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8・6水害 | 西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)周辺 氾濫した甲突川

浸水する街を目の当たりにした医師の証言
  • 2023年06月01日

30年前のあの日、鹿児島中央駅、当時の西鹿児島駅に近いオフィスビルや商業施設などが密集する地域でも、浸水の被害が出ていました。甲突川が氾濫したのです。当時、この場所で働いていた人たちは、どう水害に向き合ったのでしょうか。浸水する街、流されていく車を目の当たりにした、医師の証言です。(動画はコチラ

(鹿児島放送局 柳沢直己)

いつもと違う雨

山下皓三さん

毎年の恒例で雨が降って、そしてどっかで被害が出る。自分たちのところに影響があるなんていうのは、ほとんど考えてなかったと思う。

こう話すのは、歯科医の山下皓三さんです。最後の患者の診察を終えた午後6時ごろ。診療所があるビルの2階から降り続く雨を見て、かつてない危機感に襲われました。

山下皓三さん

今回はいつもとは違う量の雨が降っているなと。水かさがだんだんだんだん増えてきて、道路の水が流れるというような状況を見て、あっ、これはちょっと違うよねというふうに見ていました。

西鹿児島駅近くで撮影された映像です。道路は冠水し、大人のひざの近くまで水位が上がっています。

浸水する街 父親の救出

襖の中央付近 浸水の跡が黒いしみとなって残る

事態はさらに深刻に。水位が1メートルほどまで上がり、診療所のそばにある父親の家の中まで押し寄せたといいます。1人暮らしをしていた父親。安否が気になった山下さんは息子を救助に向かわせました。

山下皓三さん

状況からしたら、遅かったかなというぐらい。親父はそこにじっと座っている状態。ソファーに座って、水が増えてくるのを見ていたみたいなんですけども。

畳もすべて浮き上がっていました。山下さんは、誰もここまでの事態になるとは思っていなかったと振り返ります。

山下皓三さん

たぶん父もそういう、まさか床上まで上がってくるなんて想像もしていなかったと思うんですね。父はもうこの家に対して、すごい愛着を持っておりましたから、離れたくなかったという気持ちは分かります。でもそれどころじゃない。

山下さんの息子は、水に浸かりながら、父親を背負って避難させました。

流される車

安堵した山下さんでしたが、すぐに水のおそろしさを目の当たりにしました。

山下皓三さん

向こうから、右側の方からナポリ通りの方に向かって、車がゆっくりと流れていく様子を見ました。水の力というのがやっぱりすごいんだなということを感じました。自分たちができることは何もないよねと。それこそ、見てるだけというふうなことだけでしたね。

そのとき市内では、甲突川だけでなく新川なども氾濫。各地で車が流されていました。水が引いたあとの西鹿児島駅近くの様子です。泥がついた車が、道路上のあちこちに散乱していました。

山下皓三さん

ナポリ通り、この近辺に止まっている車は見ました。ちっちゃな車がある程度流されてほかの車にぶつかっているとか。水の流れっていうか、水圧っていうのかな、やっぱりすごいんだねっていう、ある意味では目の前でそういうのを見ながら感じたというところです。

大切なのは「自分に置き換えること」

あの日から30年。当時の記憶が薄れていくなかで、山下さんはあらためて、いつどこで起きるか分からない災害に備えることの大切さを、みずからに言い聞かせています。

山下皓三さん

それなりに甲突川も整備されたし、ちょっとどこかに安心している自分がいるんじゃないかな。でも実際には何が起こるか分からない時代になってしまっている。日々災害を考えることも難しいと思いますけど、そういうことがニュースで流れたりすると、それは自分だったらというふうに、自分に置き換えることが必要かなと思う。

8・6水害特設サイトもご覧ください

NHKは8・6水害の特設サイト〝わするんな(忘れるな) かんぐっど(考えよう)〟を立ち上げました。(リンクはコチラ

あの日、何が起きたのか。同じような災害が起きたとき、どうすればいいのか。自分自身や友人、家族、大切なひとを守るために必要なことは。8・6水害を語り継ぐ特集のほかに、身を守るためのさまざまな情報を掲載しています。ぜひ、ご覧ください。

  • 柳沢直己

    NHK鹿児島放送局 記者

    柳沢直己

    2021年入局。事件・事故担当。宮城県出身。鹿児島に来て、日本酒派から焼酎派に。

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