騎馬武者は“専守防衛”か!?
~防衛白書制作物語~
きっかけは109のレックウザ

「米中間の対立は一層顕在化する」
ことしの防衛白書は、日本のすぐ近く、台湾をめぐりアメリカと中国による軍事的緊張が高まるおそれに強い危機感をにじませた。
そんなことしの白書の表紙を飾ったのは、墨絵で描かれた躍動感あふれる騎馬武者。
きっかけは、渋谷の109に描かれたポケモンのキャラクターだった。
若手が作ったら防衛白書はこうなった。
(地曳創陽)

まずはこちらの写真を見てほしい。過去の防衛白書を何冊かピックアップしてみた。
いずれも護衛艦や戦闘機が表紙を飾っている。

初刊行の昭和45年(1970年)まで遡り、過去50年分を見てみても、日本列島や世界地図だったり、白地に「日本の防衛」と筆で書かれた文字だけだったりと、何というか、いかにもお役所らしい。
それに比べて、ことしの防衛白書は明らかに異質だ。

「防衛白書」と「騎馬武者」がどう結びついたのか。
防衛省で白書制作を担当する「白書室」の責任者を務めた柳田夏実(36)に話を聞いた。
柳田は入省12年目、いわゆる背広組で留学経験もある、2児の母だ。

「若年層含めて、1人でも多くの新しい読者を開拓したいというのがありました。白書を読んでもらう”とっかかり”になる表紙にできればと」

若い読者の開拓に向けて、白書室には柳田を含め6人の若手が集められていた。いずれも20代から40代。
”現場感覚”を大切にしようと陸・海・空の自衛官も含まれていた。議論は、年齢も、性別も、経歴も関係なく、自由闊達に行われたという。


そんな中、突破口を開いたのは28歳の女性自衛官だった。

きっかけは109

「以前、渋谷の109にあった墨絵の大きな広告が、すごく目についた」

女性の記憶にあったのは人気ゲーム「ポケモンGO」の伝説のキャラクター「レックウザ」が墨絵で大きく描かれた壁面広告だった。

早速、白書室のメンバーでインターネットで画像を検索。
当時の看板を見つけると、みな一様に「かっこいい」と口にした。

若者をひきつける「スタイリッシュさ」
防衛省・自衛隊の「力強さ」
海外に発信する「日本らしさ」
いずれを表現するのにも、墨絵が最適だと議論はまとまった。

次の課題はモチーフを何にするかだ。

ー力強いイメージのある「鷹」はどうか。
ーそれでは、航空自衛隊だけを表してしまうのでは。
ーでは、陸や海を表す意味で「富士山」や「波」はどうか。
ーいや、上司は「災害派遣の自衛官」を推している。

動物、ヒト、風景、自衛隊の装備品…

様々な案が浮かんでは消え、また浮かんでは消えを繰り返し、
数か月かけて検討を進めた結果「騎馬武者」とすることで決着した。

墨絵の持つ和の特色を生かした躍動感と、国を守る強い意思を示すにはぴったりだという判断だった。
何より、若者にも格好いいと思ってもらえるという“狙い”もあった。

当時の省内の空気を柳田は、こう振り返る。
「幹部もみんなぶつぶつ言いながらも(笑)最終的には若手の感覚を尊重してくれた」

新進気鋭のアーティストにオファー

「墨絵」で「騎馬武者」
表紙の題材は決まった。では、誰に描いてもらうのか。
柳田たちが白羽の矢を立てたのが墨絵アーティストの西元祐貴(33)だった。

西元は、陶器の板に墨絵の技法を使って絵を描く「陶墨画」と呼ばれる作品で高い支持を得る新進気鋭の墨絵アーティストだ。
ヨーロッパやアメリカなど海外でも個展やライブパフォーマンスを行うなど、世界を舞台に活躍している。ネットで調べると、NHKのニュース番組「ニュースウオッチ9」のオープニングCGを手がけた経験もあった。

きっかけとなった”109”の壁面広告は西元が描いたものだった。
防衛省からオファーを受けた西元は、当時をこう振り返る。

「依頼が来たときは驚きました。自分が担当するなんて全く予想もしていなかったですし、例年の防衛白書の表紙を見ても、自分が書いているものとイメージが違っているので。私自身、防衛白書の存在は知っていたんですけど中身を見たこともなかったですから」

”青天の霹靂”だった今回のオファー。
にもかかわらず快諾したのは、自身が普段から作品に込める思いと繋がるものがあったからだという。

「自分たちの世代、若い世代にもっとアートに興味を持ってもらおうと思って作品を作っていて。今回、若者に防衛白書に関心を持ってもらいたいというところから自分を抜擢してくれたことはすごくうれしかったし、共感するところもありました。それが引き受けた理由ですね」

