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女性パイロットの先駆者 航空大学校"初"の女性 その人生とは?

#みやざきノスタル部
  • 2023年05月24日

宮崎にまつわる懐かしい思い出でつながろうという企画「#みやざきノスタル部」。
今回は1986年、宮崎市の航空大学校に初めて女子学生・小田嶋 良さんが入学した時や、当時の寮生活の様子です。その後、小田嶋さんはどうなったのか?ご本人に取材しました。

1986年 航空大に初の女性が入学

1986年、宮崎市赤江の航空大学校に初めて女性が入学しました。その方は秋田市出身の小田嶋 良さんです。当時日本でただひとつの民間航空会社のパイロットを養成するこの航空大学校は、1954年(昭和29年)に創立されましたが、この年まで女性の入学者は1人もいませんでした。小田嶋さんが入学した1986年は男女雇用機会均等法が施行され、女性の社会進出が進み始めた年でもありました。

学校の体育館で行われた入学式。男子28名に囲まれ、小田嶋さんが緊張した面持ちで校長先生の話を聞いている様子も残っています。

当時の小田嶋さんへのインタビューも残っていました。

記者

練習機に触れていかがですか?

小田嶋さん

うれしいです。

記者

あなたをパイロットに駆り立てたものは?

小田嶋さん

初めて見た飛行機がすごく力強く見えました。だからやってみたいと思ったんです。

記者

航空大学生として初めて飛行機に乗っていかがですか?

小田嶋さん

いいですね!

1987年 入学翌年の寮生活

こちらは入学翌年の寮生活の様子です。

これまで女子学生がいなかったため、小田嶋さんが入学後、個室が用意されました。そのため廊下にはこのような表示が・・・

こちらは夕食の様子です。

1987年 帯広分校で初フライト!

宮崎で1年ほど学んだ後、帯広分校では初フライトに臨みました。

当時のリポーター

両手両足を一度に使った操縦。ふらふらとはしながらも、訓練機が滑走路に出て・・・飛び上がりました!

卒業後、小田嶋さんは…?

卒業後、小田嶋さんはチャーター便など小型の航空機を運行する会社に就職し、プロのパイロットになることができました。
そして、卒業・就職から35年。今回 #みやざきノスタル部では小田嶋さんご本人に取材することができました。

飛行機の前で赤いジャケットを着た方が小田嶋さんです。入社以来同じ会社に勤め続け、今ではパイロットを目指す学生などを指導する教官をしています。また、教官以外にも、遊覧飛行の飛行機を操縦するなどプロのパイロットとしても働いています。

教え子に託す機長の夢

実は、小田嶋さんは航空大学校卒業後、大手の航空会社を受けていました。同期の男子学生が就職を勝ち取る中、小田嶋さんは残念ながら合格はできませんでした。女性がパイロットとして就職するのはまだ難しい時代だったのかもしれません。
しかし、最近は女性の教え子が大手の航空会社にパイロットとして採用されることも多くなったといいます。小田嶋さんは、うらやましいなと思う反面、教え子の就職先での良い評判を聞くと嬉しく感じているそうです。「教え子には、“就職はプロとしてのゴールではなくスタートなので、しっかり頑張って機長になって、いつの日かステーキをおごってください”と言っているのですが、まだ誰もおごりに来てくれないんです」と茶目っ気たっぷりに答えてくれた小田嶋さんでした。

前例がないところに飛び込むというのは大変なことですが、入学のときから今まで生き生きとした表情が印象的な小田嶋さん。小田嶋さんのようなパイオニアがいたからこそ、女性パイロットの道が開けていったのですね。

 

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