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お寄せいただいたメッセージをご紹介しています

匿名希望  70代  男性
 オリンピックで日本中盛り上がっていますが、コロナウイルスが蔓延中で開催?中止?と話題になっていますが、東日本大震災、東電原発事故で故郷を、奪われ今だ汚されたまま、除染の話し、計画もない。私も77歳になり残され人生もわずか、 政府、東電は最後の一人まで帰還できるようにと壊れたレコウドの様に語りますが必ず実行してください一日も早くお願いいたします。
オリンピックの成功を祈りつつ、まだ避難生活者が多数いることもわかって欲しい。
埼玉県  のびぃさん  60代  男性
 今日の番組で、女川町が放送されていました。これまでも別の番組も含めて、女川町について何度か拝見しています。被災から半年後に女川を訪問してから9年。写真センターやさんま収穫祭に個人的にお手伝いをさせていただいたりしていました。その中で、「現地に住んでみなければわからない」との気持ちから、仕事の縁もあって宮城に来て3年、仕事の関係では被災地に直接関われることができたのか疑問がありますが、「交流人口」のひとりとして女川だけでなく、南三陸、気仙沼、福島の南相馬、浪江、富岡など、「定点観測」として何度か訪問させていただきました。 このたび地元に戻ることになり、このような番組が見られなくなるが残念です。女川出身のある人が被災2年後くらいの時に言っていた「こちら(東京)には風化という概念すらないように感じる」という言葉が表すように、ほかの地域では過去のものになっています。
機会をとらえて全国ネットでもこの番組の特集を続けて放映していただければと思います。
匿名希望  50代  女性
 こちらでは番組を見られないので3月の全国放送の回を毎年見ています。震災から時間が経ち、大きな流れを伝えるニュースを見て遠くからなんとなくわかったような気になっていますが、「取材に答える皆さん一人一人の今」を見て襟を正すような思いです。今は小さくても希望の芽がたくさん出ているのも嬉しいことです。 災害が多い日本で今後同じようなことが身近に起こったとして、いち生活者としての自分が前に進んでいくヒントはこの番組にあるのだと考えています。
宮城県塩竈市  とっこさん  50代  女性
 2月22日被災地からの声は陸前高田市からでした。陸前高田市は私の実家かある所です。語り部さんが陸前高田駅をフィルムで写していましたが懐かしく思いました。津田アナウンサーこれからもずっと被災地からの声届けて下さい。津田アナウンサー被災地に行くから懐かしく思う方景色の変化がわかると思います。
それからNPOの萩原さんは中学の先輩でした。頑張っているんですね。
岩手県陸前高田市  釘子明さん  60代  男性
 先日は、お忙しい中、取材に来ていただきありがとうございました。陸前高田の方々の、今の心境が分かりやすく伝えて頂いた番組内容になっていましたね。これからも、被災地の現状を、発信して頂く事を心より、希望しております。
匿名希望  50代  男性
 1月10日に気象庁が南海トラフ震源域の複数箇所ですべりが発生していることを公表しています。減災のためには行政の力も必要ですが、各々での備えが一番重要なのかと、個人的には思っています。日本は地震国なのは仕方ないことです。準備するしかありません。
岩手内陸地震、東日本大震災でも直前に兆候はありました。準備が空振りでも、有効利用する工夫があれば、準備は無駄になりません。いざ、発生して後悔しても先にたちませんので。