石破茂は、終わったのか

自民党総裁選挙で敗れた元幹事長の石破茂が、みずから率いてきた派閥(水月会)の会長を辞任した。
総裁選挙に挑戦すること4回。そして総理を目指し続けてきた男が、なぜ突然、身を引く決断をしたのか。
石破は終わったのか。
(黒川明紘)
突然の辞任表明
「石破、派閥の会長、辞めるってよ」
10月22日の午前、ある関係者から私に衝撃的な情報が寄せられた。
急いで議員会館の石破の事務所に駆けつけると、いきなり中から本人が姿を現した。私を自室に招き入れた石破は、椅子に腰をかけるなり、ふだん通りの口調で語った。
「総裁選挙の責任をとって、派閥の会長を辞める。臨時国会の前にけじめをつけないといけないと思っていた」

今思えば、あえてそういう雰囲気を見せていたのかもしれないが、その時の石破の表情に葛藤は感じられず、落ち着いた様子で重大な決断を語ってくれた。
その後、昼に開かれた石破派の臨時総会で、石破は派閥の会長を辞任する意向を明らかにした。
急な呼びかけだったため、派閥に所属する19人のメンバーが全員集まることができず、出席したのは15人ほどだった。
「総裁選挙の責任をとることが、とるべき道だと考えた」
石破の意向は、その場で了承された。
辞任決意させたのは「議員票」と「仲間の声」
「特に議員票がね。思ったより少なかった。それに尽きますな」
辞任から2週間後、その理由を確かめたいと思い、再び訪ねてきた私に石破がそう明かした。

石破が挑んだ過去の総裁選挙では、高い知名度を生かした地方票が強みだった。
しかし今回は党員投票が見送られ、各都道府県連の代表による地方票は、菅の半数にも届かなかった。
さらに国会議員票では菅の10%にも及ばず、総得票で3位に沈んだ。
石破は、想像以上の菅の強さにショックを受けたという。
「農業を継ぐことに疑問を持ち、ゼロから始めた人情あふれる、パンケーキ好きな令和おじさんというイメージが一瞬にして作られた。国民の世論ってこんなに変わるんだって思った」
さらに辞任の決断を後押ししたのが、派閥の仲間の声だった。
石破は総裁選挙の後、18人の所属議員一人一人と個別に会談し、今後の対応や派閥のあり方などについて意見を交わした。
全員から意見を聞き終えるには、およそ2週間を要した。
意見交換ではどんな声が多かったのか。石破に尋ねた。
「『体制を見直そう。このままいっても展望は開けない』というのは、みんな共通していた。特に、当選回数が上の人たちは経験も豊かだし、より厳しい意見が多かった」

実は、石破の盟友からも厳しい声が届いていた。
盟友は「グレートリセットを」と
石破の盟友である元農林水産大臣の山本有二は、総裁選挙では石破の選挙対策本部長を務めた。その山本が語気を強める。
「厳しい言葉だけど、私から言わせれば『グレートリセット』なんですよ。その心は石破に対する愛情であり、尊敬。これを受け止めないと、石破に次はない」
石破が総裁選挙で前政権からの転換として掲げた「グレートリセット」というキーワードを今回の辞任に当てはめた。

