被災地を描かない漫画展 支持される理由は

東日本大震災の被災地を中心に、震災直後から11年以上にわたって開かれている漫画展があります。ところが、漫画に被災地は登場しません。描かれているのは、家族や友人にまつわる、どこにでもありそうなエピソードばかりです。
被災者が登場しない漫画が、なぜ被災地で支持されているのか。
漫画に支えられているという保育園の園長を通じて、その理由を取材しました。


【きっかけは1冊の本】

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わたしは震災の年の夏から3年間、仙台局で勤務し、その後、東京や新潟に異動してからも震災の取材を重ねてきました。
ことし6月、2度目の仙台勤務が決まり、書店で震災に関する本を眺めていたとき、一冊の本が目にとまりました。
「周辺からの記憶~3・11の証人となった10年」
京都府の立命館大学大学院の被災地支援プロジェクトをつづった本です。
被災者と支援する人の中心に、ある漫画展があったと書かれていました。

震災直後から取材を続けてきたのに、あれから11年以上開かれているという漫画展のことを知らなかった私は、その理由を知りたくて会場に向かいました。

 

【震災をテーマにしないって?】

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8月27日から9月11日まで多賀城市で開かれていた「家族漫画展」。

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展示されているのは関係がぎくしゃくしていた、一人暮らしの大学生の娘と母の話や、やんちゃで周囲を困らせていた子どもが、水泳を通じて立ち直ったという話。
いずれの話も被災した人や被災地には触れていません。

それでも、この漫画展は震災のすぐあとから、青森、岩手、仙台、福島の東北各地を中心に開かれ、全国で合わせて60回開かれていたのです。

漫画を見たひとは「わかる、わかる」「なんか、心にしみてくる」と、口々に「漫画に共感できる」と言っていました。

 

【漫画にひかれた保育園長の被災と園の再建】

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なぜ、この漫画が被災者に受け入れられてきたのか。
毎年、漫画展を楽しみにしているという黒川恵子さん(65)を取材しました。

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黒川さんが住む多賀城市は、震災の津波が押し寄せ、市の3分の1が浸水しました。

当時、市内の保育園で園長を務めていた黒川さん。
園は海から2.5キロほどのところにあり、およそ20人の園児は、いち早く避難して全員無事でした。

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しかし、園舎は高さ2メートルの津波に襲われ、おもちゃや遊具などは流されてしまいました。働いていた人たちもバラバラになり、現地での再建は諦めざるをえませんでした。

黒川園長
「これからどうしようっていう、あぜんとするというんですか」

黒川さんは、保育園を自分で再建するのは難しいと感じていましたが、一緒に働いていた
保育士のある言葉を聞いて、希望を失わずに前に進もうと決めました。

黒川園長
「ひと言ね、『仕事を探さなきゃ』と言ったんです。いままで一緒に働いてきた職員とかお母さんたちが仕事をするためには、保育所って必要だなと思い、頑張る決意をしました」

保育士の言葉に背中を押され、震災の翌月には、市の施設を間借りして保育園の運営を再開。
翌年にはトレーラーハウスを借りて園児を受け入れました。

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ばらばらだった職員たちも少しずつ戻り、3年間、トレーラーハウスで運営しました。

 

【園を再建 漫画と自身を重ね合わせ】

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黒川さんは振り返りながら、漫画のなかに、当時の自分と重なるものがあると教えてくれました。

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作品のタイトルは「信じる」。
ボートで海釣りに行った父と娘が、エンジンの故障で帰れなくなったという内容です。

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泳ぎが得意だという父は、娘を残して岸に向かいます。

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娘は父が助けに戻ってくることを信じボートの上で夜を明かしますが、その後、無事救助されたという話です。

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黒川さんは、この娘のように職員や支援してくれる人たちを信じることで、
再建を果たすことができたといいます。

