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長崎の歴史を巡る鉄道イベント「時をかける路面電車」

  • 2022年09月21日

タイムリープ!時をかける路面電車

「チンチン電車」の愛称で親しまれ、長崎の街を走り続ける路面電車。大正4年から長崎の街を走り続けています。100年以上にわたり、町の風景が変わりゆく中を走る路面電車はまさに「歴史の証言者」ではないでしょうか。

NHK長崎放送局では今年、公開収録イベント「時をかける路面電車」を開催。時空を超えて走る特別電車に乗って、観覧の皆さんと長崎の歴史を巡ってきました。

NHK長崎放送局 企画編成 渡海千里

電車クイズでエネルギーを充電

イベントの出演者は島原市出身の俳優、宮﨑香蓮さん、長崎電気軌道の向賢治さん、「長崎路面電車の会」の桑原淳志さんです。関根太朗アナウンサーが司会進行を担当しました。

宮﨑香蓮さん
向賢治さんと宮﨑香蓮さん
桑原淳志さんと関根太朗アナウンサー

まずは、長崎の路面電車の愛好家、桑原さんによるクイズからスタート。この特別列車は、クイズに正解するとタイムリープするためのエネルギーが溜まる仕組みです。

長崎電気軌道の特別車両310号「みなと」に関するクイズ

はこちら。

車内には長崎の工芸品「べっ甲」が使われています。それは、どこでしょうか?

① シートのひじ掛け
②つり革の一部
③運転士のハンドル
④降車ボタン
 

答えは④降車ボタンです。

クイズの中ではこんなトリビアも。

長い間、100円運賃で親しまれてきた長崎の路面電車。当時、500円玉を両替すると薬袋のようなものを渡されました。

実は袋の中には100円玉が5枚入っているんです。この写真が画面に映ると、会場のあちこちで懐かしむ声が上がりました。ちなみに包装する機械は今も保存されているそうです。

さて、会場の観覧者の皆さんはクイズに次々と正解して、しっかりエネルギーが溜まりました!無事に出発できそうです。

それでは、タイムリープ!

1922年の長崎にタイムリープ

「時をかける路面電車」。まずは1922年(大正11年)にタイムリープしました。このころ、長崎にはすでに路面電車が走っています。長崎電気軌道は1915年(大正4年)に開業しましたが、この当時、長崎市は九州一の大都市でした。

長崎市の資料によると、1920年(大正9年)の長崎市の人口は17万6554。福岡市は9万5381。なんと2倍近くの人口でした。路面電車はそんな長崎の市民の足として活躍していました。

このころに走っていた路面電車の車両が下の写真です。台車や電気機器類はアメリカから購入。車体は長崎で製作していたそうです。

1945年の長崎にタイムリープ

さて、「時をかける路面電車」は再びタイムリープ。1945年(昭和20年)に移動します。

路面電車はいつしか軍事工場へ通勤する人が乗るようになっていました。大橋駅の近くには軍需工場があり、学徒動員などで多くの人が業務にあたっていました。

そして8月9日。長崎に原子爆弾が投下されました。

爆心地の近くでは多くの人が電車に乗ったまま一瞬にして亡くなりました。その中には車掌を務めていた12歳の少女もいました。

 

当時、18歳で運転手を務め、去年(2021年)94歳で亡くなった和田耕一さんの話です。

和田耕一さん

和田耕一さん
「わたしが蛍茶屋の終点についたのは11時少し前ですね。あと数分で原爆を落とされるなんてそんなこと想像していません。だから建物、休憩室の中に入って、他の学生運転手の人たちと脱線した事故の話をしていた」

和田耕一さん
「そして、11時2分。11時2分の瞬間を聞かれても、とにかくものすごい言葉では言い表せない光、それを感じたわけですね。あの光は見たというよりも、身体全体で感じたような、そんな光でした。その次の瞬間、爆風で飛ばされたんですよね。瞬間的に地面に伏せたのかその辺がはっきりしないんですけど。建物の片隅に横になっていましたね」

和田耕一さん
「電車の残骸のなかには想像もつかないような黒焦げもありますしね。とにかく男女の区別もよく分からない、識別もできない状況が」

左下が和田耕一さん

後に和田さんたちの調査で、117名の従業員が原爆で一瞬のうちに亡くなり、その後、何名かが原爆の後遺症で亡くなったことが分かりました。

そして、原爆が投下されてから3か月後の11月24日。再び路面電車が長崎の街を走りだします。

和田耕一さん
「私たち以上に喜んだのは市民の人たちなんですよ。『電車が動いた』と。本当に静かなんにも音が聞こえないような町だったでしょ。そこに電車のゴーっという音。当時は警鈴というホイッスルのような音でなく、鈴を踏みながらチーンチーンと音をたてて電車は走っていきますね。結局その音を聞いて、一番喜んだのは市民の人ですよ。だから電車と並走して走っている人が多いんですよ」

