「"同じで違う"傷を、共に生きて~震災から12年 夫婦の日々~」

2023年8月4日に「東北ココから」で放送しました
「“同じで違う”傷を、共に生きて~震災から12年 夫婦の日々~」。
このたび59分と、2倍近くの放送枠に拡大して放送しました。仲がいいのか、悪いのか、はたまたそれを越えた仲なのか?・・・不思議な2人の関係と、震災からの日々と。27分ではお伝えしきれなかったことをたくさん盛り込んだ番組です。知っトク東北では制作したディレクターが内容を少し紹介します。

8月4日放送の「東北ココから」を10分にまとめた動画がこちら↓(※NHKサイトを離れます)
東日本大震災から12年、一緒にいたのはお父さんだけだったから
津波で犠牲になった息子たちと4人でこれからも歩んでいく [東北ココから] | NHK

前回のブログ記事はこちら↓
東北ココから「"同じで違う"傷を、共に生きて」

(ディレクター倉持大地)


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海と工場に囲まれた場所にぽつんと建つ「舟要洞場(しゅうようどうじょう)」。
震災前、ここ蒲生(がもう)にはたくさんの住宅があった。

笹谷由夫(ささやよしお)さんと美江子(みえこ)さんに出会ったのは3年前のことでした。震災で2人きりの息子「舟一(しゅういち)さん」と「要司(ようじ)さん」を亡くした2人。由夫さんが建てた慰霊の場「舟要洞場(しゅうようどうじょう)」に行くといつも2人で迎えてくれて、他愛もない話や震災の時の話、時にはちょっとトゲのある夫婦の話をしてくれます。「仲のいい夫婦だな」と思っていたらある日、少しうんざりした顔でこんなことを美江子さんに言われます。

私たち仲良く見える?よく言われるんだけど、全然そんなことないんだよ。
腹の中では煮えくり返ってる。

由夫さんの日記にも夫婦の関係について書かれていました。

普通の方々には、我ら夫婦のことは理解出来ないだろう。
うまく行っている。仲睦まじくいい夫婦として見てくれているかも知れない。
真実は、そんな簡単な問題じゃない!

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夫婦2人きりの生活。会話はほとんどなくテレビの音が響き渡る。

実は、由夫さんの建てた舟要洞場に美江子さんがいるのは珍しいことで、来客があるときだけなんだとか。美江子さんは洞場には足を運ばないようにしています。毎日、舟要洞場に通う由夫さんを冷ややかに見ていました。

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舟要洞場に毎日通い、自ら建てた舟要観音(しゅうようかんのん)に祈りをささげる。
亡くなった息子たちへの“懺悔”(ざんげ)。由夫さんは“おつとめ”と呼ぶ。

自分の逃げ場を作っているようなものだっちゃね。偽善者みたいで。
いまさら。生きているうちに可愛がればよかったべや。
だって息子たちとキャッチボールすらしてくれなかったからね、お父さんは。

美江子さん曰く、由夫さんは、震災前、仕事ばかりで家にもあまりおらず、気難しい性格のため、子どもたちと一緒に時間を過ごすことはほとんどなかった、といいます。

震災後、毎日蒲生に出向く由夫さんと異なり、美江子さんは家にこもりがちに。
出来るだけ人に会わず、息子たちを思ってちりめん細工をつくる日々を送っています。

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ちりめん細工は「子どもたちの健康を願って作る」と聞いて始めた

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家にこもりがちな美江子さんと舟要洞場に“おつとめ”をしに通う由夫さん

昔かたぎで気難しかった夫と、おちゃめでいつも息子たちとふざけあっていた妻。
子どもと重ねた時間が異なるが故に、“同じで違う傷”を抱えた2人。
この12年、離婚を考えたことさえもあったといいます。
今も、時々「出ていけ!」と、こちらがヒヤッとするような会話もあります。
でも、2人の間には不思議な結束感があります・・・なぜでしょう?

ある日、美江子さんに2人の関係について質問したらこう返ってきました。

父ちゃんはどう思っているか分からないけど、私は戦友みたいな感じなの。
夫婦じゃなくて戦友。
結局、一緒にいたのはお父さんだけだったからね。ずっと12年間ね。

12年を共に生きた2人にしかわからない“同じで違う傷”がありました。

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笹谷美江子さん(左)と由夫さん(右)