半世紀ぶりに響く デゴイチの汽笛
浅野愛里(カメラマン)
2023年12月04日 (月)
汽車ぽっぽの「ぽっぽ」、みなさんは聞いたことがありますか?
茨城県水戸市の千波公園には、1971年から半世紀以上にわたって蒸気機関車が展示されています。
ことし、その汽笛が53年ぶりに水戸の街に鳴り響きました。
この汽笛にどんな思いが込められていたのか取材しました。
水戸市の中心部にある “デゴイチ”
茨城県水戸市にある千波公園。
市の中心部に位置し、周囲3キロほどある千波湖の周りに遊歩道などが整備され、ジョギングやウォーキングをする人も多い公園です。
その公園の一角に、D51型蒸気機関車、通称「デゴイチ」が展示されています。
設備はほとんどが当時のまま。運転席にも座れるようになっていて、大人から子どもまで、多くの市民に親しまれています。
常磐線などでも活躍
1941年に埼玉県の大宮市で製造されたデゴイチは、主に貨物列車として常磐線などで約30年間活躍しました。
戦後の復興などを支えてきた蒸気機関車ですが、電化が進み、このデゴイチも1970年に廃車となりました。
そうしたなか、全国で蒸気機関車を惜しむ声が多く上がりました。
水戸市も例外ではなく、廃車となったよくとしの1971年にデゴイチの車体が国鉄から水戸市に引き渡され、千波公園のほとりに展示されることになりました。
デゴイチの保存に取り組む“デゴイチを守る会”
このデゴイチを半世紀以上にわたって見守り続けている人たちがいます。
市民や当時の国鉄のOBらで結成された「デゴイチを守る会」です。
水戸市でデゴイチの展示が始まった1971年に発足しました。
年に2回の清掃活動や車体の塗り直し、デゴイチを知ってもらうための地元のイベントなどを行ってきました。
デゴイチを守る会の会長、中山隆一さん(70)です。
カチャン、カチャンと鳴らしながら、ゆっくり力を入れて加速していく姿がいいですね。
中山さんと蒸気機関車の縁
中山さんは会が発足した1971年からのメンバーで、当時は高校を卒業したばかりの18歳でした。
中山さんの父親、祖父、そして曽祖父が国鉄の職員で、全員が蒸気機関車の運行に関わっていたそうです。
中山さんは幼いころ、毎日のように父の職場に遊びに行くなど、生活の中にいつも蒸気機関車や汽笛の音があったといいます。
国鉄の方と一緒に育った感じで、自然に鉄道が当たり前のように生活の中に溶け込んでいました。
自宅が駅から2キロ弱ですから。当時は高いビルもないせいか音が澄み渡って。水戸駅を発車する機関車の音とか、貨物のカタンカタンという車輪の音とかもよく聞こえたんです。それがひとつの時計代わりになっていました。
中山さんは、父親たちと同じように国鉄で働くことはかないませんでしたが、鉄道関連の企業に就職。
そのころ、水戸市の広報紙で「デゴイチを守る会」の創設とメンバー募集の記事を見たのです。
デコイチがやって来るっていう記事を見まして。これはちょっと、関わってみたいなと。そこですぐ事務局に電話しました。
それから52年、水戸市でデゴイチを守る活動を続けてきた中山さん。
清掃活動やイベントを開催する中で、中山さんは蒸気機関車を直接知る世代が少なくなってきたと感じるようになりました。
戦中から戦後、大活躍したと思うんですよ、蒸気機関車が一番。それがあったということを伝えたい。
蒸気機関車を知らない世代に 歴史をどう伝えるか
蒸気機関車を直接知らない世代にこれからどうやってデゴイチを残し、その歴史を伝えていけばいいのか。
そこで思い出したのが、守る会の先輩たちの言葉でした。
「汽笛を復活させられないか」
展示後、これまで一度も実際に動いたことのないデゴイチ。再び動かすことはできなくても、汽笛だけなら当時の様子を再現できるのではないか、というのです。
汽笛の音を実際に聞いてもらえば、子どもや若い世代がデゴイチに興味を持つきっかけになるのではないか。
中山さんはデゴイチを守る会の人たちと一緒に汽笛の復活に動きだしました。
汽笛を鳴らすには?
蒸気機関車は字のとおり、蒸気の力で走ります。
石炭を燃やして水を加熱、そこで生まれた蒸気を利用して車輪を動かします。
出発の合図などとして使われていた汽笛にも蒸気が使われます。
蒸気機関車の本来の方法で汽笛を鳴らすには石炭を燃やす必要がありますが、公園に展示された車体ではできません。
中山さんは守る会のメンバーたちと、汽笛を鳴らすために何かほかの方法がないか調べると、エアーコンプレッサーを使う方法があることがわかりました。
本来はブレーキ用に蒸気をためる大きなタンクにエアーコンプレッサーで空気をためることができるようにして、タンクから汽笛までの空気の通り道を作りました。
こうすることで運転席のペダルを踏むかレバーをひくと汽笛に空気が送り込まれ、音を鳴らすことができるようになりました。
エアーコンプレッサーは、電気工事の仕事をしている守る会のメンバーなどが持参。エアーコンプレッサーを動かすための発電機は守る会のメンバーの知り合いのネギ農家から借りることができました。
中山さんたちは、さまざまな協力を得ながら、試運転を重ねました。
音響で作った音とは全然違う、肌に感じるものがある。汽車ぽっぽの“ぽっぽ”の意味を実際に肌に感じる、低音の音とか。それが分かってもらえれば。
デゴイチの汽笛 半世紀ぶりに鳴り響く
10月14日の鉄道の日。
イベントはこの日に合わせて行われました。
守る会のメンバーが集まり準備を進めます。
会場には鉄道ファンや多くの家族連れが訪れました。
いよいよお披露目、出発の合図です。
「右よし左よし、出発進行!」
力強いデゴイチの汽笛が、53年ぶりによみがえりました。
これまで展示されているだけだった蒸気機関車から響いた汽笛に、子どもたちは興味津々です。
中山さんや守る会のメンバーたちは子どもたちに汽笛を鳴らす体験もしてもらいました。
子どもたちが運転席のペダルを踏んで汽笛を鳴らします。
実際の汽笛を聞くのは、生まれて初めてだという子どもがほとんど。
中には耳をふさぎながら恐る恐る鳴らす子どもや大きな音に驚き泣き出す子どももいましたが、ほとんどの子どもがわくわくしながら、うれしそうな表情で鳴らしていました。
めちゃくちゃすごい音がした!
気持ちよかった!
汽笛が鳴ることによって生きているような感覚で、愛情を持って接してもらえればなと思います。末永く、水戸市のシンボルとして、生き残ってもらえれば。
千波公園のデゴイチ これからも
汽笛を鳴らすためにはエアーコンプレッサーや発電機などの準備が必要なため、いつでも鳴らせるわけではありません。
中山さんたちは、今後もイベントなどに合わせて汽笛を鳴らせるようにしたいと話していました。
53年ぶりに響いたデゴイチの汽笛。
その裏には、中山さんや守る会のメンバーたちの戦後の日本を支えてきたデゴイチを知ってほしい、デゴイチを大切に残していきたい、そんな熱い思いがありました。
今回の汽笛の復活がデゴイチを直接知らない世代に、その歴史を伝える助けになったのではないか、子どもたちのうれしそうな表情を見てそう感じました。
これからも多くの人から愛されるデゴイチであってほしいと思います。