【あの人の健康法】脳梗塞を乗り越えて復帰!テノール歌手 佐賀龍彦

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脳梗塞脳卒中脳動脈瘤脳血管障害麻痺(まひ)がある言葉が出ない脳・神経

未破裂動脈瘤の治療で脳梗塞を発症

テノール歌手の佐賀龍彦さん

2023年で結成15周年を迎える男性4人組のボーカルグループ、LE VELVETS(ル・ヴェルヴェッツ)。メンバーの一人、テノール担当の佐賀龍彦さんは、2019年、頭痛に悩まされたため病院を受診して検査を受けました。頭痛の原因は「片頭痛」でしたが、そのときの画像検査で、脳動脈瘤が見つかりました。大きさは5mm程度。すぐに治療する必要はないとのことでした。「そのままにするより、破裂しないように処置してもらいたい」と考えた佐賀さんは、2021年9月、忙しいスケジュールの合間をぬって治療のため入院しました。3日程度の入院だと考えていたそうです。

LE VELVETSLE VELVETS
クラシックからポップスまであらゆるジャンルを歌いこなす

佐賀さんが受けたのは、「フローダイバーター留置術」と呼ばれるカテーテル治療。脚の付け根の血管からカテーテルという管をいれ、ステントと呼ばれる網目状の金属の筒を動脈瘤の入り口まで送りこんで留置する治療です。留置されたステントによって動脈瘤の中に流れ込む血液が停滞し、徐々に固まることで脳動脈瘤を閉塞させられるというのです。
佐賀さんの脳動脈瘤を塞ぐ処置は成功しましたが、予想もしないことが起きました。治療でできた血栓が脳の血管に詰まって、脳梗塞を発症したのです。家族の記憶によれば、治療後に最初に見た画像では脳の左側が真っ白。医師からは「治るとも治らないともいえない」と告げられたそうです。

未破裂脳動脈瘤
フローダイバーター留置術

右半身のまひ リハビリに励む日々

フローダイバーター留置術を行った翌日、集中治療室で目覚めた佐賀さん。右半身が動きにくいと感じましたが、自分に何が起きたのかはよくわかりませんでした。右半身にまひが起こっていると認識したのは、3週間ほど経過してからだったといいます。

2週間後、集中治療室から一般病棟に移りました。「3か月後の12月に予定されているディナーショーには絶対に出る!」そう心に決めた佐賀さんは、リハビリ専門スタッフの付き添っていない時間帯も、病室のベッドでひとり「自主トレ」に励みました。

佐賀さんが最初に意識したのは、右手を動かせるようになる、ということ。マイクをにぎって歌うために大切な利き手だからです。とはいうものの、どうやって動かしたらいいのかわからず、途方に暮れる日々が続いたといいます。
それだけに、ようやく中指と薬指の第1関節が5mm動かせたときには、うれしくてたまらず、思わず自分の指の動きを動画におさめました。

歩行する訓練にも取り組みました。一般病棟に移って10日経ったころには、病院の廊下をひとりで90メートル歩いたそうです。ただ、あとでこの事実を知った医療スタッフからは「転んだら大変なことになる」と注意されたとのことです。

思うようには進まない回復

佐賀さんは3か月の入院期間で、まひを克服するつもりでいました。
リハビリ棟にうつってからは、理学療法、作業療法、言語療法のそれぞれの専門スタッフが佐賀さんのために組んだプログラムに、さらに精力的に取り組みました。食事と睡眠以外のほぼすべての時間をリハビリに費やしました。全力でリハビリに取り組めば、それだけ回復が早くなり、年内のコンサートツアーに間に合わせられると考えていたのです。

しかし、退院間近になっても、手や足の動きにぎこちなさが残ったまま。まひの回復は思うように進みませんでした。佐賀さんは不安と焦りをつのらせていきました。

コロナ禍ということもあり、佐賀さんに面会できたのは家族だけでした。なかなか回復しないつらさを、佐賀さんは家族には打ち明けていました。「死にたい」と口にすることもあったそうです。

ファンの存在が支えに

挫折しそうになった佐賀さんを奮い立たせたのは、ファンの存在です。脳梗塞で佐賀さんがどんな状態にあるのか、詳しくは公表されていませんでしたが、心配するファンから手紙やお守り、千羽鶴などが事務所に届いていました。「支えてくれるファンの思いに応えたい」「お返しをしなければ申し訳ない」と考え、気持ちを立て直したといいます。ファンに元気になった姿を見せることが目標になりました。

