あきらめない、地域で生きていく「強度行動障害」
- 2023年07月25日
行動の幅が広がり、今までにない表情を見せる息子。
「地域に貢献できることをさせてあげたい。それが息子の重要な役割かな」
力強く語る母親の言葉の裏には、受け入れ先が見つからない苦しみ、発想の転換、努力、喜び、そして希望があった。
“1人暮らし”の息子
午前8時半頃、福岡市内にあるアパートを訪れたのは財部志穂さん。
志穂さんの後に続いて、その部屋に入ると、中から「うわぁー」という大きな声が聞こえた。続いて、ドンッドンッドンッという音。どうやら、誰かが部屋の中で飛び跳ねているようだ。
この部屋に住んでいるのは、志穂さんの息子の雄斗さん(20)。
雄斗さんは、自閉スペクトラム症の診断を受けていて、大声などの「強度行動障害」がある。
「強度行動障害」は、自閉スペクトラム症との関連性が強いと言われ、自分を傷つける自傷、他人を傷つける他害、大声や睡眠の乱れなどがある。周囲の環境や関わりによって現れる状態とされる。
雄斗さんは、2年ほど前から家族のもとを離れ、このアパートでヘルパーの支援を受けて“1人暮らし”を実現させた。
毎朝、志穂さんはこの時間に息子のアパートを訪れ、息子の昼食の弁当を届けたり、息子の様子をヘルパーから聞き取ったりするのが日課になっている。
穏やかな日々、始まった自傷行為
雄斗さんが自閉スペクトラム症の診断を受けたのは3歳の頃だった。
「光るおもちゃをずっと見たりとか、室外機とか、扇風機とか回るものをずっと見たりとかありましたね。積み木とかで遊ぶときに、ほかの子は船を作ったり、絵を見て同じように作ったりしていたんですけど、息子の場合はただ高く積んで、それをバーンって倒して遊ぶみたいな、そこからなかなか発展しなかったんですよね」(志穂さん)
療育施設に通い、小学校から特別支援学校に入学した雄斗さん。
性格は穏やかで、明るく、外で遊ぶのが好きだったという。
志穂さんが見せてくれたアルバムは、砂場やブランコなどで遊び、カメラに向かって笑顔を見せる雄斗さんの写真で溢れていた。
何気ない日常だった。
しかし、中学から高校にかけて、大声で叫んだり、壁などに頭を打ちつけたりする強度行動障害がみられるようになった。
意思表示が上手くできないことに加えて、思春期というのも重なったのではないだろうかと志穂さんはいう。
「頭も血が出ている状態が絶えなかったですね。車の窓ガラスも頭突きで割るとか、それぐらいひどい状態になりましたね。夜も寝ないですし、そのときはドライブに連れていくしかない。そんな毎日、ドライブばかりもできないですよね」
おさまらない自傷行為で、雄斗さんは入院を余儀なくされた。
志穂さんはこのときを振り返って「一番苦しい時期だった」と話す。
発想の転換
退院後も追い打ちをかける出来事があった。
他の家族の生活も守るため、受け入れてくれる施設を探して20ほどあたったが「大声を出すと周囲の利用者にも影響が出る」などの理由で断られたのだ。
志穂さんの当時のブログにはその心情がつづられていた。
「重度の知的障害と感覚の特異性を持つがゆえに様々な行動障害が出る息子はマンツーマンでの支援を要するので、受け入れてくれる入所先は現在見つかっていません」
「息子が再び落ち着いて地域で暮らすことをあきらめたくはない」
本人と家族の生活をどう守るのか。そこで、志穂さんがまず選択したのは、自宅近くにあるアパートの部屋を借りて、息子と2人で住む「サテライト型」の生活だった。
志穂さんは、夕方に仕事が終わると家族のいる自宅へ行き、夜は息子が住むアパートで寝泊まりしたという。息子を1人にするわけにもいかず、この頃からヘルパーにも入ってもらうようにした。
その最中、新たな壁が立ちはだかった。新型コロナウイルスの感染拡大だ。
閉所する施設も増え、支援してくれる人を探すのはさらに困難を極めた。
そこで、志穂さんは、そもそもの発想を変えた。
