徳島の農業 時代と共に変化し発展した歴史を映像で振り返る
- 2024年04月11日
NHKの貴重な映像で県内各地の歩みを振り返り「徳島の未来」を見つめる企画シリーズ。
今回は吉野川流域の農業。時代と共に変化しながら発展してきた歴史を振り返ります。
多品種で高付加価値 吉野川流域の農業
3月、にんじんの収穫が最盛期を迎える季節です。
主な産地となっているのが、吉野川の流域。
肥沃な土壌で、にんじんをはじめ、さまざまな野菜が栽培され、主に京阪神に向けて出荷されることから「関西の台所」と言われています。
多品種で付加価値の高い農産物を生み出してきた、吉野川流域の農業の変遷を振り返ります。
徳島の繁栄を支えた「藍」
吉野川流域では藍が栽培され、徳島の繁栄を支えてきました。最も栽培が盛んだった明治時代の栽培面積はおよそ15000ヘクタールにのぼりました。
藍は加工することで、付加価値の高い商品として販売できることから、米を作るよりも収益性が高い作物でした。
しかし、明治時代に化学染料が登場し、藍の価格は暴落。徳島の人たちは、藍づくりに代わる産業を必要としました。
「藍」から「養蚕」へ
藍づくりに代わる産業のひとつとなったのが、戦前、輸出品の中心であった生糸を作るための養蚕業でした。
徳島でも収益性の高い藍の代わりに桑を植える農家が多く、昭和5年、県の耕地面積の、およそ2割の土地で、桑の葉の栽培がおこなわれていました。
徳島の農家は繭を収穫する技術が高く、一反あたりの生産量は全国でもトップクラスでした。
灌漑設備を整備し米作りへ
また、養蚕だけでなく、藍に代わる産物を作るために取り組んだのが、用水路の工事でした。
吉野川の水を畑へと流し、米を作ることができる土地へと変えてきたのです。
こちらは、吉野川市から徳島市にかけての土地を潤す麻名用水(あさなようすい)。明治45年に完成したものです。
こうした灌漑設備が整うなかで、吉野川流域では、米作りに励む農家が増えました。
戦後の食糧危機による増産政策などもあり、明治32年からの水田率は、60年間で1.5倍にまで増えました。
米の減反政策をきっかけに転作が進む
藍に代わって農家の暮らしを支えた稲作でしたが、昭和40年代、変化が訪れます。食生活の変化で米の需要が減少し、米余りが起きていました。
こうした中、米の生産量を抑制する減反政策が、昭和46年から本格的に始まりました。
徳島県鳴門市では、全国でも一番広い面積の転作が行われ、水田が次々と姿を変えていきました。
鳴門市で米の代わりに作られたのは、レンコンでした。同じ面積で米の収穫の3倍の収益を上げられることもあり、多くの水田がレンコン畑に姿を変えました。レンコンを売ってお米は買い入れていました。
国の補助金も活用し昭和35年からの10年間で、レンコンの栽培面積は3倍以上に広がりました。
レンコンだけでなく、サツマイモも米の転作をきっかけに栽培が広まっていきました。吉野川流域の農家は時代に合わせて、たくましく、作物を転換してきました。
春にんじんの発展
藍住町や板野町などの地域で盛んに栽培されているにんじんも、作物を転換し発展してきた一つです。
この地域ではかつて大根や白瓜を栽培してきましたが、昭和30年代に畑を半円形に覆った農業用ハウス栽培の技術が確立されたことがきっかけで、にんじんの栽培が広がりました。
このことで全国的に供給量が少ない春に、にんじんを出荷できるようになり、付加価値の高い土地利用ができるようになりました。
今では吉野川流域を中心に、およそ1000ヘクタールに及ぶ土地でにんじんが栽培され、徳島県の春にんじんの生産量は全国1位となっています。
徳島を代表する産物として成長した、にんじんの栽培に初期から取り組んだ人を祖父に持つのが、藍住町の農家、小林裕太(こばやし・ゆうた)さんです。
栽培が始まり半世紀以上。収穫用の農機具の普及などで効率化が進み、今では10ヘクタールの畑でにんじんを作っています。
小林裕太さん
「おじいちゃんが昭和32年からハウスで春にんじんを栽培をし始めて、現在にいたるという形です。いまは機械で作業してるんですけど、昔は全て手作業だったので大変だったと思います。昔の人はすごい。あの人らがおったおかげで、僕らもいまこうやって仕事もできるんで。」
藍から、蚕や米へ。そして、レンコンやにんじんなどの野菜づくりへと、吉野川流域の農業は、時代の要請に合わせて、移り変わってきました。
高齢化による変化と新たな担い手
徳島の農業の変化を長年にわたり見続けてきたのが、徳島市中央卸売市場の河野康博(かわの・やすひろ)さんです。作られる農産物が変わってきた背景について、こう話します。
河野康博さん
「徳島は作付面積があまり広くないので、できるだけ小さい作付けで、できるだけ大きなお金を取りたいというように、非常に技術も勉強してですね、収量も取ってお金を取るというように努力しています。徳島は非常に技術が高く、何を作らしても上手に作りますね。」
高い技術力で市場の変化に対応してきた徳島の農家。近年、増えてきているのが、ミニトマトやブロッコリーなど付加価値が高いだけでなく、軽くて作業がしやすいものが人気となっています。その背景には、高齢化があるといいます。
河野康博さん
「年をとれば白菜とか大根とか、重たいものが持ちづらい。やはり、重量野菜と言うのは高齢化になったら、なかなか仕事がしづらいというようなことで、どうしても軽い青果物を扱いたいという形で変わってきていますね。」
進む農家の高齢化。農業産出額が県内トップの阿波市でも、7割以上が65歳以上となっています。高齢化が進む一方、若手にとっては活躍の機会も増えているようです。
7年前から農業を始めた、藤岡京佑(ふじおか・きょうすけ)さんです。父と同級生と3人で、
野菜を作っています。もともとは高校球児で、活躍の場をグラウンドから畑へと変えました。
藤岡さんは、阿波市で若手の農家グループにも所属。仲間とともに、自分たちで販売も手掛けるなど、新しい農家のあり方に挑戦しています。
藤岡京佑さん
「目標はしっかり農業法人をたてて、若い方、僕より若い人たちを雇って、しっかり経営を回していくっていうのが目標ですかね。」
藤岡さんは農業法人を経営していくために、使われなくなった畑を借り、野菜作りの規模を大きくしています。こうした藤岡さんの存在に、地域の高齢者などからは「土地を借りてほしい」という声も寄せられています。
藤岡京佑さん
「昔は農地を借りようと思っても借りれない時代だったんで、それが今こう、自然と借りられる形にあるんで、その辺はすごい恵まれてるなって思いますね。しっかりいいもの作って、貸してよかったって思ってもらえるようにしたいと思います。」
経営者になるという夢を抱き、実践していくことが、高齢化が進む地域への貢献につながっているようです。
吉野川の肥沃な土を生かした流域での農業。土地を生かして、どう生きていくのか。たくましく、試行錯誤してきた農家の姿が、常にそこにはありました。
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