「あの教育は虐待だった…」子ども、親それぞれの思い
―「成績を落としたら許さない」と怒鳴りつけてしまった
―深夜まで子どもに勉強させている
教育のためによかれと思って、こんな行動をしてしまったことありませんか?実はそれ、教育虐待かもしれません。 「教育虐待」とは、親が子どもの心や身体が耐えられる限度を超え教育を強制することを指す言葉で、時に暴言や暴力を伴うこともあります。「教育虐待」は、どのように起きるのか?子どもに長く残る影響とは?子どもと親、それぞれの立場の方に話を聞きました。
ぜひみなさんの体験も聞かせてください。寄せられた声をもとに、番組でこの問題を掘り下げたいと考えています。
(「クローズアップ現代」取材班)
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「家でホッとできた場所は、トイレですね」
関東地方に住む、30代のAさんです。Aさんが “自分は教育虐待を受けていた” と気付いたのは、大学生になってからだったといいます。
「物心ついたころには、虐待されていた記憶があります。世間体のいい学校に入らないといけないという雰囲気で、際限なく勉強させられていました。でも当時は『毒親』という言葉もなかったし、子どもだったから虐待だとは認識できていませんでした」
医師の父親と専業主婦の母親の間に、長男として生まれたAさん。父方の祖母が学歴に強いこだわりを持つ人だったことから、親族全体に学歴を重視する空気があったといいます。小学生になるとAさんは、中学受験のため母親に塾に入れられました。週の半分以上は塾で、放課後に友達と遊ぶことは出来なくなりました。
以前からより成績の良い同級生と比較され、罵倒されていたAさん。それは、努力を重ね「選抜クラス」に選ばれるようになったあとも、変わりませんでした。
「比較対象にされたクラスメイトは全国模試でもトップ100に入るような子たちで、いくら成績を上げても終わりが見えませんでした。塾の先生も怖くて、その週の塾が始まる前の日にはいつも腹痛に苦しんでいたのを覚えています」
塾がない日も気を抜くことは許されませんでした。宿題の合間にアニメを見たり、ゲームをしたりするだけですぐに「勉強しろ」と怒声が飛んできました。ある晩、Aさんが塾の模試を終えリビングでくつろいでいた時のこと。母親が突然、近くにあった塾の冊子を泣きながらビリビリに破り捨てたといいます。
「私がその時勉強をしていなかったことが理由だと思いますが、見ていてすごく辛かったですし、まともな人間のすることではないと恐怖も覚えました。親にあれこれ言われるので、ホッと出来る瞬間はトイレの中くらいしかなかった。8歳のころから、『死にたい』というのが口癖でした」
親の強い圧力を受け勉強を続けたAさんは、厳しい指導で有名な私立の中高一貫校に合格。しかし中学より大学を見据えた親からは、「東大医学部以外は人間じゃない」とすり込まれていきました。結局、東大の受験には失敗。それでも難関私立大学に合格し、親族からのプレッシャーはなくなったといいます。
しかしAさんの心は、すでにむしばまれていました。
「自我が芽生えず、自分が幸せを感じるものが分からない。社会性もない」
Aさんは自殺未遂を機に大学を休学、医療機関へ通うことになりました。いまは家族と離れ1人で暮らしています。
「両親は人権という概念すらない状態で、私はずっと支配されていたと思います。違和感を感じて周囲に相談したことはありましたが、そのたび『これは愛情なのだ』と親や先生にすり込まれていきました。私の意思や意見は、何も尊重されませんでした」
いま、Aさんは親との直接のやりとりを絶ち、支援機関の力を借りながら回復への道を探っています。
娘に残る心の傷…「何てことをしてしまったのだろう」
自らの行った「教育虐待」を、いま猛烈に後悔しているという親もいます。
19歳の娘と2人で暮らすBさんです。
20代のころに娘を出産。予定よりも2ヶ月以上早く生まれたこと、さらに自らが産後うつに苦しんだ負い目から、Bさんは「娘を完璧に育てなくてはならない」という思いに強く支配されてきたといいます。
「子どもを不完全な状態で生まれさせてしまった。それなのに自分は産後うつで子どもに関わることも出来ない。そうした状況で娘の人生が始まったことが露呈しないように、それを補いたいという気持ちが強かったんだと思います。いまなら単に私のエゴでしかないと分かりますが、当時は必死でした」
小学校に上がると、公文にピアノ、英語、体操。高学年になると塾にも通わせるようになりました。やらされる勉強が好きでなかった娘は、たびたび塾を欠席します。親の期待に応えようとしない娘を、Bさんはそのたびに大声で怒鳴りつけたといいます。
10代になった娘は、高校受験で第一志望の進学校に合格。しかしある日突然、「わたし無理かも」とつぶやきました。当時、娘は学校の宿題や予習に終われ、いつも寝るのは深夜。布団までたどり着けず、床で寝ていることもしばしばだったといいます。
「長い年月娘との関係がうまくいっていなかったことに私が悩み、親子でカウンセリングを受けるようになった時期でもあったので、それ以上無理をさせようとは思えませんでした。本人が希望して進んだ学校でしたが、私の母校でもあり、私に満足してもらおうと娘は無理をしていたのかも知れません」
その後、Bさんと娘は話し合った末、苦労して入った進学校から通信制の高校に転校。現在は本人の希望に沿った専門学校に進みBさんもその選択を応援しています。しかし、ふとした時に娘に残る「教育虐待」の傷跡を感じるといいます。
「小さいときから “100点取らなければいけない” とか、“テストに出てきたことはしっかりできなければならない” という考えが娘に植え付けられていて、その根強く残っている考え方が娘自身を今も苦しめています。『そんなに大変だったら100点取らなくてもいいんじゃないの』と私が言っても寝る時間を惜しんで勉強して頑張りすぎたいま、うつ症状が出ています。“できないとお母さんから認めてもらえない”、“学校で先生に認められない” という感覚が、いまも彼女の生活を支配しているようで、何てことをしてしまったのだろうと後悔しています」
みなさんの声を聞かせて下さい
AさんやBさんの経験を、どう感じたでしょうか?いま「教育虐待」を受けているという方、かつて「教育虐待」を受けていた、または振り返るとあれは「教育虐待」だったという方。自らの子どもへの向き合い方が「教育虐待」ではないかと悩む保護者の方、ぜひみなさんの声を聞かせてください。みなさんの声をもとに、『クローズアップ現代』でこの問題を掘り下げたいと考えています。
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