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能登半島地震 つながり大切に~熊本地震8年今、伝えたい②~

  • 2024年04月11日

熊本地震からまもなく8年です。
県内最大の仮設団地で自治会長を務めた益城町の女性は、3月、能登半島地震の被災地で炊き出しなどの支援を行いました。 
被災地での活動を通じて感じたのは、住民どうしの“つながり”の力でした。
(熊本放送局記者 矢野裕一朗)

熊本地震の“恩送り”

益城町の吉村静代さん(74)です。
熊本地震の後、県内で最も多い500世帯あまりが入居していた益城町の「テクノ仮設団地」で自治会長を務め、現在は語り部活動などを行うNPOの代表を務めています。

ことしの元日に発生した能登半島地震。あまりの被害に、吉村さんはテレビの前から動けなかったといいます。
「熊本地震でいただいた恩を今度は自分たちが送りたい」と感じ、3月、知人やNPOのメンバーと能登半島の被災地に入りました。

能登町で炊き出しの準備
病院で行った炊き出し

吉村さんたちは3月31日までの7日間、被害の大きかった石川県の能登町を中心に、避難所や仮設住宅、さらには病院をキッチンカーで回って炊き出しを行いました。益城町の人たちから募ったメッセージと義援金も届けました。
仮設住宅では住民のまとめ役の女性に、熊本地震の際に仮設団地で自治会長を務めたみずからの経験を伝える機会もあったということです。
支援を行う中で吉村さんは、8年前の熊本地震と比べてボランティアの活動がまだ十分ではないと感じたといいます。

(吉村さん) 
輪島市や珠洲市に行っている道中で、“あっ、ここも被災してるね、ここも被災してるね”という状況はあるんですけど、ボランティアさんの姿が見えませんでした。
私たちは熊本地震で、全国からボランティアの人たちが来ることによって元気を頂いたんです。何だろう、取り残され感がないというか。でも能登に入った時は“これ、被災者の皆さんたち大丈夫かしら”という気がして、寂しい思いもありました。

そんな状況の中でも印象に残ったのが、住民どうしのつながりの強さだったといいます。

(吉村さん)
いちごハウスの中が避難所になってるところがあったんですが、そこには避難していない近隣の皆さんも集まってくれていました。
そしてその中には大工さんがいたり、電器屋さんがいたりして、お風呂もトイレもきちんと作ってくれていたんです。
地域コミュニティーのすごい強さを感じて、その辺はちょっと安心した部分でした。

熊本地震から8年 いま思うこと

能登半島と熊本。2つの被災地をみつめて、吉村さんにあらためて感じたことを聞きました。

(吉村さん)
いちばん強く感じたのは避難所や仮設住宅におけるコミュニティーの大切さですね。
日頃から地域の中でしっかりと住民どうしのつながりを形成し、そしてそのことが避難所で生かされ、仮設住宅で生かされていくと思います。
熊本地震で全国からいただいたご恩は返しきれません。ご恩返しはできないのでご恩送りという形で、あたたかい心を次の被災地に送って、そういった面でつながっていけばいいなと思います。
熊本もそうですが、これから地震が起こりうるようなところにはきちんと心の備えや物の備えもしながら、すべて自分ごととして捉えてくださいねというふうにお願いしたいですね。

  • 矢野裕一朗

    NHK熊本放送局 記者

    矢野裕一朗

    2018年入局 福岡県出身
    盛岡局を経て2023年8月から熊本局
    熊本は大学4年間を過ごした“第2の故郷”です。

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