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インタビューここから~シンガーソングライター/俳優・竹原ピストルさん~

  • 2024年2月6日

シューズのこすれや幾多の血の痕で黒ずんでいた白マットは、上から鮮やかなブルーのマットがかぶせられ、それだけで見違えるようにきれいになっていた。12月の札幌市北区体育館。このリングの上が今回の待ち合わせ場所。かつてここで殴り合っていた僕たちは、酒を酌み交わす友でもあった。そして片方はミュージシャンに、もう片方はアナウンサーに。 「いつか一緒に仕事しようぜ」と語り合って25年。その2人の約束をついに実現したのが「インタビューここから~シンガーソングライター/俳優・竹原ピストル~」(【総合】2月12日(月)午前7:30)(再放送:【総合・北海道】5月6日(月)午後6:05)。番組本編には収まりきらなかったここだけのこぼれ話を特別公開します! 

※放送終了後NHKプラスにて見逃し配信予定(1週間)
https://www.nhk.jp/p/a-holiday/ts/M29X69KZ1G/
 

ボクシングこぼれ話

たぶん6年前。東京に勤務していた時に一度だけばったり局の玄関で竹原とすれ違いました。竹原は急いでいて、お互い驚いて握手をしましたがその時はひと言交わしただけでした。連絡を取ることもほとんどありませんでした。「2人でゆっくりしゃべるのは…、四半世紀ぶりか」。リングの上で記憶をたどっていると、耳に入れたワイヤレスモニタから「あいつ」の声が聞こえてきました。マイクをつけたようです。廊下でスタッフと話しています。

竹原ピストルさん
俺すげえ克明に覚えているのが…、向井がボクシングの試合前にもかかわらずあそこでベンチに座って教科書みたいなのを読んでたの、覚えてます。「いけ好かねえ野郎だな」って。当時は気に食わなかったスね(笑)

…おい、全部聞こえてるって!
ペタペタと、モニタからではなく実際の足音が近づいてきます。

竹原ピストルさん
いいっすか?失礼します…わははは。向井~

大学4年の春以来、このリングで向き合った2人。まずはやっぱりボクシングの話から。

※以下、向井=向)、竹原=竹)

向)強い選手ばかりだったよね、道都大学(現:星槎道都大学)。

竹)先輩がバケモンみたいな人しかいなかったからね。毎日もうボコボコにされてて、「このままだと殺されるな」って思ってやっているうちに「ボクシングはボクシングで楽しいな」というはまり方をしたの。

向)竹原の歌を聴いている人は、すっごいファイターでガツガツ殴り合っているボクサーだと思っているよね、きっと。

竹)100%言われる(笑)いやもう、極端なまでのアウトボクサーだったよね。距離取って遠いところからジャブ出して、入ってきたところにカウンター合わせてまた距離取ってみたいな戦い方だったかな。サウスポーでうまい人が苦手で、向井とか最悪の相手だったんだよね。本当に嫌だった。

向)最後の試合が、俺との試合だったよね。

竹)うん。4年生の時か。最後の試合の相手になると思ってなかったね。そんなことあるんだと思って。向井は全日本1回出てるんだっけ?

向)うん、4年生の1回。

竹)俺2回出てるんだけど、あのね、こんなこと言うのも情けないけど、届かねえ壁はあるって思っちゃって。1回戦でボッコボコのボッコボコにされるわけ。で、その選手が次の2回戦でまたあっさり倒されてとか(笑)

向)あの時のボクシングって今の何になっていると思う?

竹)いや~、どう思う?ちょっと自覚している範囲ではあんまりないような気がするんだよね。

向)分かる。でもさ、時間があるとさ、シャドー(シャドーボクシング)しちゃうでしょ?

竹)やる。いまだに緊張したときとか。

向)やっちゃう。中継の直前とか。

竹)うん。やってしまうよね。ボクシングの試合に出るような気持ちでステージに上がったことなんかないんだけど、何かこう…もじもじもじもじさ、やってしまうよな。でもさ、シンプルに、一生懸命頑張って努力すればある程度の成果は裏切られないっていう、ベタかもしれないけど努力は裏切られねえっていうことは体験したと思うし、届かねえレベルがあるということも経験させてもらったかなって思うし、ボクシングを諦めたらから歌は諦めないっていう何か比較対象としても存在するし。そういう部分では、生きていると思う。

1998年北海道アマチュアボクシング総合選手権大会準決勝
左が竹原ピストルさん 右が向井アナウンサー

野狐禅時代こぼれ話

大学卒業後、竹原はふるさとの千葉には戻らず、札幌を拠点に2人組ユニット「野狐禅」でメジャーデビューを目指して活動を始めます。大学院に進んでいた私はこの時期よく竹原のライブを見に行き、竹原は時間の合間に北大のボクシング部の練習に顔を出し、一緒に飲んだりしていました。僕たちがライバルから友人になっていった時期です。

竹)当時ススキノのビルにあった、半分飲み屋みてえなステージで歌っている野狐禅を、向井見に来てくれたじゃんか。竹原が歌うにしてはさ、何かちょっと重くなかった?どう思ってたんだろうと思って。今にして。

向)最初はね、竹原が歌うから見に行こうって思って行ったけど、2回目3回目はそうじゃないよ。なんか圧倒的だなっていうのはあったよ、正直。試合でもらったパンチより効いてた(笑)

竹)ワッハッハ。当てられなかったからな俺、向井に(笑)

向)路上でも歌ってたんでしょ?

