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ハンセン病 元患者の家族が語ったこと

  • 2023年12月07日

    “家族はハンセン病の患者だった”

    幼少期に家族がハンセン病と診断され、引き離された過去を持つ男性が熊本市で講演しました。
    9歳までの8年間を養護施設で過ごした男性は、その後、両親やきょうだいと一緒に暮らすようになりますが、「どこか他人行儀で、家族のような人間関係は築けなかった」といいます。
    この日男性が語ったことや、ハンセン病をとりまく現状について取材しました。

    11月下旬、ハンセン病をめぐる問題について考えてもらおうという研修会が熊本市で開かれ、オンラインも含めておよそ100人が参加しました。

     

    黄光男(ファン・グァンナム)さん、68歳です。
    兵庫県在住で、幼少の頃、自分以外の家族4人がハンセン病と診断されました。

    引き離された家族

    黄さんが1歳の頃の家族写真です。
    大阪で仲睦まじく暮らしていましたが、最初に母親と姉がハンセン病と診断され、黄さんはこの数か月後、家族と離れて岡山県の養護施設に入ります。
    当時の「らい予防法」では、ハンセン病と診断された患者は全員、療養所に隔離されることになっていました。
    家には大阪府の職員がたびたび訪れ、岡山県の療養所への入所を求めたといいます。

    職員が黄さんの母とのやりとりを記録した資料が残っていました。

    黄さん

    「子どものことを言い立てて聞き入れず」と書いてあります。
    母は自分の子どもを守りたかったんですよね。
    入所するとは言ったものの、1歳半の息子を手放すことができなかったんだと思います。
    家族で通っていた銭湯で入浴を拒まれたりして、最後は入所を決心したようです。

    動き出した家族の時間と戸惑い

    幼少期を養護施設で過ごし、9歳になった黄さんのもとへある日、母と姉が迎えに来ました。
    一家5人の暮らしが再び始まりましたが、その胸中は複雑だったといいます。
    病気のことを知ったのもこの頃でした。

    当時9歳の黄さん
    黄さん

    母と父と川の字になって寝ていたのですが、僕の心の中はどうしても他人行儀で、まるで知らない人と住んでいるみたいな感覚でした。
    母は毎日、薬瓶を出して飲んでいたから、なんかの病気やろうなと思って、「なんの病気?」と聞いたら、母は声をひそめて「らい病」と言いました。
    それは、この病気は誰にも言ってはだめよというふうに思わせる仕草でした。

    家族が患者だっただけで

    母が病気のことを隠そうとした理由。
    当時小学生の黄さんにはわかりませんでしたが、のちに同じ境遇の人たちから話を聞いて、知ることになります。

    黄さん

    ものを売ってくれない。学校に来るなと言われる。仕事はやめさせられる。
    結婚話が破談になる。家族の人たちはそういうひどい目に遭ってるから、自分の家族にハンセン病の患者がおったということは絶対秘密にせんと、自分自身や家族を守られへんかったんですね。

    国の隔離政策によって家族と引き離された8年間は、一家に大きな影を落としました。
    “どこか他人のような感覚”を抱き、親子関係を十分に築けないまま、両親は亡くなりました。
    家族としての心のつながりを奪われたことが、黄さんにとっての被害だったのです。

    黄さん

    私の被害の一番大きなものは築けなかった親子関係です。
    亡くなった母親が病院の病室で横たわって、私はそれを見ても涙一粒出なかった。
    最期の最期まで他人の目でしか見えなかったんです。
    母親も、息子の自分を見る目が他人行儀だと感じ、ずっと寂しさを抱えていたんじゃないかな。
    らい予防法という法律がなかったらこんな結果にはならなかったと言えるんじゃないかと思います。

    また、国の隔離政策のもと、社会の中で偏見や差別が助長されていった状況を振り返り、私たちにこう問いかけました。

    黄さん

    ハンセン病の問題が取り上げられるとき、「かわいそうな人生だったんですね」ということだけが強調されると困るんです。
    あのような法律があったために市民がいつ何時、加害者になるかわからない。
    甚だしい人権侵害があっても、当時のマスコミは「これは人権侵害だ」とニュースにしませんでした。
    「ひょっとしてこの人の言ってることは違うんじゃないの」と思ったら、それをきちっと「おかしいんちゃいますの」と言えること。
    こうしたことがすごく大事だと思います。

    “差別意識”いまもある?

    国はいま、差別の実態を踏まえて効果的な施策につなげようと、ハンセン病に関する意識調査を初めて行っていて、全国の2万人以上を対象にインターネットで実施しています。
    これに先だってことし2月、差別問題を研究する学者でつくる「日本解放社会学会」が同様の調査を行いました。
    熊本市と兵庫県尼崎市のあわせて750人の市民にアンケートを行い、この中で「肉親の結婚相手がハンセン病の患者の家族とわかったらどうするか」と尋ねたところ、5.7%の人が「結婚を諦めろと説得する」と答えました。
    また、「地域の福祉施設の利用者に元患者がいたら利用をやめる」と答えた人も5.9%でした。

    調査を行ったメンバーの1人で、家族が受けた差別について聞き取りを続けてきた東北学院大学の黒坂愛衣教授は「ハンセン病への差別的態度が一定程度いまもあることが見てとれる」と指摘したうえで次のように話しています。

    東北学院大学 黒坂愛衣教授
    元患者の家族の人たちは自分の住んでいる地域や身の回りにいてもおかしくありません。
    そうした人たちが、実は身近にいるはずだという想像力だとか、当事者がどんな人たちなのかとイメージをもてるかどうかが、具体的な差別行為に及ぶかどうかの歯止めになります。
    療養所に入所している人たちの高齢化が進み、その家族も顔と名前を明かして語れる人はごく限られています。
    そうした中でも工夫をしながら、当事者の方たちと出会う機会を作っていけるといいのではないかなと思います。

    家族への補償は?

    家族への補償をめぐっては、最大180万円の補償金を支払う法律が4年前に施行されました。
    補償の対象となる家族は、厚生労働省の推計では全国に2万4千人いるとされています。
    請求期限は来年の11月21日と、あと1年を切っていますが、請求した人は3分の1ほどにとどまっています。

    黄光男さん

    こうした現状について黄さんは次のように指摘しています。

    黄さん

    これはまず、請求をすることで自分の家族がハンセン病の患者だったんだと知られ、それをどこでどう思われるか心配だという人がたくさんいるんだと思います。
    それともうひとつは、新聞広告やテレビCMなどを使った補償金制度のPRが全然足りていません。
    国には請求期限を延長したうえで、補償金制度の周知を徹底してほしい。

    ハンセン病の治療法が確立されてからも、国は27年前まで隔離政策を続けました。
    差別や偏見、思い込みをなくしていくには社会全体での努力が必要で、私たちもその一員として、何ができるか考えないといけないと思います。

      • 矢野裕一朗

        NHK熊本放送局 記者

        矢野裕一朗

        2018年入局 福岡県出身
        盛岡局を経て2023年8月から熊本局
        熊本は大学4年間を過ごした“第2の故郷”です。

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