アイドルで気仙沼市職員 私が地元に根ざす理由

気仙沼市のご当地アイドル「SCK GIRLS」。
「S=産地、C=直送、K=気仙沼」がコンセプトで、東日本大震災の直後、地元を元気づけようと結成されました。

震災のあと、中学2年で参加した鈴木麻莉夏さんは、その後12年にわたってステージに立ち続け、いまは市役所の職員としても、まちを活気づけようと働いています。
ふるさとの笑顔を増やそうと、アイドルと公務員として、気仙沼に向ける思いを取材しました。

(NHK仙台放送局 記者:境彩花)

【きっかけは「ボランティアやらない?」】
2011年3月11日。
中学生だった鈴木麻莉夏さんは、気仙沼市の学校で激しい揺れに襲われ、その後、避難所に向かう途中で、校庭の周りまで津波が押し寄せるのを目の当たりにしました。

家族も自宅も無事でしたが、まちは大きな被害を受け、周りの大人たちが、毎日、炊き出しをしたり、がれきを片づけたりして、必死にまちを立て直そうとするのを見ていました。
鈴木さんは、大人たちの姿を見て「自分にできることは何か」と考え続けていたそうです。

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2011年の初めてのイベント

春から夏が過ぎ、秋になったころ、遊び場所を失った子どもたちが楽しめる場を作ろうと、地元の大人たちが、ご当地アイドル「SCK GIRLS」を結成しました。
鈴木さんはこのとき、中学校の先輩から「ボランティアやらない?」と誘われたと言います。

「ジャージに軍手を持って『私も何かしたい』と思って行って、ドアを開けたら踊っていて。『ボランティアの方が運営しているアイドルグループに参加してみない?』っていうのをめちゃめちゃ省略して『ボランティアやらない?』っていう言葉だったみたいで」

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【のしかかった「気仙沼」の重み】
まったく想像していなかった「アイドル」ですが、先輩や友達と一緒に活動できるならと、すぐに参加を決めました。

学校以外に新しい居場所ができ、活動を楽しんでいましたが、続けるうちに、心の中に葛藤が芽生えてきたといいます。

その理由は、鈴木さんが、震災で家族や家を失っていなかったからでした。

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「(追悼の曲を)歌うときに、私の身近な人で亡くなった方がいないっていうのもあって、後ろめたさとかがずっとあって。『その人が歌っていいのかな』『気仙沼っていう名前を背負っていっていいのかな』みたいなのを、ずっと悩んでるときがあって」

「アイドル」ではなく「『気仙沼の』アイドル」。
家族も家も無事だったのに、ステージに立ち続けていいのか。
生まれ育ったふるさとの重みに、10代の鈴木さんは、悩みました。

【それでも支えたのは「気仙沼」】
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しかし、活動を続けるうちに、その「気仙沼」が、笑顔を取り戻すための手を、差し伸べてくれました。
イベントをPRしようと、仮設商店街でチラシを配ると、津波で店を失ったおじさんやおばさんたちが、満面の笑顔で「頑張ってね」と、「ありがとう」と、声をかけてくれました。
自分を支えてくれた大人たちのように、苦しいときでも、誰かに力を与えられる人になりたい。
そう思った鈴木さんは、受け取った元気と笑顔を、ステージに立つことで気仙沼に返したいと、活動を続ける決心をしました。

その後、進学や就職で、グループを離れたメンバーもいましたが、鈴木さんは、参加してからずっと12年にわたって活動を続け、いまはリーダーを務めています。

「地元の方の『頑張れ』っていう言葉とか、あったかい言葉とかいっぱいもらって、それもすごい私自身やる気に繋がっていたし、『返さなきゃ』っていう気持ちでいっぱいだったので」
「自分たちが大変な中で、人に勇気や元気を分け与えられる大人がたくさんいて、その方々が元気にしたかった気仙沼を、私も一緒に元気にしたいなって。
それを間近で見たいなって。私には気仙沼を満員にするっていう仕事があるので、まだまだ途中です」

【あの人の思いを継ぎたい】
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もうひとつ、鈴木さんを支えてくれた存在があります。

それは、震災で傷ついた子どもたちが楽しめる場を作ろうとグループを立ち上げてくれた、初代の代表、阿部健一さんです。

阿部さんはいつも、鈴木さんに対して「音程があっていない」「ダンスが下手」などと、厳しいアドバイスをしていたといいます。そのたびに、負けず嫌いの鈴木さんは努力を重ね、ステージに立ち続けました。

しかし、阿部さんは、活動を始めてから2年後、病気で亡くなりました。

「『音痴』とか『下手くそ』とか、ひどいこともいっぱい言われたんですけど、見返そうといっぱい頑張ったのに、その姿を見せられないまま亡くなってしまって。(叱られていた)当時は気づけなかったんですけど『あなたがやりたかったことは共感できるので、伝えたいな』って。あの人が残してってくれたものはいっぱいあったので、そこでやることに意味があるかなって」

【活気づけられるのはアイドルだけじゃない】
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鈴木さんは、アイドルの枠を超えて、気仙沼をもっと活気づけたいと市役所で働き始めました。

「(市役所は)お客さんが全市民じゃないですか。いま見ている自分の視野よりも広いことを見られるかもしれないと思って。気仙沼が元気になって、明るい未来が待っているまちになるためにはどうしたらいいかと考える仕事に、自分がいることは理想だなって」

アイドルだけでなく、公務員となって働き始め、職場で一人ひとりの仕事が次々につながって、まちづくりが行われていくことの楽しさを実感したといいます。

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いまは、観光課でまちをPRすることに熱を注いでいます。
取り組んでいるのは、今月下旬のハロウィーンのイベントで、ポスターも自分でデザインしました。
多くの人とふれあってきたアイドルとしての経験は、職場でも高く評価されています。

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気仙沼市 畠山勉 観光課長

「アイドルの活動をずっと続けてきて、そこで培った表現力は抜きんでたものがあるなと思っています。培ってきたものが相まって、いまの観光の仕事で花を咲かせていると感じます」

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「私のハートに『気仙沼が好き』っていう熱をともしてくれた大人たち。そして、これからを作る子どもたち。いろんな形で町自体が笑顔になるような活動をし続けたいなと思っているので自分がいま、まちを元気にするためにできることは何かっていうのを考えて、1番それに最良なことをやりたいなと思っています」

気仙沼に思いを寄せ続けてきた鈴木さん。
笑顔を増やし、魅力を発信して「気仙沼を満員にする」日を夢見て、前に進み続けます。

 

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NHK仙台放送局 記者 境 彩花

宮城県塩釜市出身。
2023年に地域職員としてNHKに入局。
主に行政を担当し、アイドルを推すのが趣味。