辞書作りのプロ ことばへのまなざし 高松市出身 飯間浩明さん
- 2024年01月19日
連続企画「かがわ×ことばの達人」。2回目は、高松市出身の辞書編さん者・飯間浩明さんです。国語辞典の編集委員を務める飯間さんは、街中や雑誌から新たなことばを集める「ことばハンター」として知られています。ことばへの興味を育んだ香川での子ども時代や、辞書作りで目指すものを聞きました。
(シリーズ企画1回目はこちら)
辞書編さん者・飯間浩明さん。高松市出身です。街の中で気になるのは…。
ドキドキワクワクを縮めてドキワク・ストリートなんですね
ウェルビーイングな社会、どんな社会なんでしょう?
日々新しく生まれる「ことば」です。飯間さんのことばやコミュニケーションに対するまなざしをインタビューしました。
飯間さんが注目する最新のことばとは?
飯間さんに伺うお話のテーマ、3つ用意しました。まずは「辞書作りのプロに聞く最新のことば事情」。最近気になった新しいことば、どんなものがありますか。
いろんなところで気になっているんですけれども(笑) 最近、年末に「今年の新語」というイベントを辞書を作っている人々で集まってやりました。
それが、「辞書を編む人が選ぶ今年の新語」。大賞は「地球沸騰化」ということばでした。
国連のグテーレス事務総長が、“いまや地球温暖化ではなくて沸騰化の時代に入ったんだ”と記者会見で述べた。それで私は、これからは本当に軽く考えていた人も真剣に考えなければいけない、深刻な時代に入ったと思いました。そういうふうに、ひとつのことばで時代が変わったということを表現するってことはあるわけです。
「性加害・性被害」ということばも、注目されました。
性加害っていうことばは当たり前のようなことばですけれども、いままでそんなに使われてこなかったんですね。
セクハラとかそういうことばはありましたけれど。
そうなんです。あるいは性暴力とか痴漢行為っていうことばがあって、それぞれに性加害を表したことばではあるんですけれども、全体を議論することができることばとして性加害ということばが用意されたということは、非常に前進だと思います。
新しいことばを常に探して分析していらっしゃるわけですけど、新しいことばを見つけるのって何が楽しいですか。
それはね、まだ知らなかったことばがこの世の中にこんなにたくさんあるということを実感する、そのこと自体が楽しいんですよね。ことばを集めるうちに日本語の大きさに気付いて、そしてワクワクするっていう、そのワクワク感で仕事を続けているようなところがありますね。
「自分だけのことばの世界」をつくろうとした子ども時代
次のテーマは「ことばの世界に引き込まれた香川での少年時代」です。どんなお子さんでした?
やっぱりね、ことばや本が好きだったんですよ。運動の方は全く駄目でしたけれども、本を読むことや、本を買いに行くのも好きでした。
そのときに覚えたことば、あのときにあの本で覚えたんじゃないかなっていうことばはいまでも印象深く残っている場合が多いですね。例えば常とう手段なんて言うでしょ。いつも使う手段のことを常とう手段って言いますけれども、それは中学1年生の頃に小説で覚えたかなとかね。中学・高校と語彙を増やす時期なので、どんどんそういった大人が使うことばを覚えていくのが面白くてしょうがなかったということがありますね。
「自分だけのことばの世界を作ろうとしていたんじゃないか」とおっしゃっていましたけれど、それはどういうことですか。
それはですね、ことばをコミュニケーションの手段というふうにあんまり見ていなかったということなんですね。なんて言いますか、ことばをコレクションして楽しむっていうような感じがあったと思います。
でもそれだと、ことばっていうのは生きてこないですよね。お互いにキャッチボールをして、こうじゃないかな、こうだよねっていうふうに話をするのが面白いんであって、そのおもしろさをあんまり理解していなかったのかなというふうに思います。
香川の方言で好きな言い方ってありますか。
好きなことば、ありますね。「なんがでっきょんな」っていうんですよ。これはあいさつことばですかね。誰かが作業や仕事をしているところに別の人が通りかかって、「お?なんがでっきょんな」って声をかける。これは「何ができているんだね」っていうことだと思いますけれども、ちょっととぼけた感じもあっておもしろいと思いますね。
響きもいいですね。そこからコミュニケーションがスタートすることばですね。
まさにおっしゃるとおりですね。
コミュニケーションのための辞書づくり
そのコミュニケーションということにも関係する最後のテーマは「ことばへの悩みが語釈になる」。いまはことばについて香川での少年時代とは全然違う考えを持っていらっしゃるんですね。
全然違うと思いたいんですが、まあ根っこのところであんまり変わっていないのかなという気はするんですよ。だって、昔からことばを集めて1人でニヤニヤする、そこが変わっていないんですが、ただ、ことばというのが基本的にコミュニケーションのためのものであるということは辞書の仕事を通じて本当に痛感するようになりました。
飯間さんの作る辞書の語釈には、飯間さん自身のことばへの悩みが生かされています。例えば「頑張れ」ということば。
頑張れっていいことばですよね。スポーツで応援する時に“頑張れ、頑張れ”っていいます。でもそう言われて、“さあ頑張るぞ”っていうふうに五味さんはいつも感じますか。
私はちょっとひねくれてるというか、なんかちょっと卑屈になっちゃう時もありますね。“がんばれって言ったってさ、そんなに…”という感じで。
私もそうなんです。私だけじゃなくて頑張れって言われたためにかえって負担や重圧を感じてしまうという声がけっこうありますね。頑張れっていうことばをかけるとき、もちろん励ます効果もあるけれども、同時に重圧を与えるかもしれないなということは、ちょっと辞書に書いておいてもいいんじゃないかと思って。
その解説が・・・『心のこもったことばだが、言われると負担になると言う人もいる。「応援してるからね」などの言い方もできる。スポーツではその人の名前を叫ぶのもいい。』
辞書のイメージからするとちょっと踏み込んだというか。
そうですね、1歩踏み込んでいると思います。国語辞典っていうとどうしても古くさいイメージを持たれる方が多いと思うんですけれども、これからはことばを使う人が、なにが悩みでそのことばを引いたのかということを考えて説明を書くということが大事になってくると思います。
コミュニケーションって、ことばって、私たちにとってどういうものだと思いますか。
難しい質問ですけど、ことばはなんのためにあるかっていうふうな問いだったら答えられると思うんです。ことばは、本を読む時に語彙を知っておくと本がよく読めるということはあると思いますが、基本的には人と考えや思いや、そして情報を伝え合うためのものですね。それを忘れてはいけないと思います。そういう伝え合う力を磨くということが大事なんじゃないでしょうかね。
そのなかで飯間さんの辞書はどんな役割を果たしたいですか。
私たちの辞書はあくまでそのお手伝いをするということです。町のお医者さん、ホームドクターになりたいということですね。ちょっとこれどういうふうに表現したらいいんだろうなっていうときに手元の辞書を開いてみる。そうすると“あっ、ここに回答があった”、あるいは“的確なアドバイスがあった”というふうになれば一番いいと思いますね。 ぜひ辞書を楽しんでいただきたいと思います。
取材後記
不安が世の中を覆ういまだからこそ、「人と考えや思いや、情報を伝えあう」ということばの使い方を、私たちは磨かなくてはならないと感じます。目の前の人と、あるいはスマホの画面の向こうにいる誰かと、ことばの楽しさを味わいたい。辞書の手助けも借りて、語り合いたくなるインタビューでした。