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八代亜紀さん 死去

忘れない あなたの哀歌、その歌声
  • 2024年01月11日

「雨の慕情(あめのぼじょう)」などのヒット曲で知られる八代市出身の歌手、八代亜紀(やしろ・あき)さんが先月(12月)30日、東京都内の病院で亡くなりました。73歳でした。

「舟唄」がヒットするなどデビューから半世紀以上にわたって日本を代表する演歌歌手として活躍を続けてきた八代亜紀さん。去年(2023)9月に免疫の異常によって発症するとされる「こう原病(こうげんびょう)」の診断を受け、治療に専念するため年内の活動をすべて休止していました。

訃報は突然に‥地元紙が号外

熊本県八代市出身の歌手、八代亜紀さんが亡くなったことを受け、熊本市中心部の商店街では9日夜、地元の新聞社が歩行者に号外を配りました。

八代さんと同じ年だという女性は、
「熊本出身の方なので応援していました。本当に残念です」
と話していました。

また、50代の女性は、
「昭和のシンガーがまた1人亡くなり、さみしいです。私が学生の時に『雨の慕情』などがヒットして今でも歌っています。熊本地震の時にも応援してくれるなど、多くの県民を勇気づけてくれました」
と話していました。

八代市内で悲しみの声

出身地の八代市では多くの悲しみの声が聞かれました。
 

ラーメン店の店主、田口和子(たぐち・かずこ)さん

およそ50年の付き合いという、ラーメン店の店主、田口和子さんは、
「嘘だと思いました。生きがいだったのにショックで、ずっと泣いていました」
と話していました。

八代さんと同級生だったという男性2人

ラーメン店には八代さんと同級生だったという男性2人が訪れました。このうちの1人は、
「お別れの飲み会をしに来ました。ニュースを見て驚きましたし、ほんとに惜しい人を失いました。
学校でいつも演歌ばかり歌っていた姿を思い出します」
と話していました。

 

地元のキャバレーの社長、池田義信(いけだ・よしのぶ)さん

八代さんがデビュー前にステージに立った地元のキャバレーの社長、池田義信さんは、
「まさかという思いで、ショックでした。私だけでなく、八代の人たちにとっても宝だと思います。 一生懸命つき進んで、演歌の女王と呼ばれる存在にまでなった彼女に、『お疲れさまでした。安らかにお眠りください。ありがとう』と声をかけたいです」
と話していました。

八代市の中村市長も死を悼みました

八代市の市役所3階にある市長応接室には、八代さんが2000年に描いた絵が飾られています。訃報から一夜明けた10日中村博生(なかむら・ひろお)市長は、この絵の前で報道陣の取材に応じました。

八代さんが描いた絵と中村博生市長

中村市長は、
「心からお悔やみを申し上げます。昨年、病気療養ということで休んでおられたが、そのときは年が明ければ元気でまた戻ってきていただけると思っていました。歌謡界にとっても八代市、熊本県にとっても、大変大きな存在を亡くしてしまったなという思いです」
と話していました。

応接室に飾られている高さ130センチ、幅97センチのこの絵は、2014年に八代さんから「市民に広く観覧してほしい」として提供を受け、市が借り受けています。

中村市長は、
「ぜひ飾っておいてというご好意で借り受けていました。お返ししなければならないのかなと思いますが、できれば残すことができないかという思いです」
と話していました。

市は今後、市民に広く公開するため、展示する場所を変えることも検討していくということです。

被災地からの悲しみの声

八代さんが被災者を励ますコンサートを開いた豪雨被災地の球磨村でも悼む声が聞かれました。
八代さんは3年半前の豪雨で大きな被害を受けた球磨村を被災の翌年の12月に訪れ、ミニコンサートを開いて仮設住宅での生活を余儀なくされている人たちを励ましました。

球磨村で歌う八代さん

八代さんの訃報を受けて球磨村の仮設住宅で生活している70代の男性は、
「ミニコンサートで励ましの言葉をいただいたことを忘れません。心からご冥福をお祈りいたします」
と話していました。

また、80代の女性は、
「本当に残念です。豪雨災害のあと球磨村にも来ていただき、とてもありがたく思いました。 亡くなったと知りとにかくさみしいです」
と話してました。

八代さんが校歌を作った高校でも

八代市にある八代清流高校は、学校創立の前の年の2011年に校歌の作詞・作曲を八代さんに依頼しました。高校によりますと、八代さんはおよそ1年かけて校歌を作りました。出来上がった校歌は1番から3番まであります。一日、一日を大事に生きることの大切さや、ふるさと・八代への思いをつづっています。

八代清流高校の校歌

学校は報酬の支払いを申し出ましたが、八代さんは「生徒のために使ってほしい」と話し、受け取らなかったということです。学校はそのお金を積み立てて、生徒への奨学金として活用しています。

校歌を作ったあとも八代さんは積極的に交流を続け、八代市を豪雨が襲った4年前、夏の県大会で勝ち進んだ野球部の生徒たちに祝電を送りました。
おととし(2022年)9月には創立10周年を記念して八代さんを招いたトークショーが開かれ、八代さんは在校生や卒業生と交流したほか、生徒たちと一緒に校歌を歌いました。

山下弘昭(やました・ひろあき)教頭

山下弘昭教頭は、
「おととしのトークショーから1年ちょっとしか経っておらず、あまりに突然の訃報だったので生徒とともにとても驚きました。八代さんは気さくな人で今後も交流したいと思っていたので残念です」
と話していました。

 

熊本県民から愛されていた八代亜紀さん、心からのご冥福をお祈りいたします。
 

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