【富山・被災地の声】氷見・姿地区 ”つながり”を絶やさない
- 2024年03月12日
富山県氷見市の姿(すがた)地区では、1月1日の地震で多くの住宅が被害を受けました。
市が指定した避難所まで避難するのが難しい高齢者が多かったことなどから、地区の集会所を自主的な避難所にして、住民たちがお互いに協力しながら食事の準備などを行ってきました。
69世帯150人 小さな集落の「自主避難所」。
そこで2か月を過ごしながら、次の生活へ向かおうとする人々の日々に密着しました。
一生をふるさとで過ごす。
そう疑わなかった日々からの変化を迫られた人々は、葛藤の中で何を語ったのでしょうか。
※この記事では3/8(金)に放送した番組
『“つながりの村”を地震が襲った
〜氷見市姿地区の2か月〜』
の一部をご紹介します。
番組本編は、3/15(金)午後7:57 まで
NHKプラスで見逃し配信をご覧いただけます。↓
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お年寄りには厳しい
自治体の避難所への道
姿地区・区長の山本譲治(じょうじ)さん。64歳です。
津波のときは、ここ高台上がりましょってことになっていたもんで。
地震の発生直後、集落を回って、住民たちに避難を呼びかけました。
しかし、市が指定する避難所までは、坂道を越えて2キロ以上離れていました。
指定の避難所までは、歩いて1時間ほど。お年寄りの方には無理かなと思って。
集落で日ごろお年寄りの体操教室などが開かれていた集会所。
山本さんは、やむなくここを自主避難所にすることを決めました。
地震から3日後。
30人ほどが避難生活を送っていました。
住民たちはコメを持ち寄り、断水が続く中、給水所から運んだ水で、おにぎりを握りました。
避難所の「次」を考え始める時
地震の後、毎日のように地区を回っていた山本さん。
集落の変化を感じていました。
次の生活のための片づけ。
早く暮らしを落ち着かせようと、集落を離れる人が現れ始めました。
地区には、仮設住宅や、みなし仮設と呼ばれるアパートなどはありません。
おばあちゃん(母)が隣近所、親戚だったし、離れたくないって言ってるけど、諦めて諦めてって言って。
「命あっただけでいいでしょ」って慰めているけど……
”つながり”を切らさぬように
1月18日。
避難所で過ごす人は、次第に減っていきました。
山本さんは、集落に残ります。
しかし、地区のおよそ4分の1にあたる世帯が、住むことができなくなっていました。
姿集落を残したいっていうのはありますよ。
やっぱり、自分もここが生まれ故郷やし。寂しさと不安はありますね。この後、本当にどうなるのかというのが。
3月になっても、山本さんは地区の見回りを続けています。
もう一度、姿の人が集まれる日を待ち望んでいました。
ここ(集会所)で村の人と集まって、『元気か?』とか、声の掛け合い、話し合いもできるかと思って。月に1回はやりたい思いはあります。
NHKプラスで見逃し配信中
番組本編は3/15(金) 午後7:57 までこちらご覧いただけます。
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