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潜水艦「伊58」と米軍艦「インディアナポリス」 生存者の願い

戦後78年 海を越えて愛媛に届いた手紙
  • 2023年07月12日

太平洋戦争末期、人間魚雷を搭載して特攻作戦にも参加した旧日本海軍の潜水艦「伊58」。昭和20年7月にはフィリピン沖で1隻のアメリカの大型軍艦を魚雷で沈めます。その軍艦は重巡洋艦「インディアナポリス」。後に広島に投下された原子爆弾の部品を運んだ船としても知られます。1200人近くの乗組員の大半は海に投げ出され死亡しました。かつて「敵」同士として戦争に参加した2隻の船。終戦から78年の月日が流れ、当時のことを知る人も年々少なくなり、今では2隻の船の生存者はそれぞれ1人だけになりました。 こうした中、ことし6月、愛媛県松前町に住む「伊58」の最後の生存者の元に「インディアナポリス」の同じく最後の生存者の男性から手紙が届きます。いったい男性は何を伝えたかったのでしょうか。

 (NHK松山放送局 木村京)

戦争の記憶

松前町に住む96歳の清積勲四郎さんです。 旧日本海軍の潜水艦「伊58」に乗艦した最後の生存者です。現在の大洲市に生まれ、軍国少年として育ちました。

清積さん
「当時アメリカは日本を苦しめる悪い国だと学校でも教え込まれて信じていましたね。10人兄弟だったから家庭のことも考えて、学校を出たら軍隊へ入るかよそへ働きに出るかだった」

中段中央 清積さん

尋常小学校を卒業後、陸軍を経て、海軍に入隊した清積さん。海軍の潜水学校では優秀な成績をおさめ、昭和20年「伊58」の乗組員に抜擢されました。清積さんは当時のことをこう振り返ります。

清積さん
「学校にいたときに母から“兄がグアム島の近くで潜水艦に沈められて亡くなった”と連絡があり、先生から“潜水艦に乗って兄さんの敵をとるために頑張りなさい”と言われました。敵の船を1隻でも2隻でも沈めるぞという気持ちでした」

「伊58」

人間魚雷・回天を載せ、特攻作戦にも当たった「伊58」。 
100人近くいた乗組員のうち最年少の17歳だった清積さん。 
艦内では、食事の支度なども担当していましたが、回天が出撃した直後には、用意する食事が一人分少なくなったことを記憶しています。 

昭和20年7月30日の深夜、「伊58」はフィリピン沖の海上で1隻の艦影を確認。アメリカ海軍の重巡洋艦、「インディアナポリス」でした。後に広島に投下される原子爆弾の部品を太平洋のテニアン島に運び終え、フィリピンのレイテ島に向かっていました。極秘任務のため単独で航行していたのです。

清積さん
「あの夜は、月明かりでスポットライトが当たったような海面に、インディアナポリスが黒い点でうつっていました」

「インディアナポリス」

「伊58」は「インディアナポリス」に向かって魚雷を発射。船は轟音とともに沈んだといいます。1200人近くの乗組員の大半が犠牲となりました。清積さんは艦内にいましたが、地震のような衝撃を感じたといいます。

アメリカから届いた手紙

左:ハリス田川泉さん

ことし6月、清積さんのもとを1人の女性が訪ねてきました。アメリカ中西部のインディアナ州の大学で日本文化などを教えているハリス田川泉さんです。

大学のあるインディアナ州のインディアナポリス。町名が軍艦の名前に使われた縁から 「インディアナポリス」の記念碑が建てられているほか、乗組員の遺族などの集まりも定期的に開かれています。

今治市立中央図書館

ある日、偶然、日本の新聞記事を目にした田川さん。記事は去年、今治市の中央図書館が平和活動の一環として開いた「伊58」や「インディアナポリス」についての展示会を取り上げたものでした。記事の中で清積さんの存在を初めて知った田川さん。運命的なものを感じ、図書館に連絡をとりました。そして、交流のあるインディアナポリスの家族会にも掛け合って清積さんにメッセージを届けるため来日することにしたのです。

