ページの本文へ

NHK熊本WEB特集 クマガジン

  1. NHK熊本
  2. 熊本WEB特集 クマガジン
  3. レスキュー隊長がみた現場

レスキュー隊長がみた現場

大洋デパート火災50年
  • 2023年12月11日

まさか熊本で・・・

約6年ぶりに現場近くへ(2023年11月)

熊本市消防局の元消防士、井上誠さん(86歳)です

いまから50年前の1973年11月29日午後1時すぎ、

熊本市中心部の繁華街にあった大洋デパートの火災現場に出動しました

 

当時みた火災の様子を思い出す
ダクトから出る大量の煙(火災当時・1973年)

前年(1972年)、大阪市で118人が亡くなった「千日デパートビル火災」があって、

あのような火災が熊本で起きたら、救助できるのかと折に触れて考えてきたけども

まさか熊本であるとはね

駆けつけた現場は

現役時代の井上さん

当時、新設されてまもない「救助工作隊」、
いわゆるレスキュー隊の分隊長だった井上さん
近くの建物で隊員とともに訓練を行っていたさなか、
無線で火災の発生を知り、すぐに現場に駆けつけて指揮をとりました

大洋デパート火災の当時(1973年)

建物はまさしく大型焼却炉と一緒ですからね
猛煙としゃく熱のまさしく地獄絵巻でした

数が足りなかった空気ボンベは部下に装備させ、
井上さんは何もつけずに建物に突入したといいます
そこで見たのは出口の近くで折り重なるように
倒れていた人たちでした

「これだけ逃げれば、空気が吸えた」

呼吸をとめてもぐったら足元に、犠牲になられた方が3~4人いたのでひっぱりだしたんですよ(出口まで)たったこれだけですよ
これだけ逃げれば、空気が吸えたんですよ

年末商戦でにぎわっていたデパートのなかで
瞬く間に広がった炎と煙・・・ 逃れようとした客や従業員の多くが 煙に巻かれるなどして104人もの人が亡くなりました

忘れられないやりとり

井上さんに、火災後のデパート内部を写した映像を見てもらいました

 

火災後、内部の映像をみるのははじめて

 

火災後の店内

必死の活動であまり記憶はないけど、エスカレーター部分に行ったとき
消防隊が放水した水が熱湯となって滝のように落ちてくるのをひざまでかぶって
犠牲者を検索しながら上の階へ昇っていった

井上さんが現場で部下と交わしたやりとりを話してくれました

“隊長、うちの家族がきょうは朝出るときに
大洋デパートに買い物に行ってくるって言っていたから来ている可能性があるんです”と
私は“それは大変だからお前すぐ安全を確認しろ”と
部下が探すと駐車場に車があって間違いなく買い物に入っているはずだと

その後、部下の家族3人は遺体で見つかったといいます

なぜ多くの人が亡くなったのか

大洋デパート火災概況(熊本市消防局)

消防局がまとめた火災の記録を井上さんが持っていました
煙が瞬く間に充満したのは建物の設備に不備があったためなどと記されています

救助活動は困難を極めた

増築工事中のため、非常階段が取り外されていたほか
誘導灯やスプリンクラーも機能しなかったため
客や従業員たちは真っ暗な店内を逃げ惑いました

7階の平面図

黒い矢印は煙が広がっていった方向です
階段などを伝って上へ上へと広がり、
そばでは多くの人たちが遺体で見つかりました

悔しさはいまも

懸命に消火・救助活動が行われた

「生きている人はいないか・・・」
救助の指揮をとりづづけるなか、井上さんは思い続けたといいます
しかし、見つかるのは遺体ばかりでした

104人も犠牲者が出たのは悔いが残る
せめて20、30人でも助けられたらね
だから救助活動が終わっても少しも満足感がなかったですね
むなしいほうが多かった気持ちは なんとかならんかったんかなと正直に

“あの現場を経験した消防士は皆一生忘れることはない”
50年がたつ今も変わらない思いです

  • 藤崎彩智

    熊本局記者

    藤崎彩智

    2021年入局。警察・司法担当などを経て、2023年8月から熊本市政を担当。豪雨からの復旧や鉄道など経済も継続取材。

ページトップに戻る