里山に受け継がれる「富母里神楽」 愛媛県鬼北町
- 2023年11月28日
鬼北町の小さな里に、代々住民たちが舞を奉納してきた神楽がある。福の神や鬼、天狗にふんして舞を舞う。秋祭りの前夜祭として行われてきた恒例行事だが、ことし実に6年ぶりに奉納された。「久しぶりやけんな、ちょっと見にきなはいや(見においで)」と神楽の保存会のメンバーからお声がかかった。 (松山放送局宇和島支局 山下文子)
一時途絶える危機も
「富母里神楽」(とんもりかぐら)とは、その名の通り、鬼北町の富母里地区で始まったという。しかし、実はその神楽がいつどのように始まったかをはっきり知る人は少ない。というのも、神社の祭礼に合わせて奉納されていた神楽は、地区の高齢化や少子化で担い手が減り昭和50年ごろに一時途絶えてしまったのだ。
そして、10年以上がたった平成3年。地元の有志が保存会を立ち上げた。当時の会長を務めたのは、ゆず農家の那須史憲さん(66)だ。
「もともと、ここには隣の高知県や城川町からいわゆる本格的な神楽師という人が祭事の時にやってきては舞いよったのよ。それをいつからかわからんけども、もうわしらでやろうじゃないか、と口伝えで自分らで舞うことにしたのが始まり」
6年ぶりの奉納へ
保存会のメンバーは、農家や役場職員など総勢およそ20名。30年近く細々と続けてきたが、このところは地区で亡くなる人が多かったことや、コロナ禍の影響で本番はおろか練習もままならず奉納を見送った年が続いていた。そしてことし、6年ぶりに神社で舞うことを決めたのだ。
本番3日前、メンバーが練習しているという町役場を訪ねてみた。60代から30代までのメンバーが集まっている。ごそごそと倉庫から衣装を取り出し面を数える。剣や弓まで一式そろっている。こうした道具を使って15の演目を3時間かけて踊るのだという。
那須さん
「人が少ないけん、一人で何役も舞うしかないのよ。しかしね、6年もたつと舞を忘れてしもうとる。体力の衰えを感じる。でもね、こういうのは一度途絶えてしまうと再興するのが難しいけんね、もうそろそろ若い人にバトンタッチよ」
次の世代へバトンタッチ
那須さんは、次の世代へ受け継いでもらおうとことし会長職から退いた。思いを引き継いだのは役場職員の中川博之さん(48)。地元で受け継がれた文化を残していきたいという思いは強い。
「先輩たちがやってきたこの神楽を絶やしてはいけないという危機感はありました。私が高校生の時に復活したのを見た記憶がありますが、地元の大切な文化なのでいつまでも残ってほしいと思って、張り切っています」
3時間で15演目
そして迎えた本番の夜。神楽の舞台は、急な石段を登った先にある黄幡神社だ。日が暮れて境内にはかがり火がたかれている。
続々と集まってくる人たち。老いも若きも地区の人もそうでない人も、観客は30人ほど。
「わたし、お神楽大好きなんです。でも、長らく見てなくって知り合いからいつやるのか教えてもらって慌てて来たんです」
小気味よい太鼓の音で神楽が始まる。「うずめの舞」や「盆の舞」、踊っているのは地元の農林公社の社長だ。60代とは思えないほどの軽い身のこなし。保存会立ち上げ当時と変わらない足運びは、若者にも負けてはいない。30代の役場職員も鬼の面をつけて榊を手に勢いよく動き回る。見に来ていた2人の娘たちに向かっていくと、娘たちは恐ろしい面の下が父親と知らずに泣いて怖がる。その様子に訪れた人たちも思わずほっこり。
即興のやりとりに独自の舞も
さらに、「恵比寿の舞」では、商売繁盛の神様が天狗とともに出てきて、観客に向かって釣り竿を投げ込む。おひねりをねだっているのだ。しかし、釣れたのは空っぽの小さな俵のみ。
神様
「おかしいのお。きょうはだいぶ食いが悪い。米俵しか釣れん」
天狗
「あれあれ。それはおかしいのお、6年ぶりでだいぶためこんどるはずなんじゃが」
観客はもう一度投げ込まれた釣り竿の先にあるその俵に次々とおひねりを結びつけていく。すると、ようやく釣り上げた神様たちは大喜び。大漁に足をぴょんぴょん上げて飛び上がっているではないか。観客もその姿を見て、笑顔で拍手を送る。このやりとりはすべて即興だという。
富母里神楽には、ほかの地域にはないような独自の舞もある。「じゅうらせん」という演目では、暴れ狂う鬼を女の神様が退治するという内容だ。刀を持った神様が、鬼の面をかぶって舞う。
子どもの健康願う相撲で…
さらには、「大蛮(だいばん)」という演目は、神楽の最後に行われるのだが、赤ら顔の神様と子どもが延々と相撲をして、神様がヘトヘトになるという筋書きだ。
子孫繁栄や子どもの健やかな健康を願う演目だが、地区では少子化が進んでいる。この日神楽の最後まで残っていたのはわずかに2人。小学生の男の子と女の子が1人ずつ神様とがっぷり四つに組んで勝負する。
神様はごろんと倒されてやられてくれるのだが、まだまだ元気そうだ。
と、そこへ保存会のメンバーが私の背中を押す。「女の人でもかまんのよ、人がおらんから、はい相撲とって」と、飛び入り参加を促されたのである。見渡すと、神様と相撲が取れそうなのは私くらいである。ええい、ままよ。カメラを置いて神様の前でしこを踏む。
「ええぞ、やれやれ」観客はやんややんやと野次を飛ばす。はっけよい!どんとぶつかり、神様のまわしをつかむと、逆に神様にズボンをつかまれ、ひょいっと持ち上げられてしまった。あわわと、思っているうちに神様も私も力尽き、床にごろんと転がっていた。お互い起き上がり握手をして終了。拍手と笑いが起こった。
“長く続けられるよう継承したい”
「観客と演者がひとつになれるこの神楽の良さを久しぶりに味わいました。見てもらった人たちのうれしそうな顔を見ると、私たちも勇気づけられます。みんなだんだんと年をとってはいきますけど、長く続けられるように継承していきたい」
同じ鬼北町に住みながらも、この神楽を見たのは初めてのことだった。ましてや参加することになるとは。それでも帰り際に「お相撲よかったよ」と優しく声をかけられた。「こういう田舎の神楽がずっと続いてほしいね」とも。
長い神楽の上演時間の中入りには、地域の人が用意した酒や寿司などが振る舞われ、終始和やかな雰囲気だ。来た人たちは神楽を見ては笑顔になり、笑い声が絶えず響く。神社は吹き抜けで、冷たい秋風が吹き込んでいたが、温かい気持ちになったのは言うまでもない。