この日、図書館で初めて面会した清積さんと田川さん。田川さんから手紙を受け取った清積さんは、しばらくじっと見つめたあと、ゆっくり読み上げました。

親愛なる清積さんへ
私の名前はハロルド・ブレイ。USSインディアナポリス最後の生存者です。あなたは潜水艦伊58の最後の生存者であると聞いています。私はあなたに友情の手を差し伸べ、あなたやあなたの同胞に恨みはないと伝えたいのです。
私たちはともに国のために戦いました。そして戦争が終わった今は癒しの時です。戦争に勝者はいません。船員、家族、友人など双方が多くを失うのです(中略)より良い、より安全な世界を築くために共に努力していきましょう。真心を込めて
ハロルド・J・ブレイ

ハロルドさんに握手をする清積さん

清積さん
「ありがとうございます、ブレイさん。同じ気持ちだったと思うと、それが1番うれしい」

手紙を書いたハロルド・ブレイさん96歳です。
沈む船から救出され一命をとりとめました。インディアナポリス最後の生存者です。

かつては敵としてそれぞれの国のために命がけで戦った2人。
78年の年月を経て思いが通じ合った瞬間でした。

その様子を見届けた田川さんも平和への思いを新たにしていました。
 

ハリス田川泉さん

「大事なミッションだったので手紙を気持ちよく受け取っていただいて、私は肩の荷がおりてほっとしています。わたしたちが歴史を学び、伝えていくことで、平和な世界を作っていきたいです」

今回、田川さんが届けた手紙には戦死した「インディアナポリス」の乗組員の遺族が書いたものも含まれていました。そのうちの2通をご紹介します。

祖父を亡くした女性からの手紙

親愛なる清積勲四郎様、
本日はお手紙を差し上げることができ、大変光栄に存じます。
私の祖父は、1945年7月30日の運命の夜に亡くなりました。
私を含めて私たち家族は、あなたやあなたの仲間の乗組員に対して恨みの気持ちを持っておりません。第二次世界大戦で戦ったすべての人にとって困難な時代でしたが、今は許しと平和を求める時です。私の祖父も同じように感じていることでしょう。
私はあなたの心も平和であるよう祈っています。
敬意を込めて
ドーン・オト・ボルヘッファー
セオドア・G・オットの孫娘

父を亡くした男性からの手紙

親愛なる清積様、 
私の父はUSSインディアナポリスで歯科医として勤務していたアール・ヘンリー中佐です。彼は生存者ではありませんでした。
私は、第二次世界大戦の終結以来、両国が同盟国であり、平和な世界のために努力を続けていることに感謝しています。日本のたくさんの方々が亡くなり、苦しみ、世界中の何百万人もの人々が苦しんでいることに心を痛めています(中略)
インディアナポリスからハリス泉があなたを訪れ、あなたとあなたの国への平和と親善の気持ちを分かち合っていることに感謝します。 
敬意を表して
アール・ヘンリー・ジュニア

清積さんが伝えたい思い

その数日後、清積さんはハロルドさんたちに返事を書いて自分の思いを伝えることにしました。

親愛なるハロルド・ブレイ様、 
戦争は不幸な出来事ではありましたが、今日こうしてお互い幸せに平和に暮らし、友として語り合える日を迎えたことに感動を覚えます。 
今は亡き戦友たちの霊にあなたの心を届けたいと思います。 
ありがとうございました。 
清積勲四郎

一文字一文字、丁寧に書きつづった清積さん。
平和な世界で手紙のやりとりができることに感謝の気持ちを口にしていました。 清積さんが書いたお返事は、田川さんが帰国後に家族会の集まりに出席した際にハロルドさんに届ける予定です。

取材後記

取材では、戦争は絶対にいけないと話す清積さんの強い目、ハロルドさんの写真を見つめる優しい目が印象に残りました。
昔の記憶をたどりながら話してくださった清積さんに改めて壮絶な時代を生き延びた人々の強さと優しさを見た気がしました。そして恨むのではなく、平和を願う気持ちは、遠く離れたアメリカのハロルドさんも同じなのだと感じました。 
私を含めた20代の若者は戦争体験者から直接話を聞ける最後の世代だと言われています。これからも記者として、聞くだけでなく、伝え残していくことを続けていきたいと思っています。

  •  木村京

     木村京

    2020年入局、2022年から今治支局。 今夏、初めての戦争取材を経験。

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