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津島町岩松地区 廃業する老舗旅館がつないだ縁

  • 2024年05月07日

明治から昭和初期の町並みを残す宇和島市津島町の岩松地区に、文豪が愛した小さな旅館がある。そこは、まるで時間が止まったままのようで古き良き旅館の面影を残している。しかし、後継者がおらず、この春をもって廃業することになった。4月、旅館を愛してやまない人たちが集まり、最後の宴が行われた。

(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

それは、山々の屏風で、大切そうに囲われた、陽に輝く盆地であった。
一筋の河が野の中を紆(めぐ)り、河下に二本の橋があり、
その片側に、銀の鱗を並べたように、人家の屋根が連なっていた。
いかにも、それは別天地であった。

(昭和文学全集第四巻 獅子文六集 角川書店版)

昭和の文豪、獅子文六の代表作「てんやわんや」の一説である。

岩松地区

小説の舞台となった岩松地区は、海運業で栄えた商家や蔵元が軒を並べ、今もなお町並みにはその風情が漂っている。去年12月には、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されたほどだ。

その中でひときわ目を引くのが、大畑旅館である。明治後期から大正にかけて建てられた木造2階建ての建物で、かつては商家の別邸だったが、その後、旅館として多くの旅人を迎え入れてきた。そればかりか、地域の人々の暮らしに根付き、冠婚葬祭をはじめ、宴の場として欠かせない存在となっていた。

しかし、4代目の大畑勝照さん(77)は、後継者がおらず自らの体調も芳しくないため、この4月をもって廃業することを決意した。

大畑勝照さん

「もう100年近く代々続けてきましたが、みな苦労して商売してきました。私の代でやめてしまうのは心苦しいのですが、時代の流れかなとも感じています。地元の人にもいつも大事にしてもらってましたし、遠いところから獅子文六ゆかりの宿ということで訪ねて来られる人もいましたし、本当に多くの人に出会うことができました」

昭和20年12月から2年間にわたり獅子文六が逗留した部屋は、そのままの形で残っている。2階の一番奥にある部屋には、

この部屋にて原稿執筆 岩松にて

と記された文六の直筆の書がある。ほかにも

思いきや伊豫の涯(はて)にて初硯(すずり)

落人(おちうど)や師走となりし伊豫に入(い)る

という句も残されている。どちらもこの地にやってきたときのことが思われる句だ。

獅子文六

文六にとって、戦後間もない東京を離れてやってきた地は、特別で刺激的だったのかもしれない。小説「てんやわんや」には、地元の人がモデルになったと思われる愉快な人物が登場する。方言丸出しで、生き生きと日々を生きる人々の姿は、小説から今にも飛び出してきそうだ。

営業最後の日、廃業を惜しむ人たちが宴を開くことになった。旅館の最後をにぎやかに見送ろうというのだ。

呼びかけたのは、地元で電器店を営む兵頭肇さん。空調設備を直すなど、お得意様でもあった旅館だが、何より地域の歴史をそのまま残す貴重な場所だという。

兵頭肇さん 

「『文六のファンで岩松にやってきました』という人を何人ここへ案内したかわかりません。人が集まる場所がなくなるのはさみしいけれど、大畑旅館がつないでくれた縁を大切にしようと交流会を企画して、最初は10人くらいかなと思いましたが、40人も集まって改めてやっぱり地域には欠かせない場所だと感じました」

兵頭さんと同じように、地元の人たちにとっては、あって当たり前の存在だったと話す人も多い。地元で精肉店を営む女性も「子どもの頃、ここで青いワンピースを着たきれいな新婦さんが新郎さんといっしょに式を挙げていたのを見た記憶があります」と懐かしんだ。スナックを営む女性は「先代からずっと大事にしてもらってきた。旦那が左官業だったので雨漏りがしたら修理したり、なくなるなんて信じられません」と受け入れがたい様子。

この日、ひときわ興奮気味に旅館を眺めている少年がいた。小学3年の松岡紳治くんだ。古い建物が大好きだという。これまで外から見るだけだった旅館の部屋に案内してもらうと、窓格子や掛け軸、浴衣などなにもかも愛おしそうに、熱いまなざしを注いでいた。

松岡紳治くん

「まさに旅館というかんじで素敵だなと思いました。このまま残ってほしいし、泊まってみたかったです」

松岡くんは、旅館への思いをしたためた作文を宴の席で披露した。

松岡くん  
「アイラブユー。アイラブ津島。僕は津島が大好きです。古い時代からある大畑旅館が閉業するのを聞いてびっくりしました。なくなるとさみしくなるけど、大畑旅館は誇れるものがたくさんあります。今来ている人は素敵なものを見ているんだなと思います。大畑旅館がなくなっても、僕は忘れません。そして岩松のほかの建物を壊すのではなくて守っていかすようにすべきだと思います。僕たちが大人になっても大切にしたいです」

厨房から宴を見守っていた大畑さんに、一人の若者が声をかけていた。

左:清家正崇さん 右:大畑勝照さん

岩松地区の歴史や文化を大切にしたいという清家正崇さんは、宴会で出された数々の郷土料理のレシピを受け継ぎたいという。大畑さんは「作ってもらってこの味を忘れないように思ってくれるのがうれしい」と惜しげもなくレシピを差し出した。清家さんは「いつかこれが大畑旅館の味だと、だれかに食べてもらえる機会が来るかもしれないので家で作ってみます」とありがたそうにレシピを受け取っていた。

宴の後、部屋にまだ空きがあるというので私も宿に泊まることにした。ほかの宿泊客は、近くのスナックへと宴の続きに出かけていったので、私は一人、部屋へ行く。  
案内してもらったのはいわゆる「文六の間」。6畳一間に仕切られた畳の部屋には、湯飲みと急須があり、直筆の額もある。さっそく熱い緑茶をいれ、浴衣に着替える。なんと浴衣には、「大畑旅館」の文字と「てんやわんや」という文字が書かれているではないか。せっかくなので「てんやわんや」を読もうと決め込んだ。

やや長編ながら、文六自身の境遇と重ねながら描かれた小説は痛快で、登場人物にどんどん引き込まれていく。まさにこの場所で執筆した作品かと思うと、愛おしさがますます深まっていく。

深夜を過ぎた頃、ほかの人たちも宿へ帰ってきた。私は旅先の宿で聞く人の足音や話し声になんだか安心感を抱く。階下の厨房では、今夜の宴の後片付けの音がまだ聞こえていた。明かりを消し、建物に刻み込まれた数々のドラマに思いをはせながら、私は眠りについた。どうかこの旅館がつないだ縁がこの先も続きますように。

特集の内容は、下記の動画でご覧いただけます。

  • 山下文子

    山下文子

    2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。 鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。 実は覆面レスラーをこよなく愛す。

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