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生き残った住職と“勿忘(わすれな)の鐘”

岩手 陸前高田 東日本大震災12年
  • 2023年03月17日

東日本大震災から12年。岩手県陸前高田市で高台に再建された寺には、津波に流された後、がれきや砂の中から掘り出され、当時の教訓を伝えようと“勿忘(わすれな)の鐘”と名付けられた釣り鐘があります。3月11日には震災前と変わらぬ音色が響き渡りました。
(NHK盛岡 大船渡・陸前高田支局 記者 村上浩)

震災から12年・十三回忌法要

陸前高田市にある本稱寺。
震災から12年となる3月11日には檀家や遺族など40人が集まり、本堂で十三回忌の法要が営まれました。震災では、この寺の檀家のおよそ160人が犠牲になりました。

読経する佐々木さん(右)と長男・証道さん

住職を務める佐々木隆道さん(59)はこの日長男の証道さん(27)と法要に臨みました。
震災前、中心市街地にあった寺は、震災の津波で跡形もなく流されました。

震災前の本稱寺
震災直後 本稱寺があった場所
高台に再建された本稱寺

そして当時の住職で寺にいた父の廣道さん(当時76)母の隆子さん(同75)妻の宜子さん(同43)、
それに妹の小友聡子さん(同44)、姪の小友史佳さん(同20)が犠牲になりました。
父の廣道さんは後継者としての佐々木さんには厳しかった一方で、地元の社会福祉協議会の会長として檀家だけでなく市民から慕われていたと言います。
母の隆子さんは元教諭で厳しい中にも愛情を注いでくれました。
妻の宜子さんは市の嘱託職員として福祉の仕事をしていました。
大地震の後「避難している市民の世話をして欲しい」と要請され、市民会館に向かう途中に被災したとみられています。 

震災で家族・親族5人が犠牲に

佐々木さんも寺にいて津波にのまれ、畳につかまって助かりましたが、一緒にいた20人ほどは
全員、亡くなりました。

佐々木隆道さん
「私1人が生き残った。『寺を再建しろ』ということで生かされたと思う。現場で亡くなった人たちが(津波から)押し上げてくれたと思っている」

1か月後。がれきと砂の中から寺の釣り鐘が見つかりました。
ボランティアに来ていた同じ宗派の僧10人と人力で掘り起こしたと言います。

掘り出された釣り鐘

掘り出された釣り鐘は“勿忘の鐘”と名付けられました。
釣り鐘には流された時についた傷や砂が今もわずかに残っています。

震災から12年となった3月11日。
地震が発生した午後2時46分に合わせた市の防災行政無線のサイレンが鳴る中、佐々木さんは鐘をつきました。

佐々木隆道さん
「震災から12年がたち、復興も進んで世の中を眺めると当時の記憶が薄れつつあると感じますが、自分には当時の光景がありありと思い浮かぶ。震災後に受けた恩や支援とともに決して忘れてはならないと思う。私は生かされ、鐘は割れることなく掘り出された。同じ生かされた身として鐘をつき続けていきます、手を加えず」

佐々木さんに続いて、遺族や檀家の人たちが海の方向に向かって「勿忘の鐘」を鳴らしました。
鐘は震災前の変わりない音を響かせました。

取材後記

家族や両親を津波に奪われ、2人の子どもを育てながら寺の再建を果たした佐々木隆道さん。取材に淡々と答えていましたが、まだ復興を完遂したという心境にはいたっていないと感じました。父親の廣道さんが住職だった頃には、檀家や近所の人たちの交流の場として活気があふれていたということですが、この12年で檀家は高齢化が進み、高台に再建した寺に集まりにくいのが現状で、今後はかつてのような寺の姿をどこまで取り戻せるかが新たな目標になります。

  • 村上浩

    NHK盛岡放送局大船渡・陸前高田支局

    村上浩

    1992年入局
    2012年から宮城・福島などで被災地取材を続け2020年から現任地

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