竹)路上やってた!その時はね、ゆずさん、19(ジューク)さんがドーンといった時期で、ススキノがね、もうすっごい一定間隔でストリートミュージシャンがいて。景気も良かったのか分かんないけど、いい感じに酔っ払ったおっちゃんが「おーい」つって小遣い投げてくれるような時代だったから。どっちかっつうと音楽活動っていうよりは、例えば濱埜(野狐禅でユニットを組んでいたハマノヒロチカさん)がカレー食いてえとか言い出したら「じゃあちょっと行くか」って歌って、お小遣い頂いてカレーを食うみたいな。そういうなりわいとしてやってた。

野狐禅時代の濱埜宏哉さん(左)と竹原ピストルさん(右)

竹原ピストルと北海道 こぼれ話

「野狐禅」はメジャーデビューを果たしたものの2009年に解散。竹原はひとり、全国の小さな酒場を巡り年間250~280本ものライブを重ねていきます。本人いわくこの「ドサ回り」の旅は、苦しさではなく楽しさが上回っていたと言います。「どこでも確かなパフォーマンスをする」という信念が目の前の人々の心をつかみ、口コミでファンが増え、著名人にも紹介されました。一躍全国に知られる存在に駆け上がった竹原は、41歳で紅白歌合戦に初出場。俳優として映画やドラマでも活躍するようになりました。

向)1人になってまた全然違う心境になった?

竹)えっとね、やっぱり1人でやってみて、野狐禅で東京に出てきたばかりの時に、バーッとチームができあがって、「この人は何を担当しているのか」分からないまま、ふわふわふわふわ進んでいったわけ。だけど事務所を辞めて、野狐禅が解散して1人でやって、自分でブッキングをする、自分で宣伝をする、自分でCDを焼くっていうのをやってみて、「ああ今思えばあの人がいたからライブが組まれていたんだな」とか「あの人が宣伝してくれたんだな」っていう、やっとチームの意味が分かるわけだよね。そんなこんな、かみしめつつ。

向)俳優としてのキャリアも長くなってきたじゃない?昔さ、演じるのは全然だめだって言ってたよね。演じることは素人だからみたいなことを言ってたけど、もう素人では通用しないキャリアが付いてきたんじゃない?

竹)違うよ、やっぱり。どうにもこうにも「歌うたい」であることは動かないから。芝居に関してはずっと自信ないままやってる。一生懸命せりふも覚えて、こうやってこういう風に演じたらどうだろうとか考えたりするけど、「よし今俺うまくやった」って思ったことは1度もないかな。監督がOKって言ってくださったからOKなんだな、みたいな。でもそれがまたいつまでたっても新鮮で楽しいところなんだけど。ライブだったら自分が矢面に立って、自分が演者、自分が演出、っていう世界かもしれないけど、映画だとその監督が思い描くように動けるかどうかというところでOKだったりOKじゃなかったりするっていうのが、俺は楽しい。うん。

向)今はしていないって言ってたけど、もともとライブの合間のMCも練習していたって話をしていたよね。「準備できるからこそ自分の世界を作ることができる」のだとしたら、それって役者の仕事も音楽の仕事も、どこかつながっていない?どう?

竹)ホントだね…。ホントだねって思った。それを考えたこともなかったよ。それ共通点かもしれないよね。前もって「こうして、こうして、こうしてやるぞ」が歌でも芝居でも同じだもんね。でもね、これも違う話かもしれないけど、もっとざっくばらんに言うと、歌は自信あるけど芝居は自信がないってことだと思う。そこでなんかまた変わんない?心持ちが。そこが一番大きな違いな気がする。

函館市で撮影した映画「海炭市叙景」(2010)

竹)あとやっぱり、なんだ、50歳とか、そういう区切りのいいところで、区切りのいい年齢で、ちゃんと検診、計量もうけて、先生方にレフェリーやってもらって、もう1回戦わない(笑)?

向)2人で東京出てきたころに「40歳になったら決着つけような」って言ってただろ?

竹)はははははは、そんなこと言ってたっけ?

向)言ってたよ。「1勝1敗だからな!」って。

竹)そんなこと言ってたっけ?じゃあ50にしよ。50!

向)50歳にする?

竹)それまた撮って頂いて…誰が見るんだっつう話だよ(笑)誰も見ないか50歳のオッサン!

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