コロナ禍の国会
決戦前夜の与野党は

「国民の命と暮らしを守れない菅内閣は不信任に値する」
(立憲民主党・枝野代表)


「出されるならどうぞ。ただちに解散します」
(自民党・二階幹事長)

ことしの通常国会。
会期の大半は緊急事態宣言下という、まさに「コロナ禍の国会」だった。また与野党とも、近づく衆議院の解散・総選挙を強く意識しながらの「決戦前夜の国会」でもあった。

さまざまな思惑と駆け引きが交錯した150日間を振り返る。
(小泉知世、並木幸一)

宣言下での国会開会

終盤は与野党の対立の局面が目立った通常国会。
実は、当初の空気は全く異なるものだった。

国会召集を控えた1月4日。
年始早々の国会内には、自民党国会対策委員長の森山裕と、立憲民主党国会対策委員長の安住淳の姿があった。

森山「2月初めには成立を図ることが大事ではないか」
安住「対決法案にはしたくない。早めに対応した方がいい」

2人が一致したのは、新型コロナ関連の早期の法改正だ。

前年の夏から秋にかけて、いったん落ち着いたかに見えた感染状況は年末年始に一変。東京では感染者が1日1000人を超え、急速に拡大。緊張感は高まっていた。

森山と安住は対立する与野党を代表する立場だが、新型コロナ対応では協調を優先する姿勢を見せた。

異例のスピード成立

それがまず実を結んだのが、新型コロナ対策の改正特別措置法の成立だった。

緊急事態宣言の発出や、事業者に対する休業要請などの規定を定め、去年3月に成立したこの特措法だが、感染の第1波、第2波の経験を踏まえ、自治体からは、より迅速で強力な措置がとれるよう改正を求める声が相次いでいた。

そこで政府は、宣言前でも同様の措置がとれる「まん延防止等重点措置」を新設。休業要請に応じない事業者などへの罰則を盛り込んだ改正案を国会冒頭に提出した。

まず譲ったのは野党だった。

通常国会では新年度予算案や関連する法案の審議が優先され、個別の法案審議は4月から本格化するのが通例だが、与党は、まず、この改正案の審議を行うことを提案。野党はこれを受け入れた。

巨大与党と戦う術のひとつ“日程闘争”をしていては、危機の中で世論の理解は得られないという判断だった。

次に譲ったのは与党だ。

野党が求める修正協議に応じたのだ。野党は、感染症法の改正案に懲役などの刑事罰が盛り込まれていることなどを「私権制限につながる」と疑問視。行政罰にとどめるよう求めた。与党側は大半を受け入れて合意にこぎつけた。

修正協議はわずか3日間で決着。
提出から2週間という異例のスピードで成立した。

メイン舞台も「波静か」

その後の予算審議も、今年は「波静か」だった。

新年度予算案の審議が行われる衆参両院の予算委員会といえば、国会審議のメイン舞台。例年、与野党の激しい論戦が交わされる。

ことしの国会は、どうだったか。

まず火を噴いたのが総務省の接待問題だ。

総務省幹部らが、NTTや衛星放送関連会社「東北新社」から繰り返し接待を受けていたことが明らかになり、行政がゆがめられたのではないかという疑惑が持たれた。「東北新社」に勤めていた菅総理大臣の長男が接待の場に同席していたことも、野党側が追及を強めた一因だった。

また、河井元法務大臣夫妻の選挙違反事件をはじめ、与党議員が緊急事態宣言下に深夜まで銀座のクラブに出入りしていたことが発覚するなど、不祥事や失態も次々に明るみとなった。

しかし、予算審議は総じて順調に進み、3月初めに衆議院を通過。
早々に年度内成立のメドがたった。

野党は、総務省幹部の接待問題をめぐって、総務大臣への不信任決議案の提出に踏み切ったが、予算審議がすべて終わった直後の3月31日のことだった。

立憲民主党の議員は、こう振り返る。
「不信任に値する大臣はたくさんいるが、コロナ対策で汗をかいている大臣に決議案を出して国民の理解を得るのは難しかった。日程闘争よりも、参考人の出席や質疑時間の確保という“実”を取った。コロナ禍で地方に早く予算を届けなければいけない事情もあった」

