8・6水害 | 鹿児島アリーナ地下で閉じ込め
- 2023年06月27日
30年前の8月6日、鹿児島市内の各地で被害が出て消防への通報が相次ぎました。多くの消防隊員が救助活動にあたったのです。その中で、甲突川の氾濫で水没した鹿児島アリーナで救助にあたった消防隊の証言です。(動画はこちら)
(鹿児島局記者 松尾誠悟)
緊迫の通信司令 通報は平均の12倍
通報者「あのまた土砂が崩れて人が埋まったかもしれない。」
消防 「逃げてくださいよ。」
通報者「お願いします。早く早く。」
1993年8月6日、当時の通信司令の記録からは、緊迫した状況が伺えました。あの日、夕方から激しさを増した雨で、各地で一斉に浸水被害や土砂災害などが発生。この日、鹿児島市消防局に寄せられた通報は、平均の12倍となる936件。消防隊は救助活動に追われ、すぐに駆けつけられない現場も少なくありませんでした。鹿児島市消防局の松下剛局長もその1人で、当時は中央消防署のレスキュー隊員でした。
あの夜は一睡もしておりませんので、非常に長い時間でしたけど、一つ一つの現場、1人でも助けたいという気持ちで活動していました。
地下駐車場が水没 そこには要救助者が
6日の夕方5時半ごろ、鹿児島市草牟田付近で甲突川が氾濫しました。並行する国道3号線に水が押し寄せ、道路は川のようになりました。水位は、2メートル以上に達しました。それから数時間あまりがたった鹿児島市内では、水がひいた道路のあちこちに流された車が積み重なった状態に。日が変わった7日午前0時半ごろ。松下さんたちは、国道3号線に近い鹿児島アリーナに向かうよう指令を受けました。
無線の情報で鹿児島アリーナの救助事案ということで詳しい情報は入っていませんでした。もしかしたら水没した部分に要救助者がいるんじゃないかという思いで、現場へ向かいました。
鹿児島アリーナでは目を疑う光景が広がっていました。地下駐車場が水没していたのです。さらに、この場所に男性が取り残され、行方が分からなくなっていました。
水没の状況を見ますと、もし地下に取り残されたという状況であればなかなか生存っていうのは厳しいなというのが正直な気持ちでありました。いちるの望みを信じて救出にあたろうと思っておりました。
かすかな音を頼りに
まずは男性がどこにいるか、特定しなければなりません。1階の床などをたたいて、地下にいるはずの男性からの反応を待ちました。すると、かすかではありましたが、音が聞こえてきたのです。
隊員がトイレの便器をたたいて呼びかけをして、耳をすましたら何か音がしてくると。かすかではありましたけど、生存している音が聞こえてきましたので、事故防止に注意を払いながら、隊員に指示をしながら活動をしたのを覚えています。
松下さんたちは、重機を使って床に穴をあけることにしました。男性はこの場所に、すでに5時間以上、閉じ込められていました。鉄筋が入った厚みのある床をくりぬき、男性を救出したのはさらに2時間後のことでした。
この天井から50センチほどの配管に寝そべって、水から逃れていたということでした。水は高いときで頭一つ分ぐらいという状況もあったということでしたので、生きた心地はしなかったんじゃないかなと思います。
消防への通報はその後も途切れることがなく、松下さんもすぐに次の現場へと向かいました。
教訓を次の世代に語り継ぐ
「8・6水害」からことしで30年がたち、鹿児島市消防局では、8・6水害を経験した職員は100人足らずとなりました。市消防局では、出水期にあわせた訓練や経験した職員が後輩職員に語り継ぐなどして、教訓を伝えていこうとしています。災害時にどうすれば人の命を救うことができるか。松下さんは、あの日の経験を次の世代へつないでいく必要があると考えています。
私たちがメインとなりまして、コンクリートに穴をあけて救出したわけですけれども、その陰では消防団の方が懸命になって排水していましたし、施設の方も図面を持ってきていただいて、私どもと一緒に協力していただきました。そういう協力がないと、人は救えないんだなという風に思っています。これらの経験、教訓をたくさんの人に語り継いでいく必要があるという風に思います。
8・6水害特設サイトもご覧ください
NHKは8・6水害の特設サイト“わするんな(忘れるな)かんぐっど(考えよう)”を立ち上げました。(↓リンクはこちら↓)
あの日、何が起きたのか。同じような災害が起きたとき、どうすればいいのか。自分自身や友人、家族、大切な人を守るために必要なことは。8・6水害を語り継ぐ特集のほかに、身を守るためのさまざまな情報を掲載しています。ぜひご覧ください。