「退院後にリハビリを休む!」という決断が奏功

入院中の3か月間、無我夢中でリハビリプログラムをこなした佐賀さんですが、2021年12月に退院した直後は、疲れて気力も落ちていました。リハビリに取り組む気がまったく起きなかったのです。佐賀さんは家族に宣言して、リハビリを休むことにしました。

プログラムにそったリハビリは行いませんでしたが、佐賀さんは人と会ったり、自分で料理したりしてゆったり過ごしました。すると、ふだんの暮らしに戻っていく自分を実感できるようになりました。
1か月も経ったころには「もう一回頑張りたい!」という気持ちが芽生え、トレーニングを再開しました。

歌声を取り戻す

入院中、佐賀さんは発声練習ができる部屋を使わせてもらい、2日に1回は歌の練習をしていました。テノール歌手の佐賀さんは、高音を出すのはお手のもの、のはずですが、声を出してみると、「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」の「ミ」から上の音がでない、という状態でした。自分がどうやって声を出していたのか、わからなくなっていました。
これを解決してくれたのが、グループのメンバーの佐藤さんでした。
退院後の2月、事務所の社長やスタッフの前で歌声の回復度を確認してもらうことになり、佐賀さんが事務所を訪れました。たまたま居合わせた佐藤さんも、いっしょに立ち会い、佐賀さんの歌をきいたあと、発声してみせたのです。「ああ、こういう声の出し方だったのか」。佐藤さんの声をきいたことで、佐賀さんは忘れていた声帯の使い方のコツを思い出したといいます。
佐賀さんはその後も、メンバーにリードしてもらって練習を重ね、歌う感覚を徐々に取り戻していきました。

LE VELVETSのメンバー佐藤隆紀さん

右半身まひから1年でツアーに復帰!

必死に取り組んだリハビリで、右手でもマイクがもてるようになった佐賀さん。夏になると復帰に向けての準備が本格的に始まりました。
そして、脳梗塞を発症し右半身のまひの状態になってから1年で、コンサートツアーに復帰。メンバーとともにステージに立ち、ファンを前に4曲を歌い上げました。「元気になった報告をするためにステージに立つ」という目標を達成したのです。客席からの温かい拍手は鳴り止みませんでした。

コンサートツアーに復帰した時の写真

現在の日常生活

現在もまひが残っており、「回復の程度は8割くらい」という佐賀さんは、日常生活の動作もリハビリの一環だと考えて積極的に取り組んでいます。掃除機をかけるときは、まひが残っている右手・右腕を使い、洗濯物をたたむ時は両手をしっかり使うようにしています。指先の細かな動作が要求される料理も自分で行います。外出時は自転車で移動することで、体を動かすだけでなくいろんな刺激や情報を得ているといいます。今の目標は、歯ブラシを右手で持って上手にブラッシングできるようになることです。

今後の目標

「いまの自分の歌は“今が精一杯”という感じ」と話す佐賀さんですが、一方で「以前に比べてふくよかな声が出せている感覚」もあるそうです。「脳梗塞になり右半身のまひを経験した自分だからこその歌が歌えるはずだ」という思いで、これからも歌い続けていきたい、と考えています。

「あきらめるな あきらめたらそこで終わり」

「あきらめたらそこで終わってしまう・・・」。佐賀さんが自分に言い聞かせた言葉であり、つらい思いをしている人に一番伝えたい言葉です。何度も挫折しそうになりながら、再びステージに立って歌える日が来ることを信じてリハビリを続けたことで、医師も驚くほどのスピードでステージに復帰できました。“あきらめない”ことは自分自身にしかできないこと。“強い気持ちを持ち続けてほしい”というのが佐賀さんからのメッセージです。