自らヘルパーの資格を取得して、ヘルパーの支援事業を始めることにしたのだ。
「既存の福祉サービスも使えないし、学校すら休校になるし、先行きが見えないような状況になって、もうこれはいよいよ入所は無理だなって思って。それならヘルパーに夜勤もしてもらって“1人暮らし”っていう方向で息子が自立できないかなって思ってですね。その時は、強度行動障害がある人を見るっていう重度訪問介護をやっている事業所もなかったので、自分で立ち上げるしかないなと思って」(志穂さん)
支援のポイント
志穂さんが自ら始めた事業で次第に雄斗さんの支援体制は整っていった。
試行錯誤の結果、たどりついた独自の体制のポイントは次のようになっている。
ポイント① ヘルパーは24時間体制
雄斗さんの支援に携わっているのは、ヘルパー10数人。
日勤2人と夜勤1人が生活を支え、切れ目のない支援をしている。
ポイント② 複数の事業所が関わる
ヘルパーを派遣しているのは志穂さんの事業所のほか、もう1つ。
万が一、何らかの理由で事業所が休みになったとしても、ただちに支援が途切れることはない。
ポイント③ SNSで細かな情報共有
雄斗さんの支援に関わる人が参加するSNSで、日勤と夜勤が交代する際に、その日の自傷行為や大声の回数などが共有され、どういう状態なのかひと目で把握できる。雄斗さんの特性にあわせた支援になる。
ポイント④ 日中の活動時間はヘルパーが2人も
ひとたび「強度行動障害」が誘発されると、ヘルパー1人では対応しきれない。日中の活動時間はヘルパーを2人にすることで、雄斗さんが好きな散歩にも対応可能。ヘルパーの負担軽減にもつながっている。
こうした切れ目のない、きめ細かな支援体制を作り上げたことで、雄斗さんの活動の幅も広がり、母親と1対1の時とは違う一面も見せるようになったという。
「ヘルパーが1人だと車での移動ができなかったりしますし、2人だと何につけても余裕が出ますよね。息子の表情も変わりましたね。ずっとニコニコしている」(志穂さん)
自立した生活の先に
志穂さんの行動と決断で、雄斗さんだけでなく、志穂さん自身の活動にも幅が生まれている。
ヘルパーの支援事業に加えて、ことし4月から強度行動障害のある人に、日中の居場所を提供するため、新たな受け入れ施設を立ち上げたのだ。
「家庭がひっ迫しているどうしようもない状況で、ごめんなさいで済まされても他に何も手立てがないと困るんですよね。崖っぷちにいるのに社会が助けてくれないのはおかしいですし、何とかこの状況を変えたいと思っているんです」
自分の家族だけでなく、他の同じような家族への支援に乗り出す原動力になっているのは、受け入れ先が見つからず苦しんだ自らの経験。
自分と同じ思いをする人を1人でも減らしたいと志穂さんは考えている。
一方、雄斗さんもヘルパーと共に生活することで、強度行動障害が現れる頻度を減らすことができている。志穂さんは雄斗さんの今後について、地域の中で生活していく姿を描いている。
「強度行動障害がある人は、いままで施設などの閉鎖的なところとかにいて、散歩に行くにしてもなかなか人目につかないようにしていて、存在を知らない人も多いですよね。一歩先に進んだ活動の幅っていうのを考えられるようになった時はすごく嬉しいなあと思うんですよね。畑をやって育てた野菜を売りにいくとか、空き缶つぶしをやるとか、今後は地域に貢献できる活動を入れたいですね。それが息子の重要な役割なのかなと思うんですよね」
財部さん親子から見えたもの
私はこれまでの取材で、志穂さんや雄斗さんだけでなく、「強度行動障害」のある子どもを育てる複数の家族の話を聞いてきた。そこで感じたのは「人は独りでは生きていけない」ということだ。それは人間が生きていくうえでの根幹を成しているように思えてならない。
今回の「支え」「支えられる」体制の形は、「強度行動障害」にとどまらない。
一人ひとりが「孤立」せず、つながっていくことで、地域社会の新たな可能性や力が生まれると思う。