山本は総裁選挙を振り返り、その内幕を明かした。
「両院議員総会で決めるとなった時に、石破は絶対に選挙に出ちゃならんと。必ず負けて、その負け戦もひどいものとなり、石破という輝かしいイメージが変わる。変わったときには必ず政治生命に関わり、次の総裁選挙には出られませんよ。それでもいいですかと何度も聞いた」
山本は今でも悔しさをにじませる。
「私は総裁選挙の結果が予想できたが、石破は予想できなかった。山本有二という参謀がいたが、石破はその参謀の言うことを聞けなかった。選対本部長になったが、参謀の本部長ではなく、負け戦をマネージメントする本部長でしかなかった」
石破も、愛読書である猪瀬直樹の著作を引き合いに、山本から直言されたことをはっきりと覚えている。
「山本さんが総裁選挙が終わった後にかなり興奮して、『昭和16年夏の敗戦ってあんたいつも言っているじゃないか、負け戦しちゃいけないと言っていて、いったい何なんだこれは』とかなり激高していた」
山本は、こう残念がる。
「安倍さんがまさか辞めるとは思わなかった。来年9月の選挙であれば、確実に石破総理の誕生が見られた。時の運というものに石破は見放されていると思う」
「反菅政権」の立場は取りづらい?
安倍政権が長期化し、「安倍一強」とも称される政治状況が続く中、自民党内で対抗軸として、政権に異を唱えてきたのは石破だけだったと言ってもいい。「反安倍政権」の受け皿であることが石破の存在意義でもあった。しかし、安倍の突然の総理辞任で事情が変わった。
石破は安倍と菅とでは、相手が違うという。
「やはり安倍さんにしてみれば、常に私の存在ってのが目障りだったんだろうと思うね。でも、菅さんにはそういうものがあるとは思えないからね。『安倍政権を継承する』と言っても、別人格だから全く同じようにやるわけはない。だから距離感は当然違うでしょ」
菅は、かつて石破が幹事長を務めていた際、幹事長代行を務めていた。それだけに「反菅政権」の立ち位置はとりづらいのではないかという見方もあった。

山本は、安倍から菅へと政権が代わったことで派閥内の雰囲気も変わったという。
「やっぱり安倍あっての石破だったんだよ。簡単にいうと、『大鵬と柏戸』、『巨人と阪神』ですよ。でもこの戦いが長すぎた、石破にとっては。時代に合ってなかった。これからも合わないんじゃないかという危機感ですよね」
こうした事情の変化にあって、石破の脳裏にあったのは派閥議員の処遇だ。
安倍政権のもとで、石破派は「非主流」であったがゆえに、去年の内閣改造では1人も入閣しない結果となるなど、人事面では冷遇されていると見られたこともあった。このままではみずからを支えてきた仲間が活躍の場を得られない状況が続くことになりはしないか。
派内には、次の衆議院選挙で立候補をする選挙区が決まっていない議員がいるという事情もある。
石破ははっきりは語らなかったが、辞任を決断した理由の1つに仲間の処遇への配慮があったことをにじませた。
「口先で申し訳ないというのは嫌だ」
石破は派閥の臨時総会での辞任を表明するにあたって、みずから事前に文案を作成した。
演説や講演では資料を用意することがない石破にとって、極めて異例のことだ。
「家内と前の晩ずっと話していたのは、どういう表現にするか。推敲に推敲を重ねて、午前3時くらいまでやった。その前も2日間は寝られなかったね。どういう表現なら、なるべく多くの人が得心するか。私に期待をかけてくれてた人たちの多くが得心する言い方とはなんだと、悩みましたね」

派閥の会長を辞任するという選択について、石破は当時の心情を明かした。
「口先で申し訳ないというのは嫌だ。議員を辞めるという選択も、私が水月会(石破派)を抜けるという選択も、水月会を解散するという選択もない。そうするとこれしかない」
山本も石破の選択を評価している。
「石破茂という素晴らしい男をドブに捨てたくはない。素晴らしい存在のままで、どういう片づけをするか。石破さん本人が名誉ある撤退、水月会の会長を辞めるという1つの結論だ」
石破派が「草刈り場」に?
石破の後任は、山本とともに派閥を支えてきた、元環境大臣の鴨下一郎を中心に調整が進められることになったが、3週間がたっても後任が決まっていない。
こうした石破派の混乱ぶりに、党内の各派閥は熱い視線を送る。
前政務調査会長の岸田文雄は、記者団に「派閥のメンバーとして迎え入れたい人材が大勢いる」と公言し、石破派内の情報収集を進める考えを示した。
実際、所属議員らには、石破辞任の直後から会食に誘う電話が相次ぐなど、ほかの派閥からも石破派の議員を取り込もうと接触を図る動きが出始めている。
このままでは、「石破派が“草刈り場”になりかねない」と、派閥の存続そのものを危ぶむ声も上がっている。

