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会見全文 九文学園高校の井上監督 新天地は西彼杵高校

  • 2023年02月22日

【会見全文】 九州文化学園高校 名将・井上博明監督 
       新天地は西彼杵高校

佐世保市の九州文化学園高校の井上博明監督が3月に定年を迎え、ことし4月からは西海市の西彼杵高校で非常勤職員として女子バレーボール部の外部指導員を務めることになりました。井上博明さんは南島原市出身で昭和55年から43年間、九州文化学園高校の女子バレーの監督を務め、全日本高校選手権やインターハイなどの全国大会に合わせて100回出場し▼優勝15回、▼準優勝11回の功績を残しました。

以下、会見の内容です。
 

井上先生に残っていただきたい

西海市バレーボール協会 朝長隆洋会長

朝長隆洋会長
西海市(西彼杵高校)に井上先生を招聘した経緯について紹介させていただきます。実は井上先生の方から「今年度末をもって定年退職になるんだ」という話を聞いたものですからぜひ先生には県内に残っていただき、バレーボールに取り組んでもらいたいということで西海市に話を持ち込みました。その結果、ぜひ一緒に活性化に取り組みましょうという話になりきょうに至ったという状況であります。西海市の子供だけではなく長崎県全体のバレーボール関係者が西海市に来て、いろんな活動や指導ができるようになればさらにいいのではないのかなと考えております。

井上博明さん

井上博明さん
きょうはよろしくお願いします。西彼杵高校の外部コーチ・監督に4月からなることになりました。きょうは記者会見という場を設けていただいて、本当にありがたく感謝しています。抱負といっても何ができるか分かりませんが、試合の時に掲げる「横断幕」を作っていただくことになっています。

横断幕は「真実(こころ)のバレー」 

横断幕の内容は「真実」と書いて(こころ)と読んで、【真実(こころ)のバレー 常に今に全力を尽くせ西彼杵高校】という横断幕です。真実はひとつ。偽物はたくさんあるし、いろんなバレーボールの試合の中でもたくさんの場面があります。【何を考えどんな気持ちで何を見て】よく指導の中でも使うのですが、本当にいろんな場面の中でどういう考えをもってどういう気持ちをもってどういう視点・観点でやっていかなきゃいけないか、すべて形あるものではないし、数字で示すものでもないすべて目に見えないもの。そこの本当の真実を求めてやっていこうという真実(こころ)のバレーの進化を頑張ってやっていく。西海市の地域の方々にも応援していただけるようなチームにしていきたいと思っています。

小学校分校で家族4人暮らし

私事で恐縮なんですが、3つ子の魂百までではありませんが私が2歳、3歳、4歳の頃は今は「南島原食堂」になっていますが、小学校の分校で家族4人で暮らしておりました。小学校1~3年生福祉学級の担任が母親で、4~6年生担任が父親で、当時だったらテレビが出だしたころで、みなさん「君が代」が鳴るまでいろんなお菓子とか持ち寄って最後まで近所の方が集まってテレビを見て。当時シラミがわいている子供の頭を一生懸命洗っている母親の姿だとか、急病人がでると、バスもなにも通っていませんので急病人を母親が背負って、父親のバイクで小浜の温泉病院に連れて行って、私たち子供は置き去りにされていましたけれども、自分の子供よりも目の前の子供の為に一生懸命な両親の姿を見て大きくなってきた。

九文の指導者に向けて 両親から言われたこと

それなので九州文化学園の指導者になるときも両親から言われたのは「現場・現物・現実をよく見て教育とか指導の原理・原則・原点それはなんなのか、いわゆる”6げんの法則”というのを常に頭において指導するんだぞ」と両親から言われました。もう両親ともいませんけれども「そうだ、その通りだ!」と、両親から褒めてもらえるような、今度は西彼杵でも活動になれば一番の親孝行になるんじゃないかと思っております。

Q どういう43年間だったか?

井上さん

生まれて初めて佐世保に来て知人も友人も親戚もいない。実際、女子の指導者にはなりたくなかったんです。日本体育大学に誘いの話が来て、大学の監督さんから「絶対行け、腰掛で行くんじゃねえ!」「日本体育大学のメンツがあるんだ!」と2時間ほど説教されまして、それで来るようになって、いろんな意味で奇跡が小さな女子高で、日本の端っこで当時、長崎県のレベルの低い中でも県北地区はもっと低くて県大会のベスト8に1校はいるかどうかぐらいなレベルで。

井上さん

県代表が全国で上位にいったかといえばそうでもない。長崎県の中で、3年で全国大会に出れてこの前の春高で合計100回出てそのうち全国制覇を15回できて大変なこともあったけれどもホントに純粋な心で、人の心が動くようなバレーボールで、生徒を見てもらったときには、何か違うな、ここの生徒は何か違うなというそういう姿を見てもらった。大変なことはいっぱいあったけど「育児は”育自”」っていう言葉があって、イクジの最初は子供を育てる。もうひとつの「育自」は自分自身のことで大変なことはいっぱいあったけどもバレーボールの指導するおかけで育児は育自で自分も成長できた43年間だったと思います。

Q 九州文化学園に”未練”はあるか?

井上さん

いえ、そんなにありません。次に気持ちに向かっているので、ありがたい席も設けてもらっていろんな方に気持ちをいただいて次に向かおうとしているので次で頑張ろうと。今までのやってきたことを今度、次の未来に対する考えるヒントにしながら。体力は落ちてきていますけど知力と経験値は膨らんできているのでそれを生かしながら次に向かってやっていこうと思っております。

おかやま国体 優勝パレード

Q 西彼杵高校は休部の状態が何年か続いていた学校ですが、「指導を始めて何年で全国の舞台に」という目標はありますか?

井上さん

まだやってみないとわからないので、現場・現物・現実をよく見てみないとどういう風にやっていけばいいのかっていうのは出てこないので今の時点では(答えは控えます)はい、大ぼらも吹きたくないし。

2004年 国体優勝の瞬間
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