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直木賞作家・天童荒太が語る “石鎚山のような”大江健三郎

  • 2023年07月11日

松山市出身の作家、天童荒太さん(63)。
児童虐待など心に傷を負った人の思いに寄り添う作品で幅広い世代から支持を受けています。死者を悼みながら旅をする若者を描いた「悼む人」では直木賞を受賞しました。
ことし3月に88歳で亡くなった大江健三郎さんについて、天童さんは「石鎚山のような大きな存在。本を書くことで本気で世界を変えようとしていた」と尊敬の念をあらわし、作品にも大きな影響を受けたといいます。
その天童さんが、今を生きる私たちへの“大江さんからのメッセージ”を読み解きます。

(NHK松山放送局 中元健介)

大江作品は“最高のエンターテイメント”

道後温泉街で生まれ育った天童さん。
「近所に椿の湯があり銭湯感覚でバシャバシャ遊んでいた」といいます。
大江作品との出会いは高校生の頃。当時、将来の夢が映画監督だったので読む小説はもっぱら映画化されたものばかり。
その過程で大江作品の中で映画化されていた「飼育」を知り、試しにその芥川賞受賞作から手に取りました。

NHKスペシャル 世界はヒロシマを覚えているか(1990年放送)

天童さん
「大江さんの本を手に取ったものの、純文学なんて面倒くさくて重いし自分には分からないだろうと。ところがリアルな題材の中で、人間とか世界のあり方のおもしろさを表現されていることにすごくワクワクして、めまいがするくらい“最高のエンターテイメント”というほど衝撃を受けました。若い人の鬱屈とか、若い人の抱えている苛立ちとか、先の見えなさみたいなものが非常にビビッドに描かれ、学生当時の自分にも染みるものがあった。何だ面白いじゃないか、エンターテイメントよりも、より人間に迫っていた」

ふるさとを描いたのは“作家の本能”

NHKスペシャル 世界はヒロシマを覚えているか(1990年放送)

大江さんは88年の生涯で数々の作品を世に出しますが、何度もふるさとの内子町大瀬を「谷間の村」として登場させます。
ふるさとで過ごした経験をもとに様々な問題に直面し葛藤する村の姿を描きました。
ふるさとを描く事は作家にとって避けては通れないと天童さんは指摘します。

天童さん
「ふるさとのイメージが一般の人と作家では違う。皆は「兎追いし」みたいな歌にある牧歌的なイメージかもしれないが、作家が考えるふるさとは、生まれてから育っていく過程においてすごく嫌なこととか、すごく邪悪だったりしたこととか、でもすごく優しくされてきたこととか、あらゆる善とあらゆる悪が混沌として入り交じった世界。それの総体なんですよ。そんな総体を描かないことがありえますか?逆に。そんな経験を人間はもう2度と出来ない。書くのは当たり前で、そこからを基に人間は考えざるをえない。そんな大きな塊をどう解きほぐして、人間はなぜそうなのかとか、人間の根源や世界の成り立ち、世界の秘密を書こうと勝負する時に一番知っているふるさとを出発点にするしかない。だから大江さんがふるさと“谷間の村”を描き続けたのは、ある種の作家としての“本能”です」

天童荒太 著 「巡礼の家」(文春文庫)

天童さんが4年前に発表した「巡礼の家」。
ふるさと道後を舞台に生きづらさを抱える人々が支えあう姿を描きました。
ふるさとの描き方もまた、大江作品の影響をうけたと言います。

天童さん
「大江さんは谷間の村を舞台に、時代を反映しながら“世の中の映し鏡”として人間の普遍的な心情をとらえ、人間や世界の真実を描いてきました。私が書いた「巡礼の家」は生まれ育った場所にあった、お接待とか深い理屈ではない優しさ。常識やしきたりでこうするとかじゃない、手の差し伸べ方みたいなものがある。それが今の世界の多くの紛争だったり、経済のために格差を生んだり、人が人を助けてほしいと言えなくする世界観と向き合う時に活きる。いざ書く時には、自分が本当に理解できる場所が頼りになる。「巡礼の家」っていう世界観ではそれを描かざるをえない、書く必要があった。ふるさとの描き方も大江作品から多くを学んだ。人間や社会の本質に迫り、面白い物語をとことん追求する、そんな大江イズムをこれからも継承したい」