どうなる”石破総理プロジェクト”
石破派は、2015年9月の設立から石破が会長を務め、「石破茂を総理大臣にするためのプロジェクトチーム」と称されるように、ポスト安倍として石破をかつぐことが共通目標だった。
石破派は、これからどうなるのか。
山本は、石破のためにも派閥は無くした方が望ましいと言う。

「やっぱり一旦リセットですよ。もしこのまま石破派を続けることになった場合、仲間に不満がたまったまま時間を費やしていく。そうするとどっかで爆発します。そういうガバナンスのきかない組織でずるずるいくよりはリセットしないといけない。石破プロジェクトあっての石破派だ。それがない以上、石破派の存在もなくなる、という論理だ」
一方、派閥の存続を訴える声もある。
党内の若手のホープと目される元法務大臣の山下貴司もその1人だ。

「今までの延長線上でやるということはできない。でも、みんな政治家として魅力あるし、政策能力も高い。政策集団として立ち上げたわけだから、連携をとってお互いやっていきたいというのはある。政策の仕事人が、言いたいことをきちんと言う集団ってのは、これからの自民党に要るんじゃないかと思いますね」
石破本人は、派閥の存続に強い願望を持ち、みずからもとどまる考えを示している。
ただ、派閥の混乱ぶりは、自身の辞任が招いただけに複雑な心境をのぞかせた。

「そんな簡単には収まるか。自民党の歴史だってみんなそうだよ。竹下派にしても、かつての三塚派や中曽根派だってそうだ。うちだけ1週間で収まりました、なんてあるわけないだろ。派閥といっても、結局は人間の集まりだからね」
「死んでません、まだ生きています」
とはいえ、石破派が「石破を総理にするためのプロジェクトチーム」であるならば、派閥の存続は、その所期の目的が残っているかどうかにかかっている。
つまり、石破はもう総裁選挙に挑戦することはないのか、という点だ。

石破の派閥会長辞任は、自民党内のほかの派閥でもさまざまな憶測を呼んだ。
「会長を辞めたということは、もう総理・総裁の座はあきらめたということだろう」
「石破茂はもう終わった」
そんな声があちこちから聞こえてきた。
実のところは、どうなのか。
盟友である山本は、大きな挫折から再起した安倍を念頭に石破への期待を語った。

「おれは実力者だってずっと思い続けても意味がない。『終わった』って言われないと、浮き上がれない。『終わった』っていう声が95%になった時に再生できるんですよ。そうじゃないと、『石破さん、あんた苦労したね』って誰も言ってくれないよ。一番に『諦めない』。二番に『グレートリセットで地の底にみずから落ちていく』。三に『時を待つ』」
一方の山下は、石破の政治家としての進化に期待を寄せている。

「引き続き言うべきことははっきり言う政治家であってほしい。そして、一皮むけたな、“新石破”になったなと思われるようになってもらいたい。若い連中と胸襟を開いて話して、若手の思いをしっかり受け止めて、『石破さんってやっぱりいいね』って思ってもらえるように、やってほしいですよね。1度目に辞任した時の安倍さんもそうだけど、これで終わったと思われることは、政治家にとって本当に厳しい。でも、石破茂という政治家は、必ず乗り越えてくれると思います」
当の本人は今後の総裁選挙への対応をどう考えているのか。
石破は一呼吸置いたものの、これまでと変わらず「またその質問か」という様子で、淡々と答えた。

「『なりたい、なりたい』というものでもないが、本当に国が必要とする時が来るかもしれないし、来ないかもしれない。もし仮に、何十分の一の確率か知らないけど、それが来たときに、(総裁選の立候補に必要な推薦人)20人をやっとかき集めて、『出るだけ出ました』では済まないってことだ。だから体制を立て直す、体制を見直すってそういうことじゃないのか」
そして最後に「石破茂は死んだのか」という質問をぶつけた。
石破は、こう答えた。
「死んでいません。まだ生きています」
(文中敬称略)

- 政治部記者
- 黒川 明紘
- 2009年入局。津局、沖縄局を経て政治部。これまでに野党、法務省など担当。令和の始まりとともに、石破番となり約1年半。