袴田さん再審 台湾はなぜ変わることができたのか
再審=裁判のやり直しを求めて40年以上闘ってきた袴田巌さんは、『お互い頑張ろう』と固く手を握りました。
その相手は、同じような境遇におかれ、台湾で闘ってきた男性です。
実は台湾では、再審に関する法律が近年、立て続けに改正されました。
再審までの道のりが長い日本と、どんな違いがあるのでしょうか?
(クローズアップ現代取材班)
裁判のやり直しまで40年以上・・・ 日本の再審制度の課題とは
日本で裁判のやり直しをするためには、高い壁があります。
1966年、静岡県でみそ製造会社の一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した袴田巌さん(87)は、その直後から再審=裁判のやり直しを訴えてきました。
しかし、再審が始まったのは2023年の10月27日。
死刑が確定した事件で再審が行われるのは戦後5件目で、過去4件ではいずれも無罪となっています。
なぜここまで長い時間がかかったのか。指摘されているのが「再審法」の問題です。
裁判で判決が確定した後、再審を始めるためにはまず、「その再審を認めるかどうか」を決めるための「再審請求審」が行われることになっています。
「再審請求審」は非公開の手続きで、通常の裁判とは進め方も異なります。
日本では、「再審請求審」や「再審」に関する規定(再審法)は刑事訴訟法にある19の条文のみで、大正時代から一度も改正されていません。
指摘されていることの1つが、今の法律には再審手続きでの「証拠の開示」に関する具体的な規定がないことです。
再審の申し立てが認められるためには、無罪であることを明らかに示す新たな証拠を弁護側が提示することが必要です。
しかし、その肝心の証拠は検察や警察などが保管。
通常の裁判では、検察が証拠のリストを示すことが定められていますが、再審にはそうしたルールが一切ないため、弁護側はどのような証拠が存在するのかさえ知ることができないのです。
台湾では近年、再審法が2度改正された
再審をめぐる課題に市民や司法が向き合い、制度を変えたのが台湾です。
近年、2014年(2015年施行)と2019年(2020年施行)の2度にわたって再審に関する法改正が行われました。
このうち、2019年の改正の大きなポイントは、「弁護士に加えて、再審を求める本人も、すべての記録や証拠を見ることができるようになった」という点です。
どうして台湾では法改正ができたのか、私たちがまず訪れたのは、台北市内にある市民団体「台湾イノセンス・プロジェクト」です。
えん罪被害者を支援するために2012年に設立され、これまでに死刑や無期懲役を言い渡された事件も含めて、34件を支援。
このうち14件で再審無罪を実現してきました。
代表の羅さんは、再審を求めるには「事件に関するすべての証拠が閲覧できることが欠かせない」と強調しました。
実際、事務所のキャビネットには、これまでに支援した事件の証拠や記録のファイルがあふれていました。
最近では、紙の資料を電子データにして保存を進めているそうです。
資料の中には、検察が裁判所に提出した「証拠」だけでなく、防犯カメラの映像や捜査機関が行った鑑定などのすべての「捜査資料」も含まれていて、一つの事件だけで相当な数の資料を入手できるのです。
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「台湾イノセンス・プロジェクト」羅士翔 代表
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「日本で証拠開示の決まりがないことを知ったとき、本当に驚きました。裁判所が有罪と判断した根拠を知るためには、まず証拠や捜査記録を入手する必要があります。そうして初めて新たな証拠について調べることができるのです。もし証拠や記録の開示がなければ、ただ判決に基づいて証拠を推測することしかできません。それは成熟した法制度ではなく、えん罪の救済にとても不利であり、厳しい挑戦になってしまうでしょう」
さらに、台湾では証拠開示以外の制度も整えられています。
DNA鑑定でえん罪が晴れた事件があったことを受けて、2016年には「刑事事件確定後DNA鑑定に関する法律」が成立しました。
いくつかの要件を満たした場合、有罪判決を受けた本人が、裁判所に対してDNA鑑定を請求することができるようになりました。
また、再審までにかかる審理の長期化を防ぐための制度もあります。
裁判所の規則によって、検察が不服を申し立てた場合も、再審を認めるかどうかを「8か月以内」に判断することになっているのです。
市民の声が法改正の原動力に
羅さんたちの活動は、すべて市民からの寄付によって支えられています。
「えん罪の被害者にとっては市民の関心が重要なサポートになる」と話していました。
実は、台湾で制度を変える大きな原動力になったのは「市民の声」でした。
そのきっかけとなったのが、1991年に起きた強盗殺人事件です。
犯人だとして逮捕された蘇建和さんは、死刑判決を受けて12年間拘置所に収容されました。
のちにえん罪が明らかになりましたが、捜査段階では警察から水責めや電気ショックといった拷問を受け続け、嘘の自白を強いられたといいます。
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えん罪被害者 蘇建和さん
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「私はまだ19歳でした。学校では先生から、裁判官や警察は私たちを守る人だと教えられてきました。なぜ突然えん罪にあい、部屋に閉じ込められるのか理解できず、怒りしかなかったです。司法制度がどうなっているかもまったく理解できませんでした」
無罪を訴える蘇さんのために、まず1人で闘い始めたのが父親でした。
えん罪だと訴えるパンフレットを作って毎日駅で配ったり、事件の再調査を求めて法律の専門家や立法機関の議員に陳情したりしました。
父の行動は、次第に大勢の市民の心に届きました。
強引な捜査や死刑判決に対し抗議するデモが、各地に広がったのです。
当時、台湾は半世紀にわたる一党独裁の時代が終わり、民主化が進んだ時代でした。
「えん罪はあってはならない」という強い怒りが、大きなうねりとなったのです。
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えん罪被害者 蘇建和さん
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「最初は、『なぜ誰もえん罪だと信じてくれないのか』と思っていました。しかし、その後に多くの人たちから手紙が届き、無罪を信じてくれる人が増えました。そうした人たちの関心と支援のおかげで、最も苦しい時期を乗り越えることができました」
検察・裁判所にも変化が
司法が抱える問題に声を上げ始めた市民の声を、検察側はどう受け止めたのでしょうか。
私たちは、去年まで台湾で検察のトップだった江恵民さんに話を聞くことができました。
江さんは、検察内部でも大きな変化があったといいます。
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最高検察署 前検察総長 江恵民さん
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「市民団体がえん罪事件について何度も集会を開いて民衆を動かし、国会では議員から質問されるようにもなりました。こうした情報は検察にも伝わってきて、大きな注意を払うようになりました。私たちはまず、えん罪が存在することを認める必要があります。もしそれを認めないとしたら、その司法は恐ろしいものです」
江さんは実際、現役時代に検察官として死刑囚に対する再審請求を行い、無罪に導いた経験があります。
検察が死刑囚に対して再審請求をするということは、日本では通常考えられないことです。
江さんは、検察官だからこそ再審のためにできる役割があると考えています。
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最高検察署 前検察総長 江恵民さん
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「検察は弁護士とは異なる公権力を持っており、被告に有利な証拠をより見つけやすいのです。だからこそ私は、検察官が積極的な役割を果たすべきだと考えています。えん罪は、1人の間違いで起こる訳ではありません。警察から検察官、裁判官まで皆が間違いを見つけられなかったのです。救済活動を行うにしても、無実の人を解放するだけではいけません。えん罪の原因を見つけ出し、再発させないような司法のシステムにすることが重要です。これこそが私たちが追求すべき目標です」
「弁護士と検察官は法廷で常に対立しているように見えます。本来はそれぞれの役割を果たしているだけですが、法廷で自分の正しさを争うために消耗し尽くすことになり、事件の『真実の姿』が見えなくなるのはとても残念だと思います。私は対抗する代わりに協力することを目指しています」
私たちは、台湾の司法の最高機関である司法院も訪ねました。
司法院刑事庁の李釱任庁長がまず口にしたのも、「結局のところ裁判官は神ではなく人間であり、誤判が生じてしまうことは避けられない」ということでした。
日本では、「三審制のもとで確定した判決を簡単に覆すことになれば、司法に対する信頼が損なわれるおそれがある」として、簡単に再審を認めるべきではなく「法的安定性」を保つべきだという議論があります。
ただ李さんは、より大事なのは「正義の追求」だと断言しました。
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司法院 刑事庁 庁長 李釱任さん
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「台湾では2015年の法改正の際、再審について『正義の追求は法的安定性の追求よりも優先されるべき』だとされました。再審のハードルを下げることで人々が確定判決に対する信頼を失うことがあるとか、法の安定性が弱まるといった考えは、今の台湾の司法実務では考えられていません」
市民の力 あなたがえん罪に巻き込まれないために
台湾での取材を通して感じたのは「市民のうねり」でした。
もちろん歴史的な背景や、法体系がすべて日本と同じではありませんが、市民が検察や裁判所に対して意識を向けたからこそ、変われたのではないかと思います。
日本でも、死刑が確定した事件だけでなく、痴漢や窃盗といった身近な犯罪でも、これまでいくつものえん罪事件が起きています。
自分や身近な人が、明日、えん罪に巻き込まれるかもしれません。
ひとりひとりがえん罪について考え、国全体で制度について真剣に考える必要があるのではないでしょうか。
えん罪の被害を受けた蘇建和さんは、再審の結果、2012年に無罪を勝ち取りました。
現在は同じようなえん罪の被害者を救済する団体で仕事をしています。
原点となっているのは、蘇さんの無罪が確定する前に亡くなった父の言葉だといいます。
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えん罪被害者 蘇建和さん
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「あるとき父が私に尋ねました。『家の前の道に石があって、その石につまずいてけがをしたらどうするか』と。私は『誰がこんな所に石を置いたのだと、ののしる』と答えました。すると父は真剣な顔で私を諭しました。『以前だったら私もそう思ったが、今は違う。救済活動をする中で、えん罪事件は「石」のようなものだと気づいた。その石が私たちを傷つけ、えん罪を負わせたのだ。その石を移動させて、次の人が同じようにけがをしないようにするべきだ』と」
日本とは歴史も文化も異なる台湾ですが、えん罪に向き合う人々の姿勢には学ぶべきものがあるのではないでしょうか。