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【随時更新】熊本地震から8年 2024年4月16日 熊本の動き

  • 2024年04月16日

2024年4月16日、熊本地震の本震から8年。犠牲となった人を悼み、被害を見つめ直す一日です。県内各地の祈りや、今後の災害に備える動きなどの最新情報をお伝えします。

南阿蘇村 1:00すぎ 大和晃さんの家族が献花

8年前の4月16日未明に発生した熊本地震の本震で、震度6強の揺れを観測した南阿蘇村では国道にかかる橋が崩落する大規模な土砂崩れが発生し、近くを車で走っていた阿蘇市の大学生、大和晃さん(当時22歳)が土砂に巻き込まれ亡くなりました。

16日未明、大和さんの両親たちは晃さんが見つかった現場の近くを訪れ、ろうそくをともして花を手向けました。そして本震が発生した時刻の午前1時25分になると、静かに祈りをささげていました。

東京でも追悼

東海大学農学部のキャンパスがあった南阿蘇村の黒川地区で、自宅のアパートが倒壊して亡くなった大野睦さん(当時20歳)の東京の実家では、本震から8年となった16日に合わせ、家族や友人たちが睦さんをしのびました。

南阿蘇村 8:30ごろ 亡くなった学生をしのぶ

南阿蘇村の黒川地区はかつて東海大学農学部の学生およそ800人が暮らし「学生村」とも呼ばれていましたが、熊本地震の本震で下宿やアパートが倒壊し、学生3人が亡くなりました。

当時1年生だった男子学生が亡くなった下宿の大家、渡邉ヒロ子さん(79歳)と馨さん(87歳)の夫婦は地震から3年後、営んでいた下宿の跡地に自宅を再建しました。また、庭には亡くなった学生をしのんで花壇を作りました。

16日朝、草取りなど花壇の手入れをしていた夫婦は、村の防災行政無線のサイレンが鳴ると、かつて学生が暮らした部屋を向いて黙とうしました。

南阿蘇村 8:30ごろ 旧阿蘇大橋近くで祈り

熊本地震の本震で崩落した旧阿蘇大橋近くの展望所では、犠牲者に手を合わせる人の姿が見られました。

阿蘇市 10:00ごろ 阿蘇神社前の広場で追悼行事

熊本地震の本震で震度6弱の揺れを観測した阿蘇市では、一連の地震であわせておよそ1000棟の住宅が全半壊し、災害関連死で20人が犠牲になりました。

去年復活した阿蘇神社の前の広場では追悼の行事が行われ、市の職員や地元の人たちおよそ40人が参列しました。午前10時になると阿蘇市では追悼のサイレンが鳴り響き、参列者は黙とうして犠牲者に祈りをささげました。

益城町 10:00すぎ 消防署員が救助訓練

震度7の揺れを2度観測した益城町では、益城西原消防署の訓練用の施設で救助訓練が行われました。

訓練は地震で倒壊した家屋から人を救助するという想定で、消防署員たちは救助活動で使う鉄のバールで大きなコンクリートを持ち上げたり、削岩機を使って厚さ20センチほどの鉄筋コンクリートに穴を開けたりしていました。

熊本地震から8年が経ち、地震のあとに入った署員も増え、消防では救助の経験や技術の継承に力を入れているということです。

益城町 10:00すぎ 小学校の元校長が児童に講演

益城町の飯野小学校では全校集会が開かれ、地震が発生した当時の校長で、現在は防災士として活動している柴田敏博さんが講演しました。

柴田さんは子どもたちに、当時のことや、地震に備えるためにできることについて語りかけました。

南阿蘇村 13:00ごろ 全線運転再開の南阿蘇鉄道

南阿蘇村と高森町を結ぶ南阿蘇鉄道は、熊本地震で線路や橋りょうなどが大きな被害を受けました。地震後も全線のおよそ6割の区間で運休が続いていましたが、去年7月に全線で運転を再開しました。

16日は多くの乗客でにぎわい、阿蘇山の雄大な風景や新緑に覆われた田園風景を楽しんだり、被災して掛け替えられた「第一白川橋梁」から見える景色を写真に収めたりしていました。

阿蘇市 13:00すぎ「楼門」復旧の阿蘇神社にも多くの人

熊本地震の本震で、阿蘇神社は国の重要文化財の「楼門」が倒壊するなど大きな被害を受けましたが、復旧工事が進められ、去年12月に楼門が再建されました。

16日はツアー客や家族連れなど多くの人が訪れ、楼門から神社に入ると、修復された場所を見たり手を合わせて参拝したりしていました。

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