おしえて髙信先生 メロンの里に隠された謎・鉾田市
向井一弘(アナウンサー)
2022年08月04日 (木)
民放バラエティー番組でハンコ屋さんと名字対決するなどテレビでも大活躍の名字研究家、髙信幸男さん。
ふるさと茨城の気になる名字を訪ねる企画、今回のテーマは鉾田市の「二重作」さん。南北朝時代から常陸の国は数多くの武将がしのぎを削る、争いの絶えない場所。
今や日本一のメロンの里、鉾田市に隠された秘密を髙信先生が解き明かします。
メロンの里で高まる期待
ロケを行った6月下旬はまさにシーズン真っただ中。旧旭村の直売所の駐車場には県外ナンバーがずらり。
両脇にメロンの箱を抱え笑顔で帰る人々の表情を見ながら、「茨城の魅力度が最下位なんて絶対に言わないでね!」と願わずにはいられませんでした。
さて、高信先生、今回はなぜ鉾田市にしたんですかー?
二重に作ると書いて「二重作(ふたえさく)」さんという名前があるんです。 二重に作ると言えば二毛作。鉾田で二毛作なら今の季節、メロンでも作っていないかなと期待しているんです!
二重作氏は殿様級
最も掲載数が多かった携帯電話が普及する直前の1990年代の電話帳は髙信先生の最強アイテム。それで調べてみると、二重作さんが日本で最も多いのは鉾田市借宿(かりやど)。
メインストリートの県道を歩くと、あるわあるわ「二重作」の表札。しかし、メロン農家はいないようです(笑)
大きなお寺の墓地で待ち合わせたのは、代々借宿に住んでいるという二重作洋一さんです。
墓地を見せて頂くと、「二重作」家の立派な墓石が数えきれないほどあります。すると髙信先生、さっそくあるものを発見します。
殿様級のお墓がありますよ!五輪の塔です!
すると、二重作洋一さんが家に代々伝わる伝説を教えてくれました。
先祖は佐竹氏に追われて旧大洋村の方から位牌や遺骨とともに借宿にやって来たらしいんです。佐竹氏にだまし討ちにあったんだと聞いています。
やっぱり二重作氏は普通の人じゃないんですよ。分かるでしょ?狙われるというのは殿様級の人物だからです。昔、大掾氏の一族で鹿行各地を治めていた領主たちが、佐竹氏に「宴会だから集まれ」と呼び寄せられ、そこで皆殺しにされたという話があります。恐らくそのことでしょう。
16世紀後半、常陸の国は北部から佐竹氏が勢力を拡大。大掾氏は府中城を拠点にし、その一族が鹿行各地を治めていました。
これを「南方三十三館」と言います(「たくさんいた」という事を表現するための数字で、実際に33の城があったわけではなさそうです)。
小田原征伐で功績のあった佐竹氏は豊臣秀吉から常陸国を安堵されると、1590年、水戸城の江戸氏、府中城の大掾氏を滅ぼします。
そして翌1591年、南方三十三館の領主たちを太田城に参集させ、そこで皆殺しにしたと言います。
隠れ里で誇り高く生き抜く二重作一族
佐竹の残党狩りも続いたため先祖たちは名前を隠したりしていたそうです。墓に刻まれた名前も江戸時代の途中まで全て女性の名前ばかりで、どういう事情があったのか分かりませんが苦労したんだと思います。
古いお墓をまとめた時に作られたとみられる明治時代の石碑には、二重作(ふたえさく)ではなく「布太作(ふたさく)」、「太布作(たふさく)」と記されていました。
昔は税を布で収めたくらいですから「布」は「お金」のような価値あるものです。「太」は「たまる」という意味もあります。縁起の良い字を使って名前を変え、子孫繁栄の願いもこめられたのかもしれませんね。
世の中が安定する江戸時代以前、争いに敗れ隠れ里に落ち延びた武将は決して珍しくありませんでした。しかし、そこで君主への忠誠を忘れず墓を大切に守り、一族の幸せを願い発展し続けた二重作氏。たくましく誇り高い一族の400年以上の物語が秘められた名字でした。