3年越しの対立も決着

“協調路線”は、長く与野党が対立していた法案でも見られた。
憲法改正の手続きを定めた国民投票法の改正案だ。

衆議院での審議の最終局面で立憲民主党が、投票の広告規制などについて「施行後3年をめどに法制上の措置を講じる」と付則に盛り込む修正案を提示し、与党側が丸飲みしたのだ。

そして、改正案は提出から3年がたって成立した。

立憲民主党の議員は、採決に応じた裏事情をこう語る。
「提出から3年経ち、これ以上、抵抗し続けるのもどうかという空気があった。加えて野党内でも国民民主党が賛成に転じるなど、足並みが乱れ始めていたのも大きかった」

対立路線へ変化?

しかし、与野党の“協調路線”は最後までは続かなかった。

変化のきざしが見られたのは、国会が終盤戦を迎えた5月。
出入国管理法などの改正案の審議だった。

与党側が、5月中に衆議院を通過させる構えを見せていたのに対し、野党側は、人権上問題があるなどとして廃案を要求。

名古屋の施設に収容されていたスリランカ人の女性が死亡した原因究明のため、施設内の様子を写したビデオの開示も求め、対立が深まっていった。

ここでも与党は野党側が突きつけた10項目の要求を次々と受け入れた。

野党側の要求は、法務省幹部が「ハードルが高くてとても応じられない」としていたもので、協議にあたった野党議員が「ここまで受け入れるとは正直思わなかった」と漏らすほどだった。

しかし野党側はビデオが開示されない限り応じられないと主張し、協議は決裂。法務委員長の解任決議案を提出した。

対する与党側には強行採決論もあったが、最終的には法案の成立そのものを断念した。

背景には「選挙」が近づいてきたこともあった。自民党幹部がそう明かした。
「成立させようと思ったら、強行採決は避けられない状況だった。衆院選や都議選への影響を考えれば、即座になんとかしないといけない法案ではないのだから」

対立への伏線

“対立路線”に転じた野党。実は、日々の取材に伏線はあった。

この国会、コロナ危機の中、野党としても、今まで以上に政府への提言や法案の提出を重ねてきたという自負があった。

3月に、政府がいったん緊急事態宣言を解除した際も「いま解除すれば感染のリバウンドを生じる」などと強く反対してきた。

しかし、政府は解除に踏み切り、結果として、感染者が再び増加。
4月下旬には大型連休を控え、再び宣言を出さざるを得ない事態に陥った。

立憲民主党の幹部は、こう語った。
「批判だけではなく建設的な提言を重ねてきたが、政府の対応は後手後手で第4波を招いた。ワクチン接種の遅れも目立ち、東京オリンピック・パラリンピックの安全・安心についても具体策を全く語っていない」

新型コロナ対策をめぐって、政府・与党の対応をこれ以上看過できないという不満が、野党を“協調路線”から“対立路線”に転じさせていったと見られる。

衆議院選挙が近づく中「“協調路線”だけでは、与党との違いが打ち出しにくい」という心理が強く働き始めた側面もあった。

内閣不信任決議案をめぐる攻防

そして迫る会期末。

野党側は、補正予算案の編成などが必要だとして、国会の会期延長を要求。
与党側は、政府提出法案の成立におおむねメドが立ったとしてこれを拒否。

与野党の対決姿勢が強まりを見せていった。

焦点となったのが、内閣不信任決議案だ。

政権に対し、「信任に値しない」という意思を突きつける、いわば野党の最大の武器だ。
可決されれば、総理大臣は、内閣総辞職か、衆議院解散のいずれかを迫られる。

政権にとっては、野党側の提出をもって「国民に信を問おうではないか」と衆議院解散の大義になるという解釈もある。

野党内では、政権批判が高まっていたとは言え、この最大の武器を使うことには、なお迷いがあった。

「コロナ禍の今、衆議院解散による政治空白につながる行為は避けるべきだ」
「現政権による政策空白を放置する方が深刻で、断固として決議案を出すべきだ」

カギを握る、野党第1党の立憲民主党の代表・枝野幸男も、提出に後ろ向きな発言をしたと思えば、一転して前向きな発言をするなど迷いを隠せない様子だった。

対する与党。

自民党幹事長・二階俊博は、野党側が内閣不信任決議案を提出すれば、直ちに衆議院を解散すべきだという考えを再三にわたって強調していた。
葛藤する野党の心境を見透かすような発言だった。