大江作品は戦争抜きでは語れない

小学生のころの大江健三郎さん

天童さんが大江作品の独自性として注目するのが少年時代の「戦争体験」です。
6歳で太平洋戦争が始まり10歳で終戦を迎えた大江さん。
終戦を境に戦争に対する価値観が真逆になる現実に直面したことが、“物事の本質を見極める土台”になったと指摘。
さらに“村の外で起きている戦争と村の内側の現実”という視点にも天童さんは注目。
その両面を見つめ想像力を育んだことが作家の礎になったと考えます。
天童さんが読み解く“村の内と外”のストーリーは、さながら人気漫画「進撃の巨人」を想起させます。

天童さん
「大江さんを語るには戦争を抜きには語れない。森の外に戦争があったってことです。森の外にすごい巨大な暴力と巨大な死ともう何もかも無にしてしまうような嵐のような現実があった。一方で自分の生まれ育った森の内側っていうのは、戦争から守られている世界。そこに生まれる差異、違いみたいなものにすごく敏感に繊細に、そこに人間の言い知れぬ闇とかがあるんだっていうのを、そこを書けばこの世界の秘密や真実にたどり着けるっていうことに気づいたと思うんですよね。今まであるものを疑って自分たちで考えないと、自分たちで見つけないと本当にいいものは見つけられない。本当にあるべき世界は、本当にあるべき人間はどういうものか、一生かけて追いかける姿勢が、大江さんの独特な想像力を育んだ」

メッセージは “私らは生き直せる”

大江健三郎 著 「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」(講談社)

いまを生きる私たちへの“大江さんからのメッセージ”として、天童さんが注目したのは、小説「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」。
78歳の時、最後に発表した小説で、東日本大震災の影響を受けたこの作品では、大江さんを思わせる老人が「私」という一人称で語りかけます。

天童さん
「この本の中で大江さんを思わせる主人公が“私らは生き直すことができる”という言葉を投げかけてくる。これこそが今を生きる私たちへの大江さんからのメッセージ。自身はもう生き直すことはできない、取り返すことはできない。でもこれを受け継いだ我々人類総体は、まだやり直せるじゃないか。どんなにつらいことがあっても、“生き直すことができる”、やり直してほしい、もう一回生き直せる。大江さんが心配されていたように、これからの原子力の問題、環境破壊の問題、核戦争も起きやしないかっていう恐れ、若い人たちを取り巻く多くの悪が若い命や希望を潰さないかと本気で心配されていたと思います。だからこそ共に支え合って生きていくことが必要じゃないか。どうやって一緒にこの世界をよりよいものにしていけるのか。個では生きていけない。子どもや孫により良いものを、より良い世界を残していけるかということを大江さんは物語を通して伝えようとしたし、それを継いでいくのは次の世代の私たちの責務だと思っています」

インタビューを終えて

番組制作にあたり大江作品を読もうとしますが“難解な文章”の壁にぶつかり中々進まず。
いまを生きる私たちへの「大江さんからのメッセージ」をどう読み解けばよいのか、その答えがはっきりしないまま天童氏のインタビューを迎えることになり不安を抱えていました。
天童氏の「つらいことがあっても私たちは支えあって生き直すことができる。
“共生”こそが大江さんからのメッセージ」という確信に満ちた言葉を聞いた時、一筋の光が差し込みました。
天童氏に感銘を受け、本を読む毎日です。

 

  • 中元健介

    ディレクター

    中元健介

    スポーツ番組、ドキュメンタリーのディレクターとしてスノーボード・平野歩夢選手、ソフトボール・上野由岐子選手、相撲・琴奨菊関、サッカー・長谷部誠選手などを取材。オリンピック、サッカーワールドカップ、MLBなど海外の現地取材も担当。

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