コロナ禍で増える“バラ色”公約

新型コロナウイルスの問題は、各地で行われている地方選挙でも猛威をふるっている。
候補者たちは競い合うようにコロナ対策を訴え、住民の不安払拭に懸命だ。だが現金の一律給付のような“バラ色”の公約を掲げて当選した後、結局実現できない事態に追い込まれるケースも出ている。
コロナ禍の選挙戦で一体何が起きているのか。
(堀内新、鵜澤正貴)

公約修正の果てに

「見通しが甘いと言われたら甘かった。謝罪しないといけない」

1月19日。兵庫県丹波市。市長の林時彦は、市民に謝罪した。
およそ6万人の市民全員に2万円分の商品券を配付するための補正予算案が否決された直後だった。
当選からわずか2か月。
市長選挙最大の公約が「修正」された末に、結局実現できないという事態となった。

告示後に“全市民5万円”

大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場し、織田信長が明智光秀に攻略を命じた丹波の国、京都府との境に位置するのが現在の丹波市。黒豆や栗など山の幸が特産の自然豊かな市だ。


去年11月、市長選挙で「異変」が起きた。

2期目を目指した現職の谷口進一。そこに挑んだのが、3期12年市議会議員を務めた林時彦だ。


谷口は自民・公明両党の推薦を受け、現職国会議員や県議会議員、それに兵庫県の井戸知事も応援に駆けつけるなど、手厚い組織戦を展開した。取材していても、告示前の10月ごろには、「谷口が優勢だ」という見方が多かった。

これに対して、林は「市長は市民や職員に寄り添う姿勢がない」と市政の転換を訴え、市庁舎の建て替え凍結や、指定ゴミ袋の半額化などを公約に掲げた。

そして11月8日の告示後、林は新たな公約を打ち出した。

「すべての市民に5万円の現金を給付します」
法定ビラでも5万円の給付を大きく強調した。


林の説明はこうだ。
「新型コロナウイルス対策で、市はさまざまな政策を打ってきたが市民に届いていない。現金を給付して、それぞれが必要なことに使ってもらうのが一番だ」

“5万円もらえたらええな”

市長選挙の期間は7日間。
現職の谷口陣営の幹部を務めたある議員は、告示後、急速に風向きが変わっていくのを感じたと振り返る。
「老人会の集会に出ても、『5万円もらえたらええな』『4人家族やから20万円やな』と、話題になっていましたから」

さらに、谷口陣営は、新型コロナウイルスの感染防止のため、個人演説会を行わない方針を決めていた。5万円の給付には根拠がないと反論する場所は限られていたという。

“財源はある”

事前の予想を覆し、10ポイント近くの差をつけて林が勝利した。

市役所に初登庁した林は、
「市庁舎の建て替えをやめ、国からのコロナ対策費をあわせれば財源は十分にある。なるべく早く実現したい」と5万円給付の早期実現に意欲を示した。

5万円×全市民約6万3000人=必要な財源はおよそ32億円。
林は、市庁舎の建て替え基金、国の地方創生臨時交付金、市の財政調整基金を合わせれば十分実現可能だと自信を見せていた。

“財源がない!”

しかし、林に壁が立ちはだかる。
公約実現に向け、さっそく市役所の事務方との調整に入ると、財源の捻出がそう簡単ではないことが見えてきた。
まず検討したのが、市庁舎の建て替え凍結。


しかし職員に聞くと、およそ40年前に建てられ老朽化した市庁舎は、5年以内に大規模改修をしないとかえって膨大な補修費がかかることがわかった。
また現金給付では、市内で消費されるとは限らず、地域活性化につながらないという指摘もあった。
何より、新型コロナの「第3波」が拡大する中、コロナ対策費に大幅に手をつけるわけにはいかない現実があった。

頭を悩ませる林に、市財務部の幹部は、「給付額1万円から5万円までの財政シミュレーション」とする資料を渡した。

そして年の瀬が迫った12月28日、林は決断する。
「2万円の商品券配付」
就任から3週間で公約の修正が決まった。

5万円“インパクトで決めた”

「5万円もらえると期待していたのに。きちんと説明すべきだ」
年明けに公約の修正が発表されると、市民からは怒りの声があがった。

市議会で審議が始まると、「減額しても市民の生活支援は必要だ」と理解する意見の一方で批判も相次いだ。
「『コロナ対策』ではなく『選挙対策』やないですか」
「公約を修正した案は、『公約違反』と言うんちゃいますか」

林は、「公約違反だというそしりからは逃れられないだろうが、将来に借金は残せないので現実を考えた」と釈明に追われた。

議会後の記者会見では、5万円の公約決定のこんな経緯も明らかになる。

記者「なぜ公約を5万円にしたのか?」
林「もともと3万円を給付したらどうかと言っていた。選挙参謀から『3という数字はあかん。インパクトないんですわ。5万円はあかんか』と言われました」
記者「インパクトを狙ったということ?」
林「そう言うたら、そうかもしれんね」

財源は“水道代”?

