記憶の限り会っていない」
柳瀬審議官がコメント

経済産業省の柳瀬経済産業審議官は、学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐり、愛媛県の職員らが総理大臣官邸を訪れた際の文書に面会相手として名前が記載されているということについて、「記憶の限りではお会いしたことはありません」などと否定するコメントを出しました。

愛媛県がこれまでないと説明してきた学校法人「加計学園」の獣医学部新設に関連する文書が残されていることがわかり、関係者によりますと、この中に当時、安倍総理大臣の秘書官を務めていた柳瀬経済産業審議官の名前も記載されているということです。

これに関連して、柳瀬審議官は10日コメントを出しました。それによりますと、「国会でも答弁していますとおり、当時、私は、総理秘書官として、日々多くの方々にお会いしていましたが、自分の記憶の限りでは、愛媛県や今治市の方にお会いしたことはありません」として、面会したことはないと否定しています。

そのうえで、「自分の総理秘書官時代には、50年余り認められていなかった獣医学部の新設がどうなるかという制度論が議論されており、制度を具体的にどこに適用するかという段階ではありませんでした。具体的な地点の選定手続きは、私が総理秘書官の職を離れてかなり時間が経ってから始まり、今治市が特区を活用して、獣医学部新設を行う規制改革が決まったのが平成29年1月だったと認識しています」としています。

一方、一部報道で平成27年4月に愛媛県や今治市の職員らと面会した際に、「本件は、首相案件になっている」などと発言したと伝えられたことについては、「私が外部の方に対して、この案件が首相案件になっているといった具体的な話をすることはあり得ません」として否定しました。

柳瀬氏「コメントしたとおり」

柳瀬経済産業審議官は、経済産業省で記者団から「記憶の限り愛媛県の職員に会っていないと言うが、絶対会っていないと言えるのか」と問われたのに対し、「コメントしたとおりです」と答えました。

柳瀬氏の国会答弁

学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐって、経済産業省の柳瀬経済産業審議官が、去年7月に国会で行った答弁です。

柳瀬氏は、去年7月24日の衆議院予算委員会で、平成27年4月2日に、愛媛県今治市の職員が総理大臣官邸を訪れた際に面会したかという質問に対し、「この関連で、内閣府の担当部局と何度か打ち合わせをした記憶はある。私の記憶のある限りでは、今治市の方にお会いしたという記憶はない。秘書官時代に、自分の面談記録とか、誰に会ったとかという記録は特にとっていなかった。手帳も含めて、どなたにお会いしたとかというのは、一切、全く書いたことはない」と述べています。

さらに、面会を安倍総理大臣に報告した記憶があるかと問われたのに対して、柳瀬氏は「報告をした記憶は全くない」と述べています。

この翌日の参議院予算委員会でも、今治市の担当者と面会したかという質問に対し、柳瀬氏は「会った覚えがないということなので、それでご判断をいただくということだと思う」と答弁しています。

柳瀬氏は、これに関連して、去年7月24日の衆議院予算委員会で、「当時、私は総理秘書官として国家戦略特区や成長戦略などを担当していた。私が秘書官をしていたのは平成27年前半までだが、その頃は、そもそも獣医学部の新設をどうするかという制度論が議論されていて、制度を具体的にどこに適用するかという話はまだなかったと記憶をしている」と答弁しています。

柳瀬氏とは

柳瀬唯夫氏は昭和59年、当時の通商産業省に入省し、大臣官房総務課長や経済産業政策局長など要職を歴任したあと、去年7月から、経済産業省の通商政策のトップで事務次官に次ぐポストである経済産業審議官を務めています。

この間、平成20年9月から麻生総理大臣の秘書官を務め、平成24年12月からは安倍総理大臣の秘書官を務めました。

学校法人「加計学園」をめぐり、柳瀬氏は、去年7月の参議院予算委員会で、安倍総理大臣の秘書官を務めていた平成27年、今治市の職員と面会したのか問われ、「私の記憶をたどる限り、今治市の方と会ったことはない。当時は、獣医学部新設の制度論が議論され、制度を具体的にどこに適用するかという段階ではなかった」と説明していました。