音のない街に響き渡る電車の音は、まさに市民の希望となります。この話を聞いて、宮﨑香蓮さんは次のように話しました。

宮﨑香蓮さん
「チンチンという音、チンチン電車という愛称がとても意味のあることだと知りました」

「2022年も平和と言える世の中ではない。どうしてもロシアのウクライナへの軍事侵攻を考えてしまいます。戦争は絶対にしてはいけないのに繰り返してしまう。何もできない自分がもどかしいです」

「唯一の被爆国の日本、そして長崎としては、8月9日を核兵器が使われた最後の日にしないといけない。今、自分にできることは、世界で何が起きているかを"見張る"こと。見逃さないことだと強く思っています」

1982年の長崎にタイムリープ

「時をかける路面電車」は再びタイムリープします。車内には大粒の雨がバチバチと打ちつける音が聞こえます。

1982年(昭和57年)7月23日。長崎大水害が起きた日です。夕方からの帰宅時間帯に1時間に100ミリ前後という猛烈な雨が降り続けます。長与町役場では観測史上最大の187ミリを記録しました。

運転士の記録より
「5号系統を担当していた。石橋から蛍茶屋に帰っている途中、新大工町に差し掛かるところで再度停電した。これ以上は危険だと判断し、お客様5~6名を歩道まで誘導し、車両看守を行った」

「そのまま夜通し車両看守をし、途中眠気がきたがドラム缶などが電車にぶつかる音で目が覚めた。雨の量はとにかく異常だと感じた。水位が上がり始めて、あっという間に腰の上ほどまで上がってきた。川のような流れだった」

長崎大水害で、長崎の路面電車では車庫や車両、変電所、運行装置などに被害が出ましたが、人的被害はありませんでした。

運転再開まで1か月はかかるといわれていましたが、懸命の復旧作業によって、わずか3日後には動き出します。道路の復旧が進まない中で、路面電車は市民の足として活躍しました。

2010年の長崎にタイムリープ

「時をかける路面電車」は再びタイムリープして平成の時代へ。長崎に観光ブームが訪れる中、生活の足だけでなく、観光客の楽しみとしてのニーズが増えていきます。

まず、訪れたのが長崎のお盆の風物詩「精霊流し」です。「精霊流し」は8月15日にこの一年に亡くなった方を精霊舟で送る行事。大小さまざまな精霊舟とともに家族や友人が練り歩きます。

「精霊流し」ではたくさんの爆竹が使用されるのが特徴です。その結果、線路内にもゴミが散乱してしまいます。
ということで、長崎電気軌道の皆さんにとって大忙しになるのは、実は精霊流しが終わった深夜。このように人知れず、大量の爆竹ごみを処理しているんです。

また、爆竹で滑りやすくなった線路でブレーキが利くようにするために、砂撒き専用の電車もあります。

この写真は60年以上、長崎の街を走り続けた砂撒き電車です。現在は長崎に来る前に走っていた、小田原に里帰りしています。

10月に行われる長崎を代表する祭り「長崎くんち」でも、路面電車はたくさんの観光客を乗せて走ります。この時、路面電車は特等席になることがあります。なんと、路面電車のすぐそばに演し物が!電車の車窓ならではの景色が楽しめます。

現在そして未来へ

歴史を旅してきた路面電車。最後は未来へタイムリープします。西九州新幹線が開業して、大勢の観光客でにぎわう長崎。イベントでは未来の長崎について、来場者の皆さんと思い思いに想像しました。

 

今回、私(渡海千里)がこのイベントを企画したのは、普段利用している路面電車が戦前から長崎の街を走っていることを知り、タイムリープができたら車窓から何が見えるだろうと考えたことがきっかけです。
この記事を通して、何気なく利用している電車が原爆や大水害の危機を乗り越え、様々な人々を乗せてきた歴史に気づくきっかけになれば幸いです。

「昔の車窓を流れる景色はどうだったんだろう?」と想像してみると、何気なく通り過ぎていた景色がまた違った形に見えるものです。

最後に、鉄道つながりで番組のお知らせです。西九州新幹線がいよいよ開業します!

課題もまだまだある新幹線をどう楽しみ、どう生かしていくのか長崎県出身の髙田明さんと新幹線好きの役者で作家の松井玲奈さんといっしょに考えていきます。

 

「開業!西九州新幹線 長崎発―課題経由―未来行」

 

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