さらに、市議会で議論が進む中で焦点として浮上したのが、ある「財源」だ。
丹波市は、前市長の時代、コロナ禍の生活支援として、2月と3月の水道料金の基本料金分、1世帯およそ2800円を減免する措置を決めていた。
林の財源案では、この水道料金の減免をやめて捻出した8000万円余りを使うとしていたのだ。
これには、2万円分の商品券に賛成していた市議からも疑問の声が相次ぐ。
「水道料が商品券に代わるだけ。市民にとってはただの付け替えだ」「減免は議会で一度決まったことで議会軽視だ」

賛否同数“複雑な心境”も

そして1月19日の本会議。採決の前に行われた討論でも賛否が真っ二つに分かれた。
市議の1人は、複雑な心境を明かした。
「公約違反は許せないが、いま市民に2万円の商品券を配ることを止めるわけにはいかない」

投票の結果は、賛成9、反対9。
可否同数のため議長に判断が委ねられ、否決が決まった。

林は、記者会見で納得いかない表情を浮かべ、こう述べた。
「ベストな提案だといまでも思っています。普通は議会で批判する時には代替案を出しますよね。『だめだ』というのならどうしたらいいのか考えていただきたい」

そして今後のコロナ対策については「これから検討する」と繰り返した。

この日、市民からはこんな言葉が聞こえた。
「しわ寄せは、結局市民にくる」

“コロナ禍公約”が多発

5万円給付という公約をめぐる混乱は丹波市だけの話ではなかった。
愛知県岡崎市でも去年10月の市長選挙で、市民への一律5万円給付を公約に掲げた新人が現職に勝利した。


しかしその後、市議会で否決され、公約は実現できていない。
買収にあたるとして、公職選挙法違反の疑いで市民から告発される事態になっている。

ほかにも「プレミアム付き商品券の発行」、「コロナ対策の財源に充てるための市長給与のカット」など、一見、市民に“やさしい公約”を掲げる候補者は少なくない。

以下の表は、去年秋以降に行われた各地の市長選挙の中から一部を抜粋したものだ。
ただこの中には、丹波市や岡崎市の例とは違い、実際に公約実現に結びつけているケースもある。

コロナ禍に誕生した女性新市長

選挙で掲げた“コロナ禍公約”を実現したのが去年9月、神奈川県座間市の初の女性市長に当選した佐藤弥斗(みと)だ。

佐藤は、もともと現職の市長だった遠藤三紀夫を支える会派に所属する市議会議員だった。しかし遠藤の新型コロナ対策などに不満を募らせ、立候補を決意。座間市は過去2回の市長選挙が無投票だったが、佐藤と4期目を目指す遠藤が立候補し、12年ぶりの選挙戦となった。

佐藤が公約に掲げたのが、まさに「プレミアム付き商品券の発行」や「コロナ対策に充てるための市長の給与カット」だった。


佐藤は当時を振り返り、こう語った。
「コロナ禍で市民の生活が厳しいというのを感じていた。遠藤さんは市民の不安や不満に向き合う姿勢が薄れていた。それがコロナ禍で顕著になっていた。変えなくてはいけないという危機感を持った。いわゆるバラマキがいいとは思っていないが、今は緊急事態だ。市民の命と生活、財産を守るために何ができるのか、考えなければならなかった」

佐藤が掲げたスローガンは「家庭代表、『やさしい』座間へ」。コロナ禍にあえぐ市民とともにあるという姿勢を強調したのだ。

“どう訴えればよかったのか”

戦いに敗れた、前市長の遠藤も取材に応じた。


佐藤の公約をどう見ていたのか。
「ずいぶん、バラ色のことを言うなぁと思った。現職の立場としては、これからコロナの影響で財政が大変になるとわかっているので、『今やっていることを守るだけでも精いっぱいだ』と言うしかなかった」


