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8・6水害 | 新川・稲荷川 甲突川以外でも相次いだ氾濫

浸水した食品工場の職員の証言
  • 2023年06月06日

8・6水害の川の氾濫と聞くと、甲突川を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。しかし当時、鹿児島市内では、他にも複数の川が氾濫していました。そのひとつが、郡元地区などを流れる新川です。そのとき、周辺の地域では何が起きていたのか振り返ります。(動画はコチラ

(鹿児島放送局 柳沢直己)

氾濫した新川

新川のすぐ横にあるセイカ食品の唐湊工場です。

新川(右手前)のすぐ横にあるセイカ食品唐湊工場

製菓部長の堀ノ内健次さん。甲突川から離れたこの地域でも、浸水被害が出たといいます。

工場の紹介をする堀ノ内さん

あの日、午後に入ってからどんどん強くなった雨。仕事を中断し、車を新川の近くから高台へ避難させました。新川が氾濫し、車が水に浸かるのを防ぐためです。

堀ノ内
健次さん

車の移動はするけども、工場内に水が入ってくるとは思ってないというか。念のため動かすというぐらいの気持ちで、そのときはいたと思いますね。なかには大丈夫って言って動かさなかった人もいましたので。

しかし状況は悪化していきます。新川の水が増水してあふれ、工場に向かって押し寄せて来たのです。

水はどんどん工場に流れ込み、あっという間に腰の高さまで上昇。工場の壁には、今も当時の浸水の跡が残されています。

堀ノ内さんが指さす先には、当時の跡が

正面玄関に板を取り付けましたが、ほかの場所から流れ込む水は止められませんでした。

堀ノ内
健次さん

扉の下のほうからサーと水が出てきていて。扉のカギを閉めて、水が入ってくるの止めるために扉を抑えていました。もうここくらいまで水が上がってきていました。

当時を再現する堀ノ内さん

堀ノ内さんたちは工場の中に取り残されました。

工場脱出

そのとき見つけたのが、偶然、工場の奥に置いてあった、あるものでした。

堀ノ内
健次さん

たまたま倉庫のほうに、4、5人くらい乗れる小さいボートがあったんですよね。そのボートをここに浮かべて、ちょうどここから4、5人くらいずつ乗せて、道路の歩けるところまでこう連れて行って。

避難させたのはおよそ50人。ただ、工場の中は、大きな被害が出たといいます。

堀ノ内
健次さん

食品工場ですので、いつもピカピカにはしてあって、衛生的にきれいな工場なんですけども、やはりもう泥が堆積して、田んぼのような感じに外がなってましたので、早く復旧させないととかいうことを考えていたと思います。

稲荷川も氾濫

甲突川以外の川でも起きていた浸水被害。鹿児島駅近くを流れる稲荷川でも氾濫が発生していました。

川と当時の浸水範囲

稲荷川周辺にある、鹿児島市池之上町周辺の様子です。

水がひいた後の池之上町周辺の様子

水が引いたあとも、道路や建物の中に泥が残り、住民が清掃に追われていました。新川の周辺では1400棟近く。稲荷川の周辺では800棟近くで浸水被害が発生していたのです。

水がひいた後の池之上町周辺の様子

工場で進む「対策」と「心構え」

あれから30年。堀ノ内さんの工場では、新川の氾濫に備えて、さまざまな準備をしてきました。

工場に入る門
堀ノ内
健次さん

工場に入る門に板を差し込んで、防波堤のような感じになるようになっています。大雨が降る、台風が来るってなったときには、工場全体が水害で被害を受けないように、いろんな対策をとります。

ハード面で進んできた対策。ただ堀ノ内さんは、何よりも大事なのは、災害への心構えだと感じています。

新川を眺める堀ノ内さん
堀ノ内
健次さん

やはり梅雨時になると、川の水位を見るのが習慣になってしまって。それだけやはり怖いですよね。 水が上がってくるまで、長い時間かけてゆっくり入ってきたわけじゃなくて、急に入ってくるので、日頃からこういったことに備えて、どういったことをするべきなのかというのは、やはり考えていかないといけないなという風に思いますね。

8・6水害特設サイトもご覧ください

NHKは8・6水害の特設サイト〝わするんな(忘れるな) かんぐっど(考えよう)〟を立ち上げました。(リンクはコチラ

あの日、何が起きたのか。同じような災害が起きたとき、どうすればいいのか。自分自身や友人、家族、大切なひとを守るために必要なことは。8・6水害を語り継ぐ特集のほかに、身を守るためのさまざまな情報を掲載しています。ぜひ、ご覧ください。

  • 柳沢直己

    NHK鹿児島放送局 記者

    柳沢直己

    2021年入局。事件・事故担当。宮城県出身。鹿児島に来て、日本酒派から焼酎派に。

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