東日本大震災 新原 泰佑さんが語る"あの日"

NHK仙台放送局制作のラジオドラマで、主演を務めた新原泰佑さん。
『Teko Poko Cafe』(9月2日放送) - FMシアター - NHK

今回、新原泰佑さんに“あの日”のこと、そして、“あの日”からのことについて、語ってもらいました。

 

2011年3月11日、新原 泰佑さんはどこで何をされていましたか?

(新原 泰佑)
僕は当時小学5年生で、卒業式の練習をしていまして体育館にいました。上を見たら体育館の大きい電気がすごく揺れていて、ステージに飾ってあった、いろんな飾りが揺れたり、紙とか物が引きちぎれて落ちてしまったりとかして。そこで地震が来てるんだっていうのがわかって。当時の11歳の僕なりにすごくパニックのようなものになったのはすごい記憶にあります。
校庭に出たら、低学年の子たちも泣きながら出てきて、先生たちにずーっと掴まってて、僕の同級生でも、本当に怖くて泣いている女の子もいたりとか・・・。そこで本当に自覚しましたね、これって、今までに経験した地震じゃないわっていうのをすごく思って。うまい言葉っていうか、オブラートな言葉が見つからないんですけど、壊れる感覚みたいなのがありましたね
(新原 泰佑)
僕はまだそのとき携帯電話を持っていなかったので、友だちと連絡を取るとかはできなかったんですけど、母とか家族とかはみんなは仕事場だったり、いろんなところにいたので、自分の家に住んでいる人じゃない親戚とかの安否が気になりますし、自分が学校にいたときは、親の安否も気になっていましたし。子どもなりにとてつもない不安にかられたのは覚えています

震災当時、埼玉に住んでいた新原さん。
周りに大きな被害はなかったものの、その後も落ち着かない毎日を過ごしたといいます。

(新原 泰佑)
テレビがまず、いつもやっている番組がやっていないっていうのがびっくりしたし、どのチャンネルを見ても、やっぱり画面の端っこには津波の情報だったり、地震の情報だったり、被害の何かしらの帯がある。なんだろう。ずっと常に緊迫している状態なんですよね、それが子どもながらに耐えがたいというか、いつ終わってくれるんだろう、いつ元通りの生活に戻れるんだろうっていうのは思っていました

“あの日”、大切な人たちと会えない時間を過ごした新原さんは、
意識するようになったことがあったといいます。

(新原 泰佑)
自分の中ですごく変わったというか、最近、心がけているじゃないですけど、地震が来たときにすぐ親だったり友人だったりに連絡をするようになりまして。やっぱり、そのときの返ってきた安心感もあるし・・・。地震のほかにも、ついこの前も雷がすごい鳴ったときがあって、そのときは友人に連絡しましたし、逆に友人からも連絡が来たりとか親からも来たりとかして、そうやって密に連携を取るようにしてまいす。後回しにしていいことはないとすごい思うので、今、やれるべきことは、今、やった方がいいっていう考えで動いています

新原 泰佑さん、貴重なお話をありがとうございました。 

NHK仙台放送局のサイト「あの日、何をしていましたか?」では、
みなさんの2011年3月11日について投稿を募集しています。
https://www.nhk.or.jp/sendai/311densho/souieba/