名古屋城の金シャチ なぜ有名に? 起源はインドに?
- 2023年07月20日
名古屋城のてっぺんに輝く2体の金のシャチホコ、“金シャチ”。
その金シャチについて先日、マチコエ取材班にこんな質問が寄せられた。
「名古屋城のシャチホコだけが有名なのはなぜ?」
当たり前のようで、あまり考えてもみなかった?
“金シャチ”のなぞを調べてみた。
名古屋人の愛する金シャチ
シャチホコは名古屋城だけのものではない。
大阪城、彦根城、松江城。各地の城の天守閣にあって、日本のお城の定番ともいえる装飾だ。
ただ、「シャチホコと言えば名古屋」というイメージが記者には強い。
まずは、“金シャチ”の人気ぶりを確かめようと街に出た。
やってきたのは、名古屋の中心部・栄。
さっそく調査を始めると・・・。
いた!すぐさま、“金シャチ”を発見!こんなにすぐに見つかるとは。
さらに・・・。
またいた!
また発見。そして、こんなに大きな“金シャチ”も。
街を歩けば次々に見つかる“金シャチ”たち。
名古屋人の“金シャチ愛”がよく分かった。
“金色が名古屋らしい”
調査を進める中で、ふと立ち寄った名古屋城近くの円頓寺商店街。
ここで“金シャチ”をかたどったお菓子を売っている和菓子屋に出くわした。
この和菓子、最近は外国人観光客にも人気があるという。
“金シャチ”の人気は海をも越えるということか。ここで少しヒントを得た。
シャチホコはほかのお城でもついてるのを見たことがあるんですけど、金色っていうのが名古屋らしいなと思います。
「金色が名古屋らしい」。
高い知名度の秘密は、“金ぴか”がカギを握るのかもしれない。
旅人の口コミが広めた金シャチ
有名になったのは、金ぴかだったからなのか。
名古屋城の人に詳しく聞いてみた。
話を聞かせてくれたのは、名古屋城の歴史を調査・研究する学芸員。
知名度を押し上げた理由のひとつとして、「江戸時代の旅人の口コミ」があったのではないかと指摘する。
そのことをうかがわせる資料がある。
東海道の宿場を描いた江戸・後期の浮世絵だ。
現在の名古屋市緑区にあった宿場を描いた作品だが、遠くに名古屋城の天守閣と「シャチホコ」がある。
当時は寺社の参詣ですとか、いろんな事情で旅が活発になった時期ですし、そうした機会に尾張・名古屋を通る人々は、遠望からでも名古屋城の『金シャチ』の輝きを見られた。そうした背景があって『名古屋の金シャチはすごいよ』ということが広まっていったのだと考えられます。
やはり“金ぴか”であることは重要だった。
今よりも高い建物がなかった当時は、名古屋城の天守閣とそこに輝く“金シャチ”はかなり遠くからでも見えたのだろう。
「名古屋城の“金シャチ”、めっちゃ光ってたわ~」。
ふるさとに戻った旅人は、そんな風に自慢げに家族や友人に語ったのかもしれない。
金シャチが世界デビュー!?
“金シャチ”は江戸時代にはすでに全国に広く知られていたそうだが、そのあとも着実にステップアップし、唯一無二の存在になっていく。
これは、明治時代の始めに描かれた絵だ。
天守閣から取り外された“金シャチ”が東京で展示された際の様子を描写している。
訪れた人がおおげさに驚く様子がユーモラスだ。
実際に、“金シャチ”の展示は大きな話題を呼んだそうだ。
さらに、明治6年。
オーストリアのウィーンで開かれた万博には、日本を代表する文化財として出品された。
こうして“金シャチ”はお墨付きを得て、数あるシャチホコの中でも特別な地位を築いていったのだ。
ところで、あなたは何者?
取材はそれなりに進んだ。ただ、依然として疑問は残った。
シャチホコって、そもそも何なのだろうか。
まずは、“金シャチ”を見に来た人たちに聞いてみた。
「これ、何に見えますか?」。
・(男性)シャチでしょ。イルカの仲間の。
・(小学生)クジラみたいに見える。
・(女性)魚の「たい」とかかな。
・(オランダ人男性)魚とドラゴンが混ざったものじゃない?
そのルーツは古代インドに?
果たして、正体はなんなのか。
答えを求めて訪ねたのは、一角獣や竜など、想像上の生き物について世界中で長年調査してきた専門家だ。
「立川先生、“金シャチ”って一体何者なんですか?」
すると、なんとも壮大な話を聞くことができた。
そのルーツは、古代インドにまでさかのぼるのだという。
シャチホコは、江戸時代の百科事典「和漢三才図会」でも紹介されている。
魚の体に獣のような頭を持つとされていて、鳳凰や麒麟などと同様に想像上の生き物だ。
そして、シャチホコの「ご先祖様」として立川さんがあげたのが、古代インドの怪物「マカラ」だ。
マカラは水に住む怪物で、しばしば魚の体にワニのような頭をもつ姿で描かれてきた。
マカラはやがて現在の中国に伝わり、1000年ほど前の王朝、西夏の時代に、逆立ちしたような姿で屋根に上り、「鴟尾」(屋根につける装飾)となった。
そして、中国から日本へと海を渡ったマカラは城の天守閣に飾られて、シャチホコに。
織田信長が安土城の天守閣に載せたのが、初めてとされている。
想像力が生んだ金シャチ
どうして“金シャチ”が今も深く愛されているのか。
立川さんは、そのことについても話してくれた。
国立民族学博物館 立川武蔵名誉教授
「私たちは自然などいろいろなものに意味をつけて、そこから想像上の生き物を生み出す。そしてそれを畏れたりあがめたりする。そういった人間の営みの基層といえるところに、マカラをはじめとした想像上の生き物がいて、人間の暮らしや文化が豊かになっているんだと思います。何千年昔からの人間の想像上の営み。そういうひとつの伝統の中にいるんだと思うんです」
人間の自然への畏れや祈りは、マカラという姿を得て、何千年も受け継がれていった。
時代と場所によって姿形は変えていったが、その根底にある思いは金シャチに息づいているということか。
古代インドの怪物は“金シャチ”に姿を変え、名古屋のシンボルになった。
取材を終えた記者の目には、見上げた“金シャチ”が、いつもよりも輝いて見えた。
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