そして、会期末を間近に控えた6月7日。
「いつでも解散を打って出る決意はある」と繰り返してきた二階は、記者会見で、次のように語気を強めた。

「決議案を出される場合は、どうぞひとつ覚悟を持って、という気持ちで対応していただきたい」

与野党の神経戦は激しさを増し、会期末2日前の6月14日。

決断の時が訪れた。

立憲民主党、共産党、国民民主党、社民党の4党の党首会談で、枝野が提案したのは「提出」。

各党党首もこれに賛同し、翌15日に決議案は提出された。

野党幹部は、枝野の胸の内を解説する。
「枝野は、最後には不信任決議案を出すつもりでいたと思う。ただ、感染症との関係で、それが国民に納得してもらえるのかどうか、そのタイミングを慎重に見極めていたと思う」

「所信表明」さながらの枝野演説

衆議院本会議での内閣不信任決議案の趣旨弁明には、枝野みずからが立った。
その時間は1時間半に及んだ。

「菅総理大臣は有事のリーダーとして失格だ」と厳しく政権を糾弾する一方、「消費税率を時限的に5%に引き下げる」などと、政権獲得を見据えた構想や政策も表明。批判だけでなく、政権担当能力をアピールすることも狙ったのだ。

趣旨弁明後、枝野はこう語った。
「菅政権が信任に値しないことと、それにかわる『新しい政権の所信』を、しっかりまとめて伝えることができた」

解散か、否決か

一方、内閣不信任決議案が提出されれば、衆議院の解散もありえるとしていた与党。

総理大臣の菅は、野党側の提出を受けて、幹事長の二階と電話で会談。

「粛々と否決してもらいたい」と指示し、このタイミングでの解散は見送られることになり、衆議院本会議で決議案は否決された。

与党幹部からはさまざまな見方が出た。

「幹事長は本当に、選挙をやりたかったんだろう。楽しみが少し延びたね」
「誰もこんな状況で選挙なんて求めてなかったし、あるべき形になったんじゃないか」
「一番自然なシナリオに落ち着いた。不信任を大義にしても解散を宣言するのは総理だから。ワクチンが進んでいる中で、秋まで待てば追い風になるという思いだろう」

いよいよ決戦へ

“協調路線”で幕を開け、対決色を強めながら幕を閉じた今国会。

与党のサイドから見れば、安全運転を意識した国会運営が印象的だった。
法案の修正協議などで、野党側に譲歩する姿勢も例年に比べて目立った。

「数の論理でいけば、いつでも強行できる」
自民党幹部はこう繰り返していたが、コロナ禍で国会審議が荒れる状況は避けたいという本音が常に垣間見えた。

内閣支持率が低調な傾向にあったことも背景にあったと考えられる。

一方の野党。
「協調と対立」のバランスに悩み、迷った国会だったというのが取材実感だ。

コロナ禍で積極的な政策提案に努めたが、決定権を握るのは政権・与党である以上、成果が見えにくい側面がある。

不祥事の追及を強めようにも、「こんな国難の時に野党は批判ばかりしている」と世論に受け止められかねないという懸念とも隣り合わせだったように見える。

150日間の戦いで、与野党双方が示した主張や姿勢を国民はどのように評価するのか。来る衆議院選挙で、その審判が下ることになる。
(文中敬称略)

政治部記者
小泉 知世
2011年入局。青森局、仙台局を経て政治部。現在、与党クラブで国会対策などを担当。
政治部記者
並木 幸一
2011年入局。山口局を経て政治部。現在、野党クラブで国会対策などを担当。