し付けてはいけない、と考えているからだといいます。被災地の漆芸関係者が今後どんな決断をしようとも、松本さんたちの仲間を思う強い気持ちと行動が、輪島の漆芸の復興に向けた一助になると信じたいです。
動画はこちらから👇