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「大石さんとこの昌良くん 東京でこんなことをしよるんか~」 ようもんてきたわい ふるさと宇和島にて

  • 2023年12月14日

小さな港町、宇和島市で生まれ育ったシンガーソングライター大石昌良さん(43歳)。ソロデビューから15周年を迎えた今年、宇和島市の依頼を受けて市民文化祭のフィナーレとして1日限りの特別なコンサートを行った。大石さんが曲と曲の合間に語ったのはふるさと宇和島のことばかり。愛してやまない、ふるさとへの思いを聞いた。

(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

1980年に宇和島市で生まれた大石昌良さんは、海の近くで育った。家のすぐそばの防波堤で夜釣りをしながら眺めていた満天の星と穏やかに吹く潮風。そんなふるさとで過ごした日々が楽曲作りに生かされているという。文字どおり浴びるように音楽を聴いたのは、中学と高校時代。往年の名曲から最新曲までそろう宇和島市中心部のレコード店に足しげく通い、CDを買ったり店内で流れる洋楽のプロモーションビデオを見たりしていたという。

「松山と比べると宇和島にはエンターテインメントが少なかったんですよね。かごの中にいるような感じがずっとしていました。だから早くここを出て、自分がおもしろいと思う世界に飛び込んで行きたかったし、そういう世界を作りたいと思っていました。中学生の時はビートルズとか当時流行していたJポップとかをよく聴き、レコード店に入り浸ってミュージックビデオを繰り返し見ては、華やかな世界にあこがれを抱いていました。かっこよくなりたいと思って背伸びをして洋楽を聴いていたおかけで、良質な音楽に触れられたのかなと思います」

それから20年余り。プロのミュージシャンになった大石さんの歌声を聴こうと、会場には1200人が集まった。ほとんどが宇和島市民で大石さんの家族や幼なじみ、同級生のほか子どもからお年寄りまで幅広い年齢層の観客で満員になった。コンサートを前に大石さんはこう話した。

「今回は、『大石さんとこの昌良くんは、東京でこんなことをしよるんか~』って僕自身を知ってもらえるようなステージにしています。ぼんやりとしていた大石昌良というものをはっきりさせたいというか。同級生から娘が僕の曲を聴いて踊ったりしてるよとかって連絡をもらうと本当にうれしいし自分の大きな力になっていると思います。宇和島と東京はきっと流れる時間の速度が違うのかもしれないけど、巡り巡って宇和島の人たちに自分の音楽が届いているというのは、何というか鼻が高い」

ギター1本で紡ぐ大石さんの音楽は、驚くほど迫力があり歌詞に込められたメッセージは腹のど真ん中に響く。今回のステージは、デビュー曲「ほのかてらす」から始まり大石さんのミュージシャンとしての軌跡をたどるようなセットリストが組まれた。上京した時のみずからの揺れる思いを曲にした「東京ループ」から観客と一体になる「ピエロ」。そして、アジ釣りの名人で東京に戻るときはいつもグローブみたいな大きな手を振って見送ってくれた祖父の姿を歌った「またこいよ」。大石さんは、圧倒的な声量でギターを弾き語り観客を魅了していく。

大石さんは近年、人気アニメの主題歌など多くのアニメソングを手がけたことでも名前が知られた。楽曲を提供するたびにファンが増えていくなかで、予期しなかったうれしい知らせが届いたという。

「母校はもともと野球が強いんですけど、高校野球の県大会の応援でブラスバンドが自分の曲を球場で演奏してくれたんです。とてもうれしくて」

そんな折に決まった今回のコンサート。「宇和島ならではのステージにしたい」と大石さんは母校の宇和島東高校に吹奏楽部との共演を願い出た。曲は、明るくアップテンポで聴く人を元気づけるような「ようこそジャパリパークへ」。大石さんと学生たちは、わずか1回のリハーサルしかしていないとは思えないほどぴったりと息の合った演奏をして、会場のボルテージが一気に上がった。学生たちは緊張した表情をしながらも楽しそうで、大石さんはその演奏を全身で受け止め笑顔でマイクを握っている。大石さんが思い描いていた地元でのステージが実現した。

「学生時代、宇和島出身の人が有名だったり活躍していたりするのを見るのがすごくうれしかったので、今の学生たちに僕がそんな風に思ってもらえるような存在になれたら本当にうれしいです。きょうのステージで少しは故郷に錦を飾れたかな」

ステージを見終えた観客たちは皆、興奮冷めやらぬ様子だった。 

観客
「地元の高校生との演奏もあってすごく感動しました。素敵なコラボでした」

観客
「ステージを見られたのは一生の思い出です。同じ宇和島出身でこんなにかっこいい人がいることを誇りに思います。来て良かったです」

取材後記

エンターテインメントの原点は、地元の宇和島だと語っていた大石さん。「何もない町だったからこそ自分で何かを作っていこうという気持ちになったんじゃないか」と地元で過ごした日々を振り返る。宇和島は、大石さんにとって「何もないけど、始まりのまち」。実は、同世代で同じふるさとで小学生時代を過ごした私は、小柄なサッカー少年だった大石さんを覚えているし、洋楽と出会ったのも同じレコード店で私も通い詰めた。だからか、ステージで語られることの1つ1つが身近に感じられ、私の思い出と重なって胸にこみ上げてくるものがあった。宇和島で育った観客のなかには、私と同じような気持ちになった人も多かったのではないだろうか。いや、大石さんの歌に込められているふるさとへの思いや家族に対する感謝の気持ちは普遍的なもので、きっと観客誰しもの心にしみいったはずだ。 

  • 山下文子

    山下文子

    2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。 鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。 実は覆面レスラーをこよなく愛す。

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