「専守防衛」は絶対なので…

表紙が決まり、西元の快諾も得た。
ただ、柳田たちが一つだけ、気がかりなことがあった。
「専守防衛」との関係だ。

外国から武力攻撃を受けたときに、初めて防衛力を行使する防衛政策の基本方針は絶対というわけだ。

騎馬武者をモチーフに選んだのは、あくまでも国を防衛する力強さを表現するため。
安全保障環境が厳しさを増す中、勇ましく立ちはだかる様を示したいという思いがあった。
ただ、武者と聞けば、刀を腰に携えた姿を連想する。
そこから、刀を抜いて「いざ戦わん」という印象を与えてしまえば、専守防衛という日本の防衛政策の根幹を逸脱する、
誤ったメッセージになりかねないというわけだ。

柳田は依頼する際、特にこの点を注意深く伝えていた。
「平和国家として、あくまで『専守防衛』に徹する。そういう意味で、刀を振りかざすデザインは誤解を招きかねない懸念がありますから、そういうことは無いよう、お願いをしました」

一方の西元。過去の作品で刀を振りかざすキャラクターを描いたこともあり、専守防衛との関係を「意識しなかったと言えば嘘になる」と言う。

ただ、騎馬武者は、西元にとって墨絵制作を始めてから描き続けてきた、思い入れのあるモチーフだった。
それだけに、刀を描かずとも今回届けたいテーマは十分に表現できると考えていた。

「専守防衛と勇ましさの両立は難しいことではないんです。”刀”ではなく、そこに”たたずむ”というのを意識していました。『勇ましくたたずむ鎧武者』というイメージが最初の時点でできて、余計なものはすべて取り除いて全体的な印象で躍動感などをきっちりと見せようと思いました」

何度も試行錯誤を重ね、最後は一気に描き上げた。

「鉛筆のカットだけでも50カットくらい描きました。墨絵で実際に筆をとって制作した時間は1時間とかですね。最終的には1発でいいものを描くように意識していました」。

大臣まで”一発OK”

制作の依頼から1か月。
西元から届いた表紙絵には、刀を携えた武将…ではなく、手綱を引いている姿が描かれていた。

柳田は”満額回答”に安堵したという。
「思った通りのものを書いてくださったなと。墨絵だからこその格好良さや躍動感があって。上司に見せたら『おっ、いいじゃん』と。『刀、振りかざしてなくて良かったね』とも。大臣まで”一発OK”でした」

表紙と合わせて編纂を進めてきた白書は400ページを超え、今年も大作となった。
一方で、要点だけをまとめたブックレットも別刷りした。
とにかく、まず手に取って欲しいという思いからだった。

柳田は白書制作に携わった思いをこう語る。

「安全保障の問題は、普通に暮らしていたらあまり考えないと思うんです。でも、国を守る活動を実施していくには国民の理解と支持が何よりも重要、それ無しには何もできません。今は『激動の時代』だと思う。専門家とか限られた一部の人だけで議論される話にしてはいけないんじゃないかと」

そうやってできあがった「防衛白書」。
ほどなくして省公式Twitterの「いいね」は異例の1万を超えた。

「表紙が武将?芸術的でなんかかっこいい」
「こういうの全く興味なかったが、買おうかなとマジで思った」

一方で、否定的な反応も。

「いかにも戦争したがってるって感じ」
「こんなのが21世紀の日本を守る計画書の表紙とは時代錯誤はなはだしく」
「戦国時代のファンタジーに酔う感性は恐ろしい」

こうした声に対し、柳田は。
「今まで興味がなかった人に見てもらうには、何かしら新しいことをしないといけない。力強さを表現したことで『好戦的だ』とか、様々な意見があることも認識しています。意図を誤解されない形で、どう発信していくかはずっと考えていかないといけないと思います」

一部の議論にしないためには

「限られた一部の人だけで議論される話にしてはいけない」
柳田のことばが印象に残る。

「防衛白書」でわかるのは「尖閣諸島を虎視眈々と狙う中国」や「核・ミサイル開発を着々と進める北朝鮮」など日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していることだけではない。
脅威に対じするのに欠かせない国防の担い手「自衛官」の確保は、人口減少や少子高齢化により採用対象人口が減り続けていて、そう簡単には好転しそうにない様子も見て取れる。

発足当初から存在意義を問われ続けてきた防衛省・自衛隊だが、いまや国際協力や災害派遣、そしてコロナ対応など任務は多岐にわたり、増える一方だ。

「防衛白書」をめぐる今回の取り組みは「国民の理解を得る」という、長きにわたって取り組んできたことの一環にすぎない。この難しい時代に対応していくための危機意識の表れにも感じる。
「一部の人だけで議論される話にしないよう」にするのはそう簡単ではなく、防衛白書の取り組みにとどまることのないよう、注文したい。

政治部記者
地曳 創陽
2011年入局。大津局、千葉局を経て政治部。総理番を経て、防衛省担当2年目。