色紙を持つ佐賀龍彦さん
佐賀さんからの直筆メッセージ

LE VELVETSメンバー ★未公開インタビュー★

コロナ禍で入院中の佐賀さんに会えなかったメンバーは、退院後の12月、3か月ぶりに顔を合わせました。

左から 佐藤隆紀さん 日野真一郎さん 宮原浩暢さん左から 佐藤隆紀さん 日野真一郎さん 宮原浩暢さん

退院後の再会

佐藤
「退院した12月・・・、メンバーがショーの練習を事務所の練習室でしていたときに佐賀さんが来てくれて。足をちょっと引きずりながら歩いていて。ただ、そこまで回復しているのがすごいなって思って。もう歩けないかもしれないぐらいの話を聞いていたのに、3か月でよくここまで頑張ったなとは思いました。ただ、話のテンポについていけない感じになっていた。一言話すのに2秒とか3秒とか考えないと言葉が出てこない感じで。正直コンサートに戻るのにはまだまだ時間がかかるのかな、と思いました」

宮原
「みんなが練習している時にゆっくり入ってきて。最初は照れているのか、目を合わせられないような感じで。あ、戻って来たんだ!みたいな感覚がありました」

日野
「でも、よくここまで回復したなって本当に元気づけられました」

再会してからの佐賀さんの回復

佐藤
「ちょっとずつよくなっていって、ある日普通に歩けるようになって外を歩いているのをみたときに“普通に歩けてるんじゃないの!”みたいな」

日野
「びっくりしたのが、自転車に乗ってるって言うんですよ。いや、危ないよって言ったら、これもリハビリのうちの一つなんだって言ってて」

宮原
「佐賀くんのことだからさ、リハビリって言いながら、どこまで病院の先生がOK出しているかもちょっとわからない(笑)。自分の中でこれをやろう、あれをやろうっていうのを試すタイプの性格なので」

退院後はじめて佐賀さんの歌を聴いたとき

佐藤
「本人がすごく練習して歌っているとは聞いていました。退院して1、2か月したくらいのある日、佐賀さんが事務所スタッフと社長に歌を聴いてもらう、ということになり、たまたま事務所にいた僕も一緒に聴くことになったんです。それで佐賀さんの歌を聴いたときに、クラシックの発声でいうところの基礎の基礎、声を響かせることができていなくて・・・。“ここにこうやって当てて響かせるって、今全然できていないよ”って言ったら、そういえばそんなことやってたな、みたいにいってました。そこからちょっとずつ思い出していった感じです。やるたびによくなって、戻ってきていました」

ドキドキだった佐賀さんの復帰コンサートツアー

日野
「ツアーのコンサートには、佐賀くんにもちろん出てほしいけど、やっぱり全曲歌う、というのは難しかったので、佐賀くんが歌うのはアンコールを入れて4曲にして、演出として佐賀くんがストーリーテラー的な存在で出演してもらおう、って考えました」

佐藤
「ドキドキしましたね、やっぱり。リハーサルの直前まで動きとか確認しながらで」

宮原
「本番のときのあの空間って、日常でいくらリハビリしていてもわからない部分じゃないですか。衣装を着て照明を浴びて、お客さんが前にいるあの空間っていうのは、どんなに練習しても、本番でなきゃ体験できないものなので。本番では、僕たちがいつでもサポートできるように準備していました」

日野
「佐賀くん本人も本番に1回出ると成長するというか、慣れるのもあるかもしれないんですけど、公演を追うごとに本当によくなって来た感じ」

宮原
「本番より素晴らしいリハビリはない、みたいな感覚だった。僕らもね」

日野
「100回のリハーサルより2回の本番、って言いますからね」

佐藤
「あと、1回詰まっちゃった時があって。楽屋戻ってから“心配したよ、どうしたの?大丈夫だった?”って聞いたら、お客さんの拍手が温かすぎてグッときちゃって止まっちゃったんだって(笑)。倒れたりするんじゃないか、急に言葉が出なくなっちゃうんじゃないか、って心配していたので、あの時はドキッとしましたよね」

ツッコミもできるまでに回復!

日野
「最近、(佐賀さんは)突っ込むようになりましたよね」

佐藤
「そうなんです。もともとツッコミ担当で、戻って来た時は何も突っ込まないで見守るみたいな感じになっちゃって、ツッコミ不在のグループになったんですけど、最近ツッコミを覚えて来て(笑)。いいね、戻って来たね!って言って。そうすると本人もまた突っ込んでくれるのでね、ちょっとずつMCも戻って来てるんです」

LE VELVETSの佐藤隆紀さん 日野真一郎さん 宮原浩暢さん

この記事は以下の番組から作成しています

  • きょうの健康 放送
    あの人の健康法 「ツアーでまた歌いたい」