黒川園長
「漫画に描かれている『自分を信じる、誰かを信じる、明日を信じる、未来を信じる』。
 この言葉がすごく響きました。一緒についてきてくれた仲間を信じ、
 自分を信じてくれた仲間がいたからここまでやってこれたのです」

 

【被災地での漫画展が意味するもの】

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黒川さんが毎年、楽しみにしているのが、漫画を描く団士郎さんが展示会にあわせて作品を詳しく解説する講演会です。

この日、団さんが解説したのは、娘と母の物語でした。

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母との関係がぎぐしゃくしている一人暮らしの学生の娘がいました。

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この状況をなんとかしたいと考えていた娘は、授業でたまたま隣に座った男子学生に悩みを打ち明けます。

そして、学生が何の気なしに勧めた「お母さんの代わりに家族にご飯でも作ってあげたら」というアドバイスを胸に、実家に帰ります。

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「こんなことぐらいで何か変わるはずもない」と思いながら家族に弁当を作ってあげました。

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その場では何もありませんでしたが、あとから、母が泣いて喜んでいたのを妹から聞いて知り、2人のわだかまりが解けたというのです。

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なぜ、親子のわだかまりが解けたのか、団さんは2つのポイントがあったと解説しました。
1つ目は娘の誠実さ。
特に仲が良いわけでもない男子学生に対し、正直に「母との関係で悩んでいる」と伝えたことです。

団士郎さん
「彼女のなかに母との関係を修復したいという誠実な願いがあったから、親しくもない男子学生に、正直に母との話を伝えた。その誠実さがいい」

2つ目は娘の行動力。
男子学生が思いついた「お母さんの代わりにごはんでもつくれば」という提案を、娘が「そんなことできるわけない」と思いながらも行動に移したことです。

団士郎さん
「こんなことやっても意味があるのかなと思ったけど、弁当をつくったことで母親との関係性が緩んだところもある」

団さんは、被災した人たちは厳しい状況にあるものの、日々の暮らしや家族があることは、誰にとっても変わらないことだと感じています。

漫画を読むことで、緊張感を強いられている人たちのこわばった心が少しでもほぐれてほしいと、思いを語ってくれました。

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団士郎さん
「被災地は、外から被災の物語しかないように思われたり、いつもそのことしか焦点が当てられずに語られたりするのは、被災した方の未来や復興にとってそんなによいことではない。わたしの漫画のような、この地域の話ではない話をほかから持ち込む。全然違う物語を持ち込むと、打開策がなかったような悩みなどに、あっと気づくことがある。問題を抱えた人の解決方法を提示するわけではないが、楽しんで見ていただければそれで十分」

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黒川園長
「被災した人はそれぞれいろんな問題を抱えている。自分だけじゃないんだ、こういう解決方法があるんだと頑なな自分を解放して、こうすればいいのかとか、いろんなヒントを漫画から頂いています」

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今回の取材のきっかけとなる本を書いた、立命館大学総合心理学部の村本邦子教授は、団さんとともに、11年半にわたって被災地を訪ね続けています。
村本教授はこれまで教え子と一緒に、漫画展を見に来た250人にインタビューしながら、漫画のいったい何が、見る人の心をつかむのか分析していました。

「被災した方にはそれぞれいろいろな被災の形があり、さまざまな問題を抱えた方がいるが、結局は家族の問題であることが多い。この漫画を読むことで、自分や家族、身の回りのことをちょっと振り返ったり、大切なものに気づいたりする。忘れかけていた記憶がよみがえったり、生きる力をくれたりすることもある。そんな力のある作品なのだと思う」

震災から11年以上がたっても続く「家族漫画展」。
見る人それぞれが、被災地で思いを重ねています。

 


uchiyama220916.jpg内山太介
1996年入局

静岡局、名古屋局で事件・事故を中心に10年近く関わったあと、福井や新潟、東京・科学文化部で原発報道に携わる。2011年から14年まで仙台局勤務。10年間のデスク生活を経て現場復帰。温泉と映画が好き。常に日本酒で乾杯。阪神タイガースの大ファン。