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【光る君へ】清少納言の父・清原元輔が熊本にいた

清原元輔、いったいどんな人物だった?他にも平安時代の京都と熊本の繋がりを調査!
  • 2024年05月01日

大河ドラマ「光る君へ」に登場している清少納言。
その父・清原元輔は肥後守として今の熊本に赴任し、83歳で亡くなりました。
いったいどんな人物だったのか?取材しました。
(4月10日(水)放送の「クマロク!~キニナルことば塾~」より作成)

新年度のことば塾は「キニナル!」と題して、従来の日本語や熊本弁の解説に加えて、話題になっている言葉や視聴者の皆さんから寄せられたギモンなども紹介していきます。
今回は大河ドラマ「光る君へ」と熊本の関連です。
主人公は紫式部。吉高由里子さんが演じています。(番組HPはこちらから)

視聴者の方からお便りが来ました。
熊本市の赤星敦さんからです。
「紫式部とライバルであった清少納言の父親の清原元輔、晩年は国司として今の熊本に赴任していた。他にも京都ゆかりの場所があるので、ぜひ紹介してもらいたい」というもの。
ことば塾ではございますが、守備範囲を広くして、こうした声にもお答えします。
お手紙は3月はじめぐらいに頂いていました。
そうしましたら、なんと、先日の放送で「清原元輔」が亡くなったことが明らかに・・・。

清原元輔はドラマでは大森博史さんが演じています。(番組HPはこちらから)
この清原元輔が熊本にいたと。

では、清原元輔はいったいどんな人物だったのか。こちら。

清原元輔は清少納言の父で歌人でした。
62代・村上天皇の撰和歌所の寄人となり、『万葉集』の読解や『後撰和歌集』の編さんを行いました。
晩年は、国司として肥後を治め、83歳で熊本で亡くなっています。
記録によれば、寛和二年(986年)から、亡くなる正暦元年(990年)まで肥後を治めていたので、79歳ごろに肥後に赴任したと考えられます。
そして熊本には、清原元輔を祭る「清原神社」も残っています。
場所は、熊本駅近くの北岡神社の北側、道路を挟んですぐのところにあります。

他にも元輔ゆかりのものが熊本に残っています。
それが、藤崎八旛宮に残る歌碑です。
藤崎八旛宮は、以前は藤崎台球場の場所にあって、そこで元輔が詠んだものだということです。

そもそも、清原神社を管理している北岡神社も平安時代に創建されたものです。

京都の八坂神社(祇園社)に由来し、熊本でも「祗園宮」「祇園社」と呼ばれてきました。
朝廷の役人で武の達人「藤原保昌」が国司として肥後に来た際、当時の暴動と疫病を鎮めるために、今の熊本市西区二本木あたりに創建したのです。

そして、周辺には平安時代ゆかりの名前が多くあります。

市電の「祗園橋電停」は、祇園宮に繋がる「祇園橋」が近くにあるので「祗園橋電停」。
そして、北岡神社の略記によると、北岡神社(当時は祇園宮)は最初は今の二本木に創建され、その次は花岡山に移されました。そうしたことから、花岡山も祇園山と呼ばれていました。
さらに、「北岡」という名前にも由来があります。平安時代の頃、今の二本木に国府(役所)が置かれていました。この場所から見て、北にある岡、に「北岡の森」というのがあったので、北岡神社の「北岡」はそこに由来するとのことです。

さらに、すぐ近くには「清水寺」もあります。こちらも平安時代に創建されました。
全国にある清水寺のひとつです。明治時代に近くにあった長谷寺と一緒になったので、ふたつ名前があります。

今回は清少納言の父親・清原元輔、ひいては平安時代の京都と熊本のつながりを紹介しました。
引き続き、視聴者の皆さんのキニナルことを募集しております。
こちらから(ここをクリック)NHK熊本放送局までぜひお寄せください。

  • 石井隆広

    熊本放送局 アナウンサー

    石井隆広

    熊本県出身
    福井→熊本→東京を経て、2度目の熊本勤務。

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