遠藤は5000票以上の差をつけられ敗れた。
「市民にとってはコロナ禍で不安な気持ちが強い中で、おいしい話を並べられると、そっちに行ってしまうのかな、と。現実的なことだけ言っていても満足してもらえない。全身全霊で市長の職に打ち込んできたが、それがこうも低い評価なのかと。ショックだった。どう訴えればよかったのか、今でもわからない」

問われた医師会との関係

選挙で問われたのは、お金をめぐる政策だけではなかった。
市長と地元医師会との関係も、かつてないほど重視された。
佐藤勝利の一因ともなったのが、地元の「座間綾瀬医師会」の動きだった。

会長の五十棲(いそずみ)優が説明した。


医師会には選挙を前に、双方の陣営から推薦依頼が来ていた。
医師会は対応を決める参考とするため、新型コロナ対策に関する質問状を出し、回答を求めた。


返ってきた回答は新人の佐藤の方が医師会との連携にとにかく前向きという内容だった。
医師会は協議の結果、一方への推薦をせず、「自主投票」とすることを決めた。自民党など多くの市議会議員や団体が支援する現職を医師会が推薦しないのは異例だった。

五十棲はこう振り返った。
「コロナ禍がなければ、今まで通り、遠藤氏を推薦していたと思う。ただ、遠藤氏とは『第1波』の頃から新型コロナへの対応をめぐって、意見の相違があった。私たちとしては誰が市長になろうとも、新型コロナ対策に連携してあたっていきましょうという思いだった。佐藤氏の方もコロナ禍がなければ、市長選挙に出ようと思わなかっただろうし、勝つこともなかったと思う」

紆余曲折の末に

晴れて当選した佐藤だが、公約の実現には、市長選挙と同日に行われた市議会議員選挙で当選した議員たちから多数の賛成を得る必要があった。
10月、最初の臨時議会で、さっそく2022年3月までの市長給与20%カットの条例改正案を提出したが、前市長を支えてきた自民党会派などの反対によって否決された。反対討論では「市長の給与が副市長より低くなるなど問題がある。選挙目当てだ」などと批判された。

その後、佐藤は給与カットの期間を2021年1月から3月までの3か月に短縮するなどした修正案を12月の議会に提出。全会一致での可決にこぎつけた。
議員たちのもとには、市民から「市長の給与カットに、なぜ反対するのか」との声も寄せられていたという。

一方で、同じく公約になっていたプレミアム付き商品券の発行については、自民党会派が国からの交付金を活用して事業を実施するよう市長に提言書を提出。反対するどころか、むしろ早期実現に向けて背中を押した。

市議会議員たちも、コロナ禍で示された民意に対して敏感になり、重く受け止めざるを得なかったのだろう。

なんとか公約実現の形を整えた佐藤はこう語った。


「今は新型コロナの影響で新しい時代に大きく変わっていく、変わり目の時期だ。私が市長になったのも、時代の変化に対応できる市政運営を市民が望んだ結果だと思う。よりスピーディーに、市民の苦しみ、生活に寄り添った政策を進めていきたい」

どうなる『リモート・デモクラシー』

こうしたコロナ禍での選挙について、地方政治が専門の法政大学大学院の白鳥浩教授は次のように分析している。

「コロナ禍では従来のように人を集めて、密を作り出して熱気を生み、票を積み増していくという組織選挙ができなくなっている。遠隔でしか、候補者と有権者がつながれない状況を『リモート・デモクラシー』と呼んでいるが、有権者にとって非常にメリットがあるようなポピュリズム的、大衆迎合的な公約がスローガンとして独り歩きしやすい状況にあるのではないか」

その上で、今年秋までに行われる衆議院選挙について、こう指摘した。
「国政選挙の場合、地方選挙と比べれば、公約が検証される機会は多いと言えるが、それでも与野党を問わず、バラマキ型の政策を訴えることは十分に有り得ると思われる。有権者は、選挙の際、候補者や政党が掲げる公約について冷静に判断することが必要だ」

今年は衆議院選挙に加え、大型地方選挙となる東京都議会議員選挙などが控える選挙イヤーだ。新型コロナウイルスの問題が選挙戦にどのような影響をもたらすのか。今後も注視していきたい。

(文中敬称略)

神戸局記者
堀内 新
2016年入局 神戸局が初任地 警察・司法担当を経て 現在は行政、労働、震災などを取材
報道局選挙プロジェクト記者
鵜澤 正貴
2008年入局。秋田局、広島局、横浜局を経て18年から選挙プロジェクト。