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今だから言葉にできる 映画にこめた思いとは

去年12月に宮城県石巻市で上映された、ある映画。

地元出身の女性が、東日本大震災で被害を受けたふるさとと自分に向き合って作った作品です。

どんな思いで映画を撮ったのか、今だから言葉にできる思いを語りました。

(石巻支局 記者 藤家 亜里紗)

東北ココから「語り始めた大川小の子どもたち」

7月21日(金)午後7:30~7:57放送予定(宮城県域放送)
※放送から2週間、NHKプラスで見逃し配信をご覧いただけます

地元・大川地区で初めて行われた上映会

石巻市大川地区で去年12月に行われた上映会。会場には約200人が訪れました。

大川地区は震災で大きな被害を受け、今は多くの人が地元を離れて暮らしています。地区にこれほどの人が集まるのは久しぶりのことでした。

佐藤そのみさん

映画を製作したのは、大川地区出身の佐藤そのみさん(上映会当時26)です。

映画は震災当時・中学生だったそのみさんが感じていた葛藤などをもとに作られ、大川地区で撮影されました。

自分とは違う考えの人に思いを巡らせてみて

主人公は、震災で妹を亡くした中学2年生の祐未(ゆうみ)。遺族としてメディアからの取材に戸惑いながらも答えていると、その姿や言葉がテレビを通して広がっていきます。

左・そのみさん 右・妹のみずほさん

そのみさん自身も、震災で小学6 年生だった妹のみずほさんを亡くしました。当時から妹を亡くした姉としてメディアの取材を受けていましたが、複雑な思いもあったといいます。

佐藤そのみさん

「メディアからの『妹さんが亡くなったのを知った時、どんな気持ちでしたか』とか『今、妹さんに伝えるならどんなことですか』という質問に答える時に涙を流してしまって、それがテレビに使われる。かわいそうな子として扱われているのが嫌というか、自分じゃないみたいでした。いいように切り取られているなっていう感じでした」

映画「春をかさねて」 左が主人公の祐未 右は幼なじみのれい

映画に登場する祐未の幼なじみ、れい。彼女も震災で妹を亡くしました。れいが災害ボランティアの男性にひかれていることに気づく祐未。2人は震災後、さまざまな思いを抱えて生きていきますが、お互いを素直に思いやることができず、すれ違います。

そのみさん自身も当時、地元でそれぞれの思いや置かれた状況を推し量れずに、溝が生まれていたと感じていました。

佐藤そのみさん

「地元の人間関係に亀裂というか、前とは違うものになってしまったことがすごく悲しかった。この映画を見てもらう時間だけでも、自分とは違う考えを持った人のことに思いを巡らせることができるんじゃないかな、そういう時間をつくれる映画になったらいいなと」

“別に被災者になるために生まれてきたわけじゃない”

幼いころから大好きなふるさとである大川を舞台に映画を撮りたいと考えていたそのみさん。映画製作を学ぶため、震災の4年後に関東の大学に進学します。

初めて大川を離れ新たな仲間と交わるなかで、複雑な思いで過ごしてきました。

(大学生の時に書いた日記)
“早く脱したい 震災から抜け出したい
なんでも震災と繋げてしまうし
うまく生きれないと
なんでも震災のせいにしちゃう
ほんと呪縛のようだ”

一方、地元を離れたことで、ほかの感情もあったといいます。

佐藤そのみさん

「周りは大学生活をウキウキ楽しんでいて、目の前に楽しいものがたくさんあふれていてもそっちに純粋に行けないというか。大学1年生の時にバイトをしていてお皿を洗いながら、涙が止まらなくなったこともありました。大事なことから逃げてしまったという罪悪感に常に追われていました」

そのみさんは震災と向き合うため、ふるさとを舞台にした映画をつくることにしました。

映画の終盤では、主人公の祐未が幼なじみのれいに、震災にとらわれず生きようと語りかけます。

“私もれいも好きに生きよう。これ以上つらくなる必要なんてない”

佐藤そのみさん

「震災がやってきて被災地の人間になってしまったけど、別に被災者になるために生まれてきたわけじゃないし、もっとやりたいことがあるならやっていい。自分の意志であれば何をやってもいいって思うようになった」

上映後、地元の人や大川に関わってきた人たちがそれぞれの感想を話しました。

大川地区で働いていたという女性

「助かった人も苦しんでいたんだなって。私は直接被災していないですが、本当の苦しみをわかっていなかったって映画を見て改めて思いました。見に来てよかったです」

大川地区出身の女性

「この近くで生まれて被災して、まだ前に進めなかった。でもきょうここで映画を見せてもらって、いくら年をとっても立ち止まってはいられないなって、少しずつでも前に進まなきゃと思いました」

今だから言葉にできること 親への思い

映画のなかに当時の思いを込めたそのみさん。
今回の取材で、今だから言葉にできることを語ってくれました。

そのみさんの母校・石巻市の大川小学校。震災当時は、妹のみずほさんが通っていました。

大川小学校では、津波で74人の児童と10人の教職員が犠牲になりました。今も4人の子どもの行方がわかっていません。

なぜ子どもたちが亡くなってしまったのか。そのいきさつについて、遺族たちは当初から納得できる説明を学校側から受けられていないと感じていました。

そのため一部の遺族は、子どもたちが亡くなった理由を知る方法はないかと、たびたび集まって話し合っていました。そのなかには、そのみさんの両親もいました。

そのみさんは、親たちが話し合いのなかで悲しみや怒りをあらわにする姿も目にしてきました。

親たちは、市の教育委員会に対して当時の状況や学校の対応などについて何度も説明を求めていました。当時中学生だったそのみさんにとって、そうした姿を報道で見ることはとてもつらかったといいます。

佐藤そのみさん

「『この人こんなに怒るんだ、こんなに泣くんだ』って。親たちの知らなかった面を見せられるというか、それを受け入れるのが当時は結構しんどかったです。

説明会で遺族がどなっている映像などをテレビでみんなで見ていると、『ここであの人たちはごまかしたよね。逃げたよね』とかいろいろ話し合うわけですよ。そういう映像も結構ショックだった。

そんな親たちの姿を見て、子どもたちはもう戻ってこないのに、あの日に繰り返し向き合うことに意味があるのかと思う一方、子どもを亡くした親の気持ちって どんな気持ちなんだろうと その姿から初めて想像するようになりました。私は子どもを産んだことがないから 本当にどれだけつらいのか想像がつかないなと思っていました。その姿を見て」

地元で映画を上映したそのみさん。
年末に帰省した際、これまで話すことを避けてきた親への思いを口にしました。

そのみさん

「私は当時、親たちがそういう活動をしていることが嫌だった。何でなんだろうね、自分の子どもを亡くすのと妹を亡くすのとでは違うんだね」

母・かつらさん

「たぶん事実を追及することが、そーちゃん(そのみさん)にとっては先生たちを責めてるっていうことに見えたのかな」

そのみさん

「先生とかそれ以外の人たち、誰かを責めてるように見える状況が嫌だったんだよね」

父・敏郎さん

「責めてるように見えるよね、傍から見れば攻撃していたり犯人捜ししてるようにも見えなくもないからね」

母・かつらさん

「そーちゃんにはそういう面ではつらい思いさせてしまったよね。でもやっぱり誰が一番つらかったかって、津波にのまれてしまった子たちだからさ。一番つらく苦しい思いをしたのはさ。だからあの子たちの気持ちを考えれば親がどう思われようが、大人の都合でちょっと声を上げにくいですとかそういうのはあり得ないなって思ってた」

そのみさん

「震災前はこんな分裂はなかったのに悲しいなと思っていて。今はそれが、わからないけど、完全に修復しないまま長い時間がたったなっていう印象」

家族のなかでもお互いの痛みを気遣うからこそ、これまで思いを伝えることが難しい時間を過ごしてきました。

幼なじみと初めて語った、それぞれの心の内

佐藤そのみさんと幼なじみの加納愛美さん

上映会の2週間後、そのみさんは地元で暮らす幼なじみの加納愛美さんと再会しました。
愛美さんは同じ大川地区の出身で、小学校と中学校の同級生です。

家族ぐるみで仲がよく、きょうだいどうしでもよく遊んでいました。

上映会でそのみさんの映画を見た愛美さん。映画を見ながら震災当時のことを思い出したと話してくれました。

加納愛美さん

「主人公の姿から、その(そのみさん)がこんな思いを抱えてたんだって思ったところもあったし、当時の瞬間に戻って見られた。みんなに見てほしい」

当時は、お互いの気持ちを打ち明けることができなかった2人。映画をきっかけに、震災後に抱えていたそれぞれの心の内を初めて話しました。

そのみさん

「あたし当時、相談できる人とかがいなかった」

愛美さん

「映画を見てすごく思った」

そのみさん

「まな(愛美さん)は、いた?」

愛美さん

「いたのかな。私も頑張ろうとか笑おうみたいな感じだった気がする、あんまり伝えず」

そのみさん

「1人で抱えてなんとか無理して?」

愛美さん

「そんなこともないけど、みんな同じ気持ちだろうから1人だけ表に出すのも違うかなっていうのもあったし、きょうだいのなかで1人だけ残ったっていうのもあるから家族のなかで私が笑おうみたいのもあったかな」

加納愛美さん

「お互いの当時の気持ちを知れたからよかった。それをわかった上でまた会って前みたいにたわいもない話をしたい」

映画を通して自分を表現し、身近な人たちと当時の思いを共有したそのみさん。これからの自分やふるさとの大川について、今感じていることを話してくれました。

佐藤そのみさん

「震災後、みんなとうまく話せなかったこととか、お互いに壁を作って震災前とは違う大川になってしまったこととか、心に引っ掛かっていたものは映画に閉じ込められた。震災前の大川に戻したいという思いに駆られていた時期もありましたけど、今は、何でも変わっていくものだから元に戻せなくても、それぞれが新しい人生を歩んでまた違う形の大川になっていくのもいいのかもしれないって思うようになりました」

みんなのコメント(2件)

感想
Yua
19歳以下 女性
2024年3月16日
映画に思いを込める・・・すごい?
私もこの映画みたいと思いました。
感想
MOMO
19歳以下 女性
2024年3月4日
映画に思いを込めるってとってもすごいことですね!!

これからも震災のこわさを語り継いで、伝え続けて、少しでも犠牲